矢沢三十郎頼幸(矢沢頼康)

真田丸では「三十郎」

真田幸隆(真田信繁の祖父)の弟・矢沢頼綱の嫡男で、天文22年(1553年)生まれと言われ、真田昌幸の従兄弟(いとこ)にあたります。

真田氏に対しては一門衆の家臣となります。大河・真田丸では迫田孝也さんが演じ、前半はおもに「三十郎」として登場します。

世代としては昌幸よりも、確かに信幸(信之)や幸村(信繁)に近い三十郎ですが、信幸(信之)が1566年生まれなので、それを加味すると少し年上の叔父さんという感じ。実際には、幼なじみというよりは、おもり役という感じだったのではないでしょうか?

人質としての生活や、九度山での蟄居生活など、ほとんどの時代をしのんで生活することの多かった信繁にも近習する家臣が何人かいたのですが、大河の真田丸ではこの三十郎がいってにその役回りを買うのか、物語50話全編を通してたいへん重要な脇役になりそうです。

信繁・信之に仕え、ふたりを見守った真田氏の土台になった人物

史実としても、若い頃から沼田城代であった父(頼綱)に従い、天正期には既に城代をまかされていたとの記述も残っているそうで、天正13年(1585年)に信繁が上杉景勝の元へ人質に出される際には付き従いました。
同年の第1次上田合戦では、上杉景勝からの援軍と共に支城の矢沢城に篭って依田勢1500を退け、追撃戦では大久保忠世らを散々に蹴散らす活躍。
この年を境に父・頼綱の活動はあまり見られなくなり、書状でも父と連署したものはこの年が最初で最後になっているため、この前後に代替わりが行なわれたものと推測されています。

関ヶ原の戦い後には当主となった真田信之に仕え、大坂の陣では信之の代わりに出陣した子(信政、信吉)らを補佐したとのこと。
出陣にあたって、信之は頼康に「何事も油断なく、間に入って頼み入り候」と書き送っています。(真田丸でもこの逸話が取り上げられるのであればすごく良いシーンになりそうです。)

※ちなみに大坂の陣で、信繁(幸村)と、この信政、信吉、頼康(三十郎)が交戦したという記録はありません。

元和6年(1620年)に死去。享年68。

頼康に子はありませんでしたが、弟の頼邦が跡を継ぎ、その後子孫は代々松代藩家老職を担って真田氏を支えました。

 

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