秀次切腹事件に連座した人々

その数の多さにうんざりしますが、秀次の切腹事件に際して連座して処罰されたり、殉死した家臣たちの一覧です。

この中には秀次の補佐役(後見人)を任されていた前野長康などの秀吉最古参ともいえる重臣(※秀吉伝説の墨俣一夜城築城に協力)も切腹して自害した他、後に大坂の陣で真田信繁や後藤又兵衛らと大活躍する木村重成の父・重茲など、多くの家臣が連座して絶命、または何らかの処分に遭いました。武人以外にも、娘を秀次に嫁がせていた菊亭晴季など公家の名前も見られます。

秀次助命のために石田三成が奔走したと言われ、秀吉に「秀次公は無実であること」を直訴したとされていますが叶いませんでした。こうして秀次系豊臣家が断絶したため、多くの有能な武将が浪人となるわけですが、三成は無実ともいえる秀次の家臣団を哀れみ、その多くを石田家に受け入れたとする説も存在しています。(※石田家は同じ近江の国を所領とするため、家臣団の再配置には不便が無かったと考えられます。)

 

打ち首または切腹

木村重茲(家老)
木村志摩守(重茲の子)

 

切腹、自害など

前野長康(後見人)
前野景定(家老)
白江成定(家老)
熊谷直澄(家老)
粟野秀用(家老)
一柳可遊(家老)
服部一忠(家老)
渡瀬繁詮(元家老、秀次の弁明を行った)

日比野下野守
山口少雲
丸毛不心斎(丸毛兵庫頭)
明石則実
羽田正親(元豊臣秀長家臣)
本多正氏(元徳川家臣)
瀬田正忠

 

殉死

山本主殿/主殿助(切腹。享年18。秀次が介錯)
山田三十郎(切腹。享年18、秀次が介錯)
不破万作(切腹。享年18、秀次が介錯)
虎岩玄隆(僧侶。高野山に同行、殉死。秀次が介錯)
雀部重政(追腹。元三好家臣。服部吉兵衛が介錯)

 

その他、改易・流罪など

三好吉房(改易・流罪)
木下吉隆(改易・流罪、のちに自害)
小早川秀秋(改易)
浅野幸長(流罪、のちに復帰)
増田盛次(大和郡山城にて蟄居→のちに復帰)
荒木元清(流罪)
里村紹巴(流罪、のちに蟄居)
曲直瀬玄朔(延寿院)(流罪)
菊亭晴季(流罪)
土御門有脩(流罪)
土御門久脩(流罪)
滝川雄利(叱責)

六角義郷(改易)
吉田好寛(逃亡、のちに結城秀康家臣)
前野忠康(浪人、のちに石田三成家臣)
小田友治(改易・逃走、のちに結城秀康家臣)
伊丹正親(追放)
大島親崇(出家)
多羅尾光俊、光太(改易、のちに徳川氏旗本)
藤堂良政(秀吉の命により従兄弟の藤堂高虎の下で蟄居。のち家臣)
富田高定(追腹を行おうとするが蟄居。のち前田利長家臣1万石)

 

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