ほぼフィクション?「関ヶ原の戦い」ざっくり解説 2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」

ほぼフィクション?「関ヶ原の戦い」ざっくり解説 2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」

大人がかつて学んだ歴史は、最新研究とともにどんどん変わっています。無類の歴史好きで、歴史解説本を出版している吉本芸人・房野史典氏と、歴史研究家の河合敦氏による共著『超現代語訳×最新歴史研究で学びなおす 面白すぎる!日本史の授業』では、歴史上の有名な人物や事件の内容をおさらいしながら、最新の歴史研究をかみ砕いて、歴史を洗いなおしています。 2023年のNHK大河ドラマは、江戸幕府初代将軍・徳川家康の生涯を描く「どうする家康」。徳川家康といえば「関ヶ原の戦い」に勝利し、江戸幕府を築きました。今回は房野氏が「関ヶ原の戦い」を解説します。 豊臣秀吉の死後、勃発する政争 房野 :「日本史」を前面に押し出した本ならば、取り上げないのは罪なんじゃないかとさえ思える出来事が、関ヶ原の戦いです。ここでは本戦のあらすじのみをお伝えしたいと思います。 織田信長「実は保守的」カリスマ像が揺らぐ事情 慶長3年8月(1598年9月)、豊臣秀吉が亡くなります。大黒柱を失った豊臣政権の中で政争が勃発。秀吉の遺命に次々と叛(そむ)いていく徳川家康に対し、石田三成ら豊臣恩顧の武将は彼を糾弾します。 しかし、その三成こそ君側の奸(君主を思うままに動かし、悪政をおこなう家臣)だとする福島正則や黒田長政らの諸将は家康を支持。内部分裂を起こした豊臣家の諍(いさかい)は歯止めがきかず、やがて大規模な武力衝突へと発展したのでした。 戦いの舞台となったのは、美濃国不破郡(みのくにふわぐん)関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)。徳川家康率いる東軍の主な武将は、徳川家康、福島正則、黒田長政、池田輝政、細川忠興、藤堂高虎、加藤嘉明、山内一豊、浅野幸長、松平忠吉、本多忠勝、井伊直政などで、兵数は7万4000。 石田三成を中心とした西軍の主な武将は、石田三成、宇喜多秀家、小早川秀秋、小西行長、安国寺恵瓊、毛利秀元、吉川広家、島津義弘、長宗我部盛親、島左近、長束正家、大谷吉継などで、兵数は8万以上です。 開戦の口火を切ったのは一番槍を狙う井伊直政 9月15日。その日、関ヶ原は深い霧に包まれていました。東軍の先陣を任されていたのは福島正則隊。大戦の口火を切る役目に福島隊の誰もが闘争心をたぎらせていると、 井伊直政「ちょっとすみません」 徳川四天王の1人・井伊直政が福島隊の陣中を無理やり通り抜けようとします。歩みを止めない直政。そこへ、 可児才蔵「ちょちょちょちょ……」 福島正則の家臣・可児才蔵がたまらずストップをかけます。 可児「いやあの、先陣を任されたのは福島隊なんですよ。ここを通すわけにはいきません」 井伊「え? ああ違いますよ。私、大殿(家康)から偵察の命令を受けてましてね。それに、松平忠吉様(家康四男で直政の娘婿)が初陣なので、特等席で見物をさせてあげたいと思ってここまで来たんです。じゃ、そういうことなので……」 可児「そういうことなので、じゃないんですよ。……それにしちゃ兵の数多すぎるでしょ。偵察なら部隊の主力は置いていってもらえませんか」 井伊「あ、それは言えてますね。では……」 可児の言うことを素直に聞く直政と忠吉。部隊の主力を残し、約300名の手勢を引き連れ前に進み、 井伊「かかれぇーー!!」 敵と戦います。 可児「あのやろ!」 一番槍は武士の誉。これほど大きな戦いにおいて、その名誉を徳川家以外の者に持っていかれたとあっては末代までの恥。さらに、豊臣系武将で固められた東軍で先陣の手柄まで譲ってしまえば、戦後ますます彼らの力が大きくなってしまう。それだけは避けねば。と、考えた直政の「一番槍は徳川が」という強い思い(ぶっちぎりの軍法違反)が引き金となり、関ヶ原の戦いは突然のスタートを切ったのでした。 石田三成の狼煙に反応しない西軍 両軍入り乱れての激しい戦闘が繰り広げられる関ヶ原の地。ですが、戦いから2時間以上経過したのちも決着がつきません。 しかし、あえてこのとき有利だったほうを選ぶとするなら……西軍と言っていいでしょう。なぜなら西軍は、万を超える兵力を擁した部隊がいまだ戦闘に参加しておらず、戦力を温存した状態にあったからです。 石田三成「狼煙を上げろ! 南宮山にいる毛利・吉川、松尾山の小早川に合図を送れ!」 毛利、吉川、小早川、始動。三成が上げた狼煙をきっかけに、約1万6000の毛利・吉川隊と、約1万5000の小早川隊が……まったく動きません。 三成「あれ」 〝戦〞というのは干戈(かんか)を交える(交戦する。戦争をする)ことのみを指した言葉ではない、ということですね。戦場で相まみえる前の準備がいかに大切か。 西軍の頼みの綱であった両氏は、黒田長政などを通じて家康に内通。戦いが始まれば東軍側につくことを約束していたのでした。 毛利秀元「おい! 狼煙が上がったぞ! 出陣の合図だ!」 吉川広家「……」 ただ、西軍の総大将・毛利輝元の代理で参陣していた毛利秀元(輝元の従兄弟で元養子)と吉川広家(輝元の従兄弟)のうち、東軍と内通していたのは吉川広家だけです。 彼は戦闘が始まっても毛利の軍を動かさない事を東軍に告げ、代わりに毛利家の本領安堵(持ってる土地はそのまま)という密約を取り付けていたのですが、そんなこと毛利秀元は露程も知りません。 毛利「何をやっている! 前方にいるお前の隊が動かなければ、我々はみな動けないんだぞ!」 吉川「あー、今、兵士たちに弁当食べさせてるんで」 毛利「べ、弁当……今、このタイミングで!?」 長宗我部盛親「毛利さん、動かないんですか? 先陣が動かなきゃ、こちらも勝手に動けない決まりなんですけど?」 毛利「あ、いや……今、兵士たちに弁当食べさせてるんで!」 […]

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