天下惣無事令(そうぶじれい)

戦国時代の終焉 ~秀吉の天下統一事業完成へ~

秀吉は1585年(天正13)、関白政権を樹立すると大名間における紛争の平和的解決を掲げて、すべての私戦を禁止する政策を段階的に全国に発令しました。(※あくまでも天皇の命令による私闘の禁止を指令)
これをを惣無事令と呼びます。(※他に豊臣平和令とも。ただしこれ以前にも権力者が出した停戦令は数多くあり、「惣無事」という言葉自体は戦国期に頻繁に用いられている言葉。
秀吉は、この法令に違反する大名には厳しい処分を下す事を宣言していますが、受諾のうえ豊臣に服した大名には、逆に領土の知行を確定しました。
こうして秀吉は、諸大名からの絶対服従を確約する誓紙を納めさせることで大きな力(※所領没収ないしは減封・転封といった厳罰を与える権利)を持つとともに、違反するものには「征伐」の制裁を与える大義名分を得て、九州征伐、小田原征伐を号令します。
特に小田原征伐では、真田氏を侵略した北条氏は、秀吉の大軍勢(20万以上)による攻撃を受け、北条氏政は切腹。また伊達政宗、南部信直、最上義光らを帰順させる事にも繋がり、この惣無事令の発令によって、秀吉の天下統一への道は加速、完成へと導かれていきました。

 

参考までに、秀吉天下軍の小田原征伐布陣は下記の通り
主力(約17万):豊臣秀吉、徳川家康、織田信雄、蒲生氏郷、黒田孝高、豊臣秀長、宇喜多秀家、細川忠興、小早川隆景、吉川広家、堀秀政、池田輝政、浅野長政、石田三成、長束正家、立花宗茂、大谷吉継、石川数正、増田長盛、高山右近、筒井定次、蜂須賀家政、大友義統、加藤清正、福島正則。

水軍(約1万):長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治。

北方隊(約3万5千):前田利家、上杉景勝、真田昌幸。

 

小田原征伐に関しての詳細記事はこちら

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