大かまり・上田合戦に登場した忍びの集団

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上田合戦の前哨戦に登場していた「大かまり」

天正13年(1585年)8月、家康の命を受けて、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉らは真田討伐へ、約7000の兵が本拠・上田城を襲います。この上田合戦は歴史的な一時史料が少なく、たいへん謎の多い合戦と言われています。

この上田合戦、徳川勢が上田に到着する前に、ゲリラ戦を仕掛ける真田勢の戦術から、既に前哨戦が始まっていたと考えられるのです。

徳川勢が小諸城に着陣すると、真田方は大規模な忍びの集団「大かまり」を小諸の深沢に配置。徳川軍を急襲しようと試みますが失敗。逆に察知され、追撃されたかまりは撃退されたと言います。

 

かまりとは?

偵察・諜報活動の際に単独行動や、小人数で行動する忍びの素っ破。それとは別に、集団で用いられる場合がこの「かまり」にあたります。
約50人程度の場合から、多い時では2000~3000人にものぼる人数で作戦に参加。
山陰や村里などに伏兵として配備。敵の不意を討つ行動に出ることを言い、まさに、「忍び」を特殊部隊として合戦に用いた戦術と言えるでしょう。

 

残念ながら記録も少なく、真田方の失敗に終わったと伝わるのみの「大かまり」ですが、本格的な戦いが始まる直前にこういった忍者の戦いがあったというのも頷ける話です。大河ドラマ・真田丸にも登場する忍びの頭領・出浦昌相(まさすけ)は実在した人物ですし、架空にせよ、佐助(藤井隆さん演じる忍び)のような活動をした家臣も真田家には多数存在しています。また、この時期の徳川家には、伊賀流の忍び(服部半蔵の指揮下)が既に多数仕えていた時期、真田丸の第1次上田合戦。このような忍びの戦いはドラマに登場するのでしょうか?期待したいと思います。

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