真田家系図

真田丸ストーリー

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真田家は、信濃の名族である海野氏の傍流で、現長野県の上田市真田町にある洗馬城を拠点に、勢力を拡大した豪族。
そして真田郷を掌握したが、海野平の戦いに敗れ、勢力を失う。
その後(幸隆の時代)、当時信濃侵攻最中の甲斐の武田氏に仕えて旧領回復をすると共に、砥石崩れや川中島の戦いなど信濃・上野方面で活躍し、武田二十四将に選ばれるなど真田一族は武田家中でも重用されていった。

(※武田二十四将は江戸時代につくられたものになります。描く人によりそのメンバーは様々です。)
長篠の戦いで武田氏が滅亡したのち、織田氏に仕えたが本能寺の変で織田信長が横死すると混乱する信濃の中で上杉氏北条氏など主家を転々と変え、徳川氏との間の第一次上田合戦などを経て、最終的に豊臣氏に仕えた。

そして慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが起こると、一族で西軍・東軍に分かれた。
江戸時代に入ると上田藩を立藩たが、豊臣・徳川の間で大阪の役が起こるとまたもや一族で敵味方に分かれ戦うこととなった。
その後、松代藩へ加増転封となり幕末まで続き、戊辰戦争では官軍として奥羽へ兵を送り戦功を上げ、版籍奉還の後華族に列して藩知事となり廃藩置県を迎える。

現在では真田氏男系の血筋は絶えてしまったが、真田氏の血を女系を介して継承しており、絶えることなく現代まで続いている。

 

 

 

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