最古参の真田十勇士~海野六郎~

真田十勇士の海野六郎

真田十勇士の海野六郎

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実在の人物をモデルに持つ真田十勇士のメンバー

真田十勇士の中でも、実在のモデルが一番明確なのが、この海野六郎(うんのろくろう)と言えるでしょう。同名の海野六郎、または海野六郎兵衛がそれと言われています。

このブログでもたびたび紹介していますが、海野氏は真田家のもともとの本家筋にあたる家系になります。

なので、本来ならば真田幸村は海野氏の家臣になっていてもおかしくない間柄なのですが、そこは「下剋上」の戦国時代。力を持った方がその上にくる実力の世界ならではと言えます。(他に望月氏・根津氏なども海野氏も真田よりは格上。)

六郎の父は、幸村の父、昌幸に従った真田家の侍大将で、息子の六郎もそれに倣うように幸村の小姓になりました。(※小姓:主君に常に寄り添って、雑務、兼警護などをする少年のこと。この場合は少年の主君に少年の家臣ということになりますが、なにせ未だ子供なので幼なじみ的要素も含むでしょう。)

後に六郎の父と兄が謀反の疑いをかけられ自害すると、六郎は昌幸に引き取られて、幸村とともに育ちます。

人質生活の長かった幸村。春日山城(上杉家)、大坂城(豊臣家)といづれにも六郎は同行していると言われ、まさに気心の知れた人物であったと思われます。

 

真田十勇士としての活躍は、幼なじみだけあって幸村の参謀的役割や、その他にも偽情報を流して敵を錯乱したり、幸村の九度山蟄居時代には奥州(東北地方の中部)をまわって情報収集など、まさに「忍者」な任務をこなします。

(※このあたりは以前の投稿記事真田家と忍者の関係をご覧下さい)

今のところ、NHK大河の真田丸に、この海野六郎的な人物の登場が見受けられないのは少し残念かも・・・・

 

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