第26回「瓜売」

NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介
第26話「瓜売」

天正19(1591)年12月、鶴松の死後、秀吉は関白の座を秀次に譲りました。これ以後の秀吉は、慣例に従って「太閤」と呼ばれることになります。こうして秀吉の他、寧、茶々などは大坂城に移り、変わりに聚楽第には、秀次が家族とともに移り住みました。

秀次は、家族に「たか」という名の娘がいる他、多数の側室がいることなど隠し立てなくきりに話すと、側室の話の返事を求めました。それに対して、きりは上田の父親に一度相談したいと秀次に伝えます。

 

その頃、秀吉の壮大な計画が動き出していました。

翌年の天正20(1592)年、秀吉は肥前・名護屋城を築くと全国から諸将を集めて、明へと進軍する準備を進めます。

真田家では昌幸と信幸が名護屋城に入ります。前年には信幸が2万7千石の大名(沼田城主)となっていました。また、信繁も二人と行動を共にすることを秀吉に許され、久々に親子3人揃うこととなりました。

 

この年の3月、朝鮮出兵が開始。先鋒隊約4万が対馬を目指して名護屋を出発。総大将・宇喜多秀家はその対馬で秀吉の命を待ちます。

そして4月25日、片桐且元、茶々を伴った秀吉が名護屋に到着。この頃には先鋒隊が破竹の勢いで朝鮮半島を進軍。秀吉はこの地にしばらくとどまることになります。

 

名護屋城内で、大谷吉継の娘・春(竹林院)と出会う信繁。

それから、一月半が過ぎた6月3日、石田三成と吉継は朝鮮へと出航していきました。

 

一方、上田に戻ったきりは側室の件を父・高梨内記に相談しますが、真田家に嫁いで欲しい内記は誰が側室に望んでいるかも聞かず反対。きりは迷いがなくなり、京へと戻ります。この頃、秀次には来春、赤子がまた生まれる予定となっていました。

 

そして、名護屋では茶々が二度目の懐妊。茶々は体をいたわって大坂へと戻ることになります。大喜びの秀吉ですが、年齢はすでに57歳を越えていたのです。

 

朝鮮半島での戦いは、明軍も加わるなどして敵が次第に巻き返しを図り、戦況は次第に膠着して行きます。

また、戦地で秀勝が病死するなど悪い知らせは重なる他、日本軍は兵站線を絶たれるなど苦しい状況が続くのでした。

秀吉の世継ぎ誕生を祝うため、また暗い現状を変えるにもと、且元が「やつしくらべ」(仮装大会)を提案します。

この仮装大会に真田昌幸も参加することになります。出浦昌相と佐助が他の出場者の出し物を調べると、家康は「あじか売り」に決定。昌幸は対抗するため「瓜売り」を演じることにします。

佐助の指南を受け、その日から稽古に精を出す昌幸でした。

 

この頃、秀次は望み通りの男子を授かります。しかし、その子は二カ月後には早世してしまいます。

茶々がまた懐妊したことで、赤子が亡くなったことを、内心ほっとしてしまう秀次。その複雑な心境から、泣き崩れる秀次に、きりはかける言葉もありませんでした。

 

名護屋城では仮装大会が開催。昌幸の瓜売りは完璧な仕上がりです。直前まで入念に稽古する昌幸の元へ、大慌てで駆けこむ信繁。今になって秀吉の演目が「瓜売り」とわかったのです。仕方なく昌幸は出場を諦めるのでした。

仮装大会は家康と秀吉が競いあい、秀吉の「瓜売り」が拍手喝采を浴びて優勝しました。

 

その後、とりの容態が急変した報を受け、真田親子はいったん上田へと戻ります。

とりの枕元に集まる真田の一族。信幸と信繁に自分の宿命を生きろと言い残し、その生涯を閉じました。

 

そして、その二日後、茶々が男児を出産します。

 

次回のNHK大河ドラマ「真田丸」 第27話「不信」・ストーリー紹介はこちら

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