小野お通~信之が愛した女性~

第2次上田合戦も終え、いよいよ九度山での蟄居生活に時代を移すことになる昌幸・信繁親子。大河・真田丸もいよいよ大詰めへ、というところでしょうか。

そして、これまでのお話しの展開の中で、スポット的に登場して視聴者を楽しませてくれた登場人物がいます。吉野太夫(初代)出雲阿国呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)や、他にも清水ミチコさん演じる旭姫などがそうです。

さらに、あらたに今回発表されたのが、八木亜希子さん演じる「小野お通」。戦国期のその他の女性と同じく、謎に包まれた女性です。いったいどのような人物なのでしょうか。

 

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謎の多い出自、お通という人物

1567(永禄10)年頃、美濃の北方に領地を持っていた、小野氏の娘として生まれたと伝わるお通。(阿通、於通とも)

父は織田信長に仕えた小野政秀。事実であれば、お通がまだ赤ん坊の頃に織田家と三好家の間で起きた戦で討死したということになります。
(※その後のお通は、信長の庇護を受けたとも言われています。そのことで、さまざまな文化人と接する機会を得たのかもしれません。)

つまり、その出自や経歴については諸説あり、美濃国の地侍・小野正秀の娘という説は大日本史料によるところで、また淀殿に仕えたと記述されています。他にも、岸本彦兵衛という人物の娘とする説の他、織田信長や豊臣秀吉、高台院に仕えたとする説、豊臣秀次の家臣・塩川志摩守の妻であった説など様々なのです。

 

書道・琴、文化的素養に秀でた才人

塩川伯耆守の死後、渡瀬羽林(わたせうりん)という人物と再婚したと言われるお通。この渡瀬羽林、実は近衛信尹本人ではないかと言われています。実はこの近衛信尹、寛永の三筆の一人と謳われた人物で、この人こそが後にお通流と絶賛されるお通の書の師匠なのです。

書道だけでなく琴など、文化的素養に秀でたお通。これまでには「浄瑠璃姫物語」の作者であると言う伝承が伝わったほどでした。(※しかし、浄瑠璃はお通の生前15世紀半ばには成立していたと見られ、現在では作者説は否定されています。近世初期、新興の浄瑠璃はその文化的な地位が高かったというわけではなく、才媛で名高いお通を創作者に据えることで浄瑠璃を宣伝しようとしたものと考えられています。)

さらに興味深い説のなかには、「真田信之がお通に思いを寄せていたという説」があります。信之の正室・小松姫は晩年に、「そろそろ京の人を迎えてみてはどうですか?」とお通を側室にするよう勧めたとも。(※信之とお通が実際に手紙をやり取りした記録が現存しているようです。)

この縁で、お通の娘の宗鑑尼(そうかん)は信之の次男・真田信政の側室となって信就を生んでいます。

 

大坂の陣でも活躍したお通

お通はその才能を徳川家康にも気にいられており、家康の孫である千姫の付き人として大阪城に入城しています。

そして、そこで出会った豊臣秀頼の母・茶々(淀殿)にも気にいられた事から、豊臣家からも重用される人気ぶり。

その後、「大坂夏の陣」においては千姫に危害が及ばないように徳川方の武将達と交渉し、千姫の大阪城からの脱出を手引きしました。

豊臣家が滅亡したのちは 徳川二代将軍・徳川秀忠に仕え、秀忠の娘・和子にも仕えたと言います。

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