「北条側の頼朝暗殺説は捨てきれない」歴史研究者が感心した「鎌倉殿」の見どころとは?

「北条側の頼朝暗殺説は捨てきれない」歴史研究者が感心した「鎌倉殿」の見どころとは?

頼朝亡き後、さらに壮絶な殺し合いが始まる――。ともに東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏と本郷恵子氏による対談「『鎌倉殿』の死生観」(「文藝春秋」2022年8月号)を一部公開します。 ◆◆◆ 三谷脚本ならではの魅力とは? 本郷和人(以下、和人) NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が後半戦を迎え、編集部から2月号に続いて夫婦対談の依頼がありました。 本郷恵子(以下、恵子) なんだかお話しするのは久しぶりね(笑)。 和人 我が家は主従関係がはっきりしていまして。恵子さんは私の上司で東大史料編纂所の所長。いろいろお忙しい最中に、私が恵子さんを対談へとなんとか口説いてきましたよ。さて、ここまでドラマをご覧になっていかがですか。 恵子 手紙や合戦の報告書などが出てくるシーンがとてもいいですね。鎌倉時代は満足に読み書きできない武士が多かったですが、御家人たちが懸命に書いた個性豊かな手紙を画面に映しだし、興味深く伝えています。汚い文字で書き殴られた文を読んだ源頼朝が「田舎武士め」と吐き捨てたりしてね。あと、北条政子を演じる小池栄子さんは立派な役者さんになられたなぁと。 和人 政子にピッタリだよね! それに佐藤浩市さんの上総広常(かずさひろつね)は「新選組!」の芹沢鴨を彷彿とさせる悪役ぶりでかっこよかったです。中村獅童さん演じる梶原景時(かじわらかげとき)もいい。 恵子 獅童さんの景時は人相が悪くて本当に悪役に見えるわ(笑)。私は北条時政役の坂東彌十郎さんもうまいなあと。それから文覚、市川猿之助さん。歌舞伎役者ばかりを推しているわけではないのだけれど、あれはじつに怪しい僧で、いかにもっていう感じが目を引きます。 和人 推しでいえば、私はガッキー(新垣結衣、八重役)だな。 恵子 そんなことは誰も聞いていないわよ。それより印象的なのは上総広常が慣れない文筆に不器用ながらも励んだり、源頼朝の弟・範頼(のりより)が畑仕事に精を出したりと愛嬌ある姿を見せておいて、有無を言わさず殺す。そのギャップが鎌倉時代の血なまぐささをより際立たせている。三谷幸喜さんの脚本ならではですね。 「義経が従来と解釈が違っていましたね」 和人 前半を振り返ると、源義経が従来と解釈が違っていましたね。 恵子 私は「サイコパス」みたいな人物像もありかなと思いました。 和人 “三谷義経”でしたね。私たち歴史研究者は三谷さんのようにその人物の心の内までは入っていけない。研究者として指摘できるのは、鎌倉幕府という組織の構造のなかでそれぞれの人物がどういう立ち位置だったかということ。 その点からみても、義経は変な人なんですよ。そもそも軍事編成を完全に無視していました。源平合戦では、総大将の源頼朝は鎌倉から動かない。戦場で源範頼と義経が御大将で、実際に戦場で指揮するのはその下の梶原景時、和田義盛(わだよしもり)、土肥実平(どいさねひら)といった百戦錬磨の御家人たち。この軍事編成は織田信長の時代まで変わりません。ところが、ドラマを観ても分かるように、上に居るだけで何もしなくていいはずの義経は積極的に戦場で、武者働きをしていました。 恵子 良くも悪くも型破りというか。トップの現場介入はいつの世もあるものね……。 和人 それでいて戦上手だったのか? と言われると、私はそうは思いません。武士が守るべき道徳観念「兵の道」に背いているからです。壇ノ浦の戦いで平家側の舟を動かす楫(かじ)取りを射殺していたのが、その典型例といえます。 恵子 今の戦争でいえば、民間人虐殺ですよね。この時代でも武士の礼節から外れた行動といえます。 和人 屋島の戦いでは、暴風雨のなか、みんなに止められるのを振り切り渡辺津(大阪府)から出航を強行しました。暴風に流されて目的地の屋島(香川県)にたどり着けず、命からがら徳島に着く。『吾妻鏡』によれば、午前2時に出発して午前6時に着いたとあるから時速20キロから30キロぐらい。実はある歴史番組の企画で、屋島のまわりを舟に乗って同じスピードを体感してみたことがあるんです。僕みたいに運動神経が鈍い人は立っていることもままならないほどでした。 歴史学者が「大河を観て気づいたこと」とは? 恵子 冷たい海に落ちたら平家の気持ちも分かったかも? 和人 救命胴衣を着ていましたよ、恵子さんを残して死ねませんから。義経のときはもっと小さい舟にみんながひしめき合って乗っていたはず。さらに20キロの鎧を着ているから落ちたら確実に沈み、死んでしまう。そんな状況で舟を出すわけですから無謀すぎます。結局屋島に一気に進撃して戦には勝ちましたが、あのときは運が良かっただけでしょう。その後、源頼朝に追われ舟で兵庫県の大物浦(だいもつのうら)から西国に向かうも、嵐に見舞われ船が転覆し西国行きは失敗に終わりました。それで奥州平泉に逃げるしかなかったのです。 恵子 前半で神回と言われたのが上総広常の死でした。双六中に梶原景時に刀で殺されて。あれは天台宗の僧侶慈円(じえん)が書いた歴史書『愚管抄』にそう記録されています。これからさらにドラマを楽しむために鎌倉幕府と京都の朝廷との関係を知っておくと良いかもしれません。 和人 おかげさまで大河をきっかけにいろんなことに気づかされています。武士は政権の正統性を獲得するうえで三つのやり方があったんだなと。一つ目が平清盛の方法で、朝廷に身を置き、貴族として出世して正統性を得ようとしました。自民党に入って改革をやろう派みたいなものです。二つ目が頼朝によるもので、鎌倉を拠点として距離を置きながらも、朝廷を注視し、関係は失いませんでした。 恵子 後白河上皇は頼朝を取り込もうと頼朝に上洛を何度も求めましたが、彼はそれになかなか応じなかった。だから、平家と違って上皇に振り回されませんでした。 和人 […]

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