九度山脱出劇~信繁の九度山ライフ・最終章④~

NHK大河「真田丸」

永かった信繁の九度山LIFEも、豊臣秀頼からの招きに応じたことでいよいよ終わりに、大坂城入城のための信繁(※ここから先は幸村と呼ばせていただきます。詳しくは真田左衛門佐信繁~官位とその名の由来~)と一行の九度山脱出劇が始まります。

史実、蟄居・幽閉の身であった幸村(信繁)の脱出は、浅野家監視の中を隠密裏に進められたわけですから、詳しいことはわかっていません。

しかし、高野山の伝承では、慶長19年(1614年)の10月9日に脱出したと記録が残ると言います。(※一説には10月7日など)

大坂冬の陣の戦闘開始は同年・約1ヶ月前の11月19日、また、幸村(信繁)が息子・大助とともに華々しい活躍を見せる真田丸の戦いも同じ年の12月3日と4日。

九度山脱出劇は、その約2ヶ月前の出来事。諸説あるこのエピソード(しかし一次資料ではない)を、真田丸の脚本はどのように描くでしょうか?

 

村人は味方に、接待した隙に大坂へ

和歌山城主である浅野長晟(あさのながあきら)からは、幸村(信繁)の行動を予見していたらしく、予め九度山~大坂への脱出ルートになると思しき村々には、油断せず監視するようにと通達が出ていたと言われています。

しかし、幸村(信繁)のほうでもこれを予見。脱出の際には、九度山はもちろん、そのルートにあたる村々の人々など、およそ数百人を屋敷に招待。日頃のお世話のお礼にと酒食でもてなしました。ご機嫌に飲んで食べ、遂に村人たちのほとんどが酔いつぶれてしまったところを、幸村(信繁)たちは逆に彼らが乗ってきた馬に荷物をつけるなどするほか、妻子をはじめとする家族をこれに乗せ、弓・鉄砲で武装のうえ峠を越えて脱出したのだというエピソード。

そしてこの脱出劇は、襲撃を警戒するほか、村の老人、子供が密告をしないように、刀を抜き、鉄砲に点火し、威圧しながらのものでありました。

やがて夜が明け、酔いつぶれたものたちが目を覚ますと、真田屋敷はもぬけの殻に。その後、追手が大勢押し寄せますがもはや手遅れ、また、近隣の住人たちの中には事情を聞かれても、実際は三時間ほど前の出来事であるにもかかわらず、いなくなったのは三日前だとかばうものもいたと言います。

これらは、「幸村君伝記」という伝記からのもので、幸村(信繁)が常日頃、近隣の人々と懇意な付き合いをしていたため、誰も密告することなく、彼らの脱出を助けたのだと書かれているそうです。

いざという大事に備えて、日常からそのそぶりを見せずに準備しておく。これこそ孫子の兵法にもある軍略の極意であり、すべては幸村(信繁)の意図するところであったのかもしれません。(※また、刀を抜き、鉄砲に点火し、威圧しながら・・・などの行動は協力してくれた村人に迷惑をあたえないよう、言い訳を用意させるため。ではないでしょうか?真田丸ではそんな風に描かれる予感がします。

 

大坂城へともに入城。信繁とともに戦ったものまで!

こうして、九度山・高野山には信繁たちをかばったり、協力したりと言った人々が後を絶たなかったわけですが、それだけではありません。信繁にしたがって大坂城への入城を果たすものまで現れました。

九度山町史には、幸村(信繁)に従った者の記録があり、名のある地侍だけでも、

高野庄官家・名倉亀岡師、中飯降村・高坊常敏、田所庄右衛門、政所別当・中橋弘高、学文路村地侍・平野孫右衛門、名倉村牢人・木村信重、丹生川村地侍・小松盛永など。

その他、九度山近辺の猟師数十人もつき従ったとされており、大坂の陣での真田の鉄砲は百発百中だったといわれています。(※元来、九度山は地理的にも、雑賀衆や根来衆など鉄砲傭兵集団とも密接なかかわりのあった地域と考えられます。また、真田鉄砲隊の具体的な活躍は、敵も味方も真っ赤っか!~真田丸、赤備えvs赤備えの戦い~をご覧ください。)

 

幸村(信繁)脱出の報を聞いた家康の動揺

真田一行の九度山脱出、大坂城入城の報せを聞いた家康は、立ったままの姿勢で、戸を掴み、その手は震え、その振動で戸が音を立てて鳴ったということです。

そして、口を開いた家康・・・

「籠城した真田というのは親か子か?」

と尋ねたと言います。

その後、それが父・昌幸ではなく、幸村(信繁)であると聞いて、やや安心したのだとも。

 

幸村(信繁)の入場シーン

脱出時、幸村(信繁)は山伏姿に変装していたとも伝わっており、その姿のままで大坂城下の大野治長の屋敷を訪ねた幸村(信繁)に対し、大野家臣の若侍がバカにするかのように刀を拝見したいと申し出ると、最初は断りつつも、あまりに若侍たちがしつこいので手渡すと、刀を抜いた若侍はその刀のあまりの見事さに驚き、この山伏がただ者ではないことに気づいたと言います。

ちょうどそこへ帰ってきた大野治長。山伏の顔を見るなりかしこまり、幸村(信繁)を屋敷の奥へ通し、秀頼の元にも幸村(信繁)来るの使者をすぐさま派遣しました。

玄関口の若侍たちがたいへん驚いたということは言うに及びません。

 

 

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