萩原朔太郎没後80年、各地で企画展…くまもと文学・歴史館 中原中也記念館など

萩原朔太郎没後80年、各地で企画展…くまもと文学・歴史館 中原中也記念館など

詩人の萩原朔太郎(1886~1942年)の没後80年を記念した企画展が「 萩原朔太郎大全2022 」という共通タイトルのもと、全国各地の文学館などで開かれている。九州・山口では熊本市の くまもと文学・歴史館 (12月5日まで)、山口市の 中原中也記念館 (11月27日まで)などでゆかりの資料を展示している。 朔太郎は群馬県生まれ。前橋中学(現・前橋高)を卒業後、明治40年(1907年)9月に第五高等学校(現・熊本大)の英語文科に入学した。だが進級できず、翌年、第六高等学校(現・岡山大)に移った。 朔太郎が熊本から祖父に宛てたはがき。「朝鮮飴」について〈淡甘にして味よろしく〉とある くまもと文学・歴史館では、朔太郎が熊本の寄宿舎から家族や親類に宛てたはがきや手紙を前橋文学館から借りて展示している。妹の若子に、修学旅行で日奈久(熊本県八代市)を訪れたこと、祖父・始には熊本銘菓「朝鮮 飴あめ 」を送ったことをそれぞれはがきで伝えるなど、充実した学校生活を送っているように見える。 しかし、内心では苦悩を抱えていた。兄のように慕っていた、いとこの萩原栄次には手紙で、〈最早文学士となるより外に仕方なく先づ之を以て自分の運命と決定いたし〉と書き送り、父と同じ医学の道に進むべく試験を受け直すなどの選択もあるが、気持ちが向かないと明かしている。 学芸員の片桐まいさんは、「何者かになるべく熊本に来た朔太郎の、心に巣くう詩人の 煩悶はんもん がよく見えてくるのではないか」と語る。 「萩原朔太郎様 中原中也」と書かれた中也訳の『ランボオ詩集』 中原中也記念館では、中也(1907~37年)が37年9月、朔太郎に贈呈した署名入りの『ランボオ詩集』などを展示している。朔太郎も中也も医家を継ぐ長男として期待されながら、そうは生きられなかったという共通点がある。 会場には37年9月、朔太郎のエッセー集『無からの抗争』について中也が、〈萩原氏は文学的苦労人である。氏に会つてゐると何か暖いものが感じられる〉などと書いた短評がパネルで紹介されている。翌月に中也は亡くなり、朔太郎は短評に返すように文芸誌の追悼文にこう書いた。〈僕のちよつとした言葉が、そんなに印象に残つたことを考へると、中原君の生活はよほど孤独のものであつたらしい〉 同記念館の中原豊館長は「ささやかでも、互いの間に深い心の交流があったことがわかる」と話している。(右田和孝)

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