ビール、日本酒、和食に洋食も…「日本の居酒屋」がメニューにこだわらなくなった“歴史的背景”

ビール、日本酒、和食に洋食も…「日本の居酒屋」がメニューにこだわらなくなった“歴史的背景”

近年、日本のお酒を取り巻く生産の現場では、新規参入者による新たな挑戦がはじまっている。また消費の場でも、新型コロナウイルスの感染拡大の影響による居酒屋の淘汰や、それによる家飲み需要の高まり、ノンアルコール飲料を含む酒類の選択肢が広がりをみせている。しかし、そうした動きを知らない人も意外といるのではないだろうか。 ここでは、経済学者で一橋大学名誉教授の都留康氏の著書『 お酒はこれからどうなるか 新規参入者の挑戦から消費の多様化まで 』(平凡社新書)から一部を抜粋。日本の居酒屋の歴史や、居酒屋が抱える課題について紹介する。(全2回の1回目/ 2回目に続く ) ◆◆◆ なぜ日本の居酒屋は海外の酒場とは違うのか NHK・BS1の人気番組「COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン」の2020年8月9日放送「外国人が母国に持ち帰りたいニッポンの食TOP10」は、とても興味深い内容だった。ランキングのトップ5だけを挙げると、5位から順に「焼き鳥」「から揚げ」「お弁当」「回転ずし」、そして1位は「居酒屋」であった。 番組司会者である鴻上尚史によれば、著書(※1)の中で、その理由を次のように述べている。 海外では、食事はレストラン、お酒を飲むのはバーと明確に分かれている。またレストランでは、オードブルからメインまでを最初に一括して注文するのが普通である。これに対して、日本の居酒屋は食事とお酒が渾然一体となっており、食べたいとき、飲みたいときに随時注文できる。この点が外国人にはとても新鮮なのだという。 たしかに日本の居酒屋は、英国のパブやスペインのバルなどとは全く異なる存在である。では、いったいなぜ日本の居酒屋は海外の酒場とはこんなにも違うのだろうか。その起源は何であり、現在どのような課題を抱えているのかを考えてみたい。 英国パブの成り立ち 英国のヴィクトリア女王の在位期(1837~1901年)に、酒場である「パブ」が発展した。パブとは、「パブリックハウス」の略語である。 海野(※2)に依拠して、英国における酒場の発展を跡づけよう。まず、15世紀から16世紀にかけては、「イン」の時代だった。インとは、宿屋に酒場が併設されたものである。商業の発達と商人階級の勃興により、旅行や出張が増えていく。インでは1階で飲食して、2階で宿泊した。 その後、自家用馬車で旅行する人のための高級インと、駅馬車が停車する中級イン、さらにそれより下流の「エールハウス」や「タヴァン」などに分化していった。 18世紀になると、宿泊とは無関係の「パブリックハウス」という酒場の形態が現れる。これに伴い、インやタヴァンは次第に廃れていった。パブリックハウスは、酒場であると同時に、その名が示すように、各種の集会や、職業紹介などの機能をも果たす場所であった。 パブリックハウスの飲酒の場は、3つの空間に仕切られていた。バールーム、タップルーム、そしてパーラーである。バールームでは酒が売られ、そこで飲むこともできる。ここには誰でも自由に出入りできた。タップルームは労働者や職人が集まって酒を飲んだり情報交換したりする、やや閉じられた空間であった。そしてパーラーは、上流階級の集まりに使われた豪華な空間である。海野(※2)の表現を借りるなら、「酒場の空間が階級によってはっきり区分」されていた。 この中のバールームとタップルームに当たる部分が独立し、「パブ」が誕生した。そこには広間があり、主にビールやウイスキーが提供される。食事は軽いおつまみ程度のもの(煮キャベツや酢漬けのビート〔甜菜〕など)しか出なかった。 こうして、お酒を飲む場所はパブ、食事をする場所はレストランという明確な機能分化が進んでいった。英国のパブは、労働者が集まり、ビールを飲みながら、ときには憂さ晴らしを、また、ときには真剣な議論や交渉をするための「公共の」場所となったのだ。 現在では、パブは単なる酒場である。名前だけなら「イン」や「タヴァン」というノスタルジックな名の付いた酒場も珍しくない。しかし、パブの歴史を反映して、英国の酒場では、料理は出るが、フィッシュ・アンド・チップスといった軽食のメニューに限られている。パブは、労働者や一般庶民がもっぱらビールを楽しむ場所であることに変わりはない。 なお、スペインにはバルがあり、ここではビールやワインとタパス(英国パブよりはバラエティのある小皿料理)などが楽しめる。しかし、バルの位置づけは、あくまでもレストランでのディナーの前のお酒とおつまみを提供する場所である。 日本の居酒屋の成り立ち 日本では、酒を提供する営業行為は奈良時代にさかのぼる。平安時代の初期に編纂された『続日本紀』によれば、奈良時代の761(天平宝字5)年に、酒肆(酒場のこと)に関する記載がある(平凡社『世界大百科事典』第2版)。詳しくは触れないが、およそ酒が醸造され、貨幣経済があれば、酒の売買は成立しえたし、何らかの酒場があったと考えることが自然であろう。 しかし、現代のような飲食が一体化した「居酒屋」が登場したのは、江戸時代後期のことであった。以下、飯野(※3)に基づいて「居酒屋」の成り立ちを概観する。 まず、「居酒」とは、酒屋(酒販店)で量り売りされた日本酒を店内で飲むという意味である。「居酒」という言葉が現れたのは、江戸時代の元禄期(1688~1704年)のことだという。例外はあるが、酒屋での料理の提供はなかった。 これに対して、料理の提供を主体とするものは「煮売茶屋」と呼ばれた。そこでは煮物、汁物、鍋物などが供された。この「煮売茶屋」で酒も提供するようになった業態が「煮売居酒屋」、または略して「居酒屋」であった。 居酒屋が登場した背景 居酒屋が登場した背景には、100万都市として知られた江戸の人口構成に特徴がある。1721(享保6)年に実施された人口調査によれば、町人人口約50万人の約64パーセントは男性であった。武家の人口調査はないが、町人と同数程度であるというのが通説である。 参勤交代制度の存在を考えると、各藩の江戸屋敷の武士の多くは単身赴任の男性だったといわれる。また、江戸でのさまざまな仕事や雑役を担う労働者も、地方から大量に流入していた。多くは単身で自炊していたであろうが、同時に酒も料理も提供する外食産業への需要も大きかったと考えられる。1811(文化8)年の調査では、江戸には1808軒の居酒屋があったという。 当時の居酒屋のメニューは意外に豊富だ。「ふぐ汁」「あんこう汁」「ねぎま」「まぐろの刺身」「湯豆腐」「から汁」(おから入り味噌汁)などである。酒は上方からの下り酒が人気であり、特に伊丹の「剣菱」や「老松」が代表格であった(その後は、灘五郷の酒に主役を交代された)。 このように、酒場の起源は奈良時代にさかのぼることができるとしても、飲食が一体化した「居酒屋」というビジネスの普及をみたのは江戸時代後期であった。また客層も、荷商人、駕籠かき、車引き、武家奉公人、下級武士など多様であった。 近代化と居酒屋 明治維新の頃に創業し、現在も営業を続ける老舗居酒屋が開業した年を挙げてみよう。 1856(安政3)年「鍵屋」(根岸)、1884(明治17)年「柿島屋」(町田)、1905(明治38)年「みますや」(神田)などがその代表例である(https://syupo.com/archives/56144 2022年3月27日閲覧)。 これらの老舗は、江戸時代後期の居酒屋の雰囲気を今日に伝えている。神崎(1998)によれば、明治期以降も、こうした正統派の居酒屋は、場末の飯屋を兼ねたような居酒屋とともに、栄えることはあっても廃れることはなかった。 しかしその一方で、明治時代には、居酒屋の世界でも外部からの重要な変化が生じていく。それは文明開化に伴う飲食の洋風化である。 第1の大きな変化は、ビヤホールの誕生であろう。日本初のビヤホールは、1899(明治32)年に華々しくオープンした「恵比寿ビヤホール」(新橋)であった。 これにより、日本酒と料理を出す居酒屋とは異なる、ビールと料理のビヤホールという新たな業態が生まれた。 「恵比寿ビヤホール」は盛況であった。加藤(※4)によれば、1日平均800人の来客があり、「フロックの紳士と車夫、職工、兵服が隣り合ってビールを飲み微笑む風景もみられた」という。 第2の変化は、洋食の確立と普及である。岡田(※5)によれば、洋食確立までには4期ある。 (1)西洋料理を導入し崇拝した明治初期、(2)西洋料理を日本人の舌に合わせる調理技術を開発した明治中期、(3)西洋料理ではなく和洋折衷料理(カツレツ〔のちのトンカツ〕、コロッケ、カレーライスの3大洋食)が台頭した明治後期、(4)庶民向け洋食の料理店(洋食屋)が普及した大正・昭和期である。 この結果、ビヤホールやカフェでは、ビールと洋食が定番のメニューとなっていく。また、1933(昭和8)年に「新宿ヱビスビヤホール」、翌1934年に「ビヤホールライオン銀座7丁目店」などが続々と開店して、さらにブームは地方都市にも広がっていった。 このように、一方で江戸時代後期以来の居酒屋があり、他方で明治時代に現れたビヤホールがある。和と洋との並立である。 この2つの流れの中で筆者が注目するのは、1937(昭和12)年に開業した「ニユートーキヨー数寄屋橋本店」である。 この店の最大の特徴は、日本酒もビールも、和食も洋食も、どちらも提供したことだ。これが可能であったのは、「ニユートーキヨー」がビールメーカー直営ではなかったからであろう。この特徴の重要さは強調に値する。なぜなら、これが和洋食を統合した第2次世界大戦後の居酒屋の原型をなすと、筆者は考えるからである。 […]

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