「歴史の独学」がフェイクニュース横行の今こそ重要な理由、『独学大全』著者が解説

「歴史の独学」がフェイクニュース横行の今こそ重要な理由、『独学大全』著者が解説

「今年こそ学び直したい……でも何から始めればいい?」と悩むあなたの伴走者となる最強の学び直しガイドを、26万部のベストセラー『独学大全』著者、読書猿さんがお届けします。「何を」学ぶのか?「なぜ」学ぶのか?そして「どのように」学ぶのか?――の3つの視点から必須12ジャンルを全網羅!おすすめ書籍も紹介します。特集 『独学大全 学び直しガイド』 (全12回)の#5では「歴史」について深掘りします。フェイクニュースが横行する今こそ、私たちを誘惑し麻痺させる、思わず信じてしまいそうなつくり話への免疫を身に付けるため、歴史を学び直すことが求められています。 歴史(歴史研究が明らかにする史実)とは、偉人の英雄譚でも雑談で重宝される歴史的人物の面白エピソードでもない。 我々は、自分が生まれる以前の過去を直接知ることができない。我々にできるのは、過去の出来事の痕跡や、過去の人々が残した記録をできるだけ集めること、そうして、それらから推測できることを突き合わせて、できる限り整合的かつ豊かな形で過去を再構成することだけだ。 この再構成は、一人の作業では完結しない。自分だけでは見過ごしてしまう盲点や解釈の偏りは、自分とは異なる観点により再構成を試みる人たちからの批判を通じて吟味され訂正されていく。 そもそも、過去の痕跡や記録は膨大に存在する。我々は手分けをして、またこれまでに再構成に挑んできた先人の貢献を基礎にして、過去に挑む。こうした無数の努力の蓄積が我々に送り届けてくれる「再構成された過去」を、我々は「史実」と呼ぶのである。 史実を再構成する材料となる痕跡や記録を史料と呼ぶが、史料には幾つもの制約がある。まず、史料は必ず残るとは限らない。時間が経過する中で、行方知れずになることも損壊することもあるのだ。さらに史料は、必ずしも信頼がおけるわけではない。記録者の主観が混入することが避けられないし、意図せざる誤りが入り込むことも少なくない。 しかし信頼できないからという理由で、記録を史料として採用することを避け続ければ、ただでさえ残るとは限らない史料はますます不足する。そのため、過去の再構成に挑む歴史研究者たちは、必ずしも信頼できない史料を相手に、その信頼できなさにできるだけ影響されないよう努めながら、可能な限り多くを引き出そうと、様々な工夫をするのである。 具体的には、史料の来歴や他の史料との違いを手掛かりに、他の文書から引き写した部分があったり、後世になって混入されたりした事実を突き止める。そして、直接体験した人が書いたものか、どれだけの伝聞を重ねた後に記したものかについて推測していくのだ。 こうして様々なレベルで重ねられた推測自体も互いに突き合わせて、推測や解釈同士の間に矛盾が生じないか、生じたとすれば推測や解釈のどの部分をどう改めるべきなのかを一つ一つ検討していく。この長い一連の作業を、歴史研究者は史料批判と呼ぶ。 では、我々はなぜ歴史を学ぶ必要があるのか。 偉人の人生を知り、自分の冴えない人生に接ぎ木するためか(そんなことは不可能だ)。それとも日々の暮らしや仕事に疲れ、傷ついた心を慰撫することを求めてか(それなら嘘話と自覚した上でフィクションを読むべきだ)。 専門研究者でない我々が歴史を学ぶ意義はむしろ、私たちを誘惑し麻痺させる、思わず信じてしまいそうなつくり話への免疫を身に付けるため、一種の“認知ワクチン”を接種することである。 史料を全面的には信用せず、しかし捨て去らず、複数の情報源を吟味し、互いに突き合わせて、知見を引き出す。このような歴史研究のアプローチは、面倒だ。それなのになぜ、歴史研究者はそんな煩雑で困難な仕事を続けるのか。 E・H・カーは『歴史とは何か』の中で次のように述べている。“歴史とは、歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。” これは、歴史研究者の解釈から独立した「客観的な歴史はない」などといった生ぬるい話ではない。未来への希望を語ることができるのは、現在と過去との間の際限のない対話を続けている間だけ、という厳しい自戒の表明である。 こうした歴史研究者が行うような「過去との際限のない対話」を学ぶには、どうすればいいのか。 言うまでもなく、歴史小説や歴史雑談の類は役に立たない。出来上がったものとして歴史を語る一般向けの歴史概説書も、同様だ。 ここはむしろストレートに、歴史研究を志す者が最初に触れるべき入門書が役に立つ。古く小さなものであるが、史料批判の実際をミニチュア的に例示してくれる『歴史學研究法』(東京大学出版会 *現在品切れ中)という書物がある。このコンパクトな書物の最後の章で、武田信玄が塩尻峠で戦い勝利した出来事を、複数の文献を突き合わせて史実を確定していく模倣演技を見ることができる。残念ながら絶版だが、現代仮名遣いにしたテキストをネット上で読むことができる。 他には、本物の歴史研究者同士のやりとり、特に論争を見てみると、吟味の激しさと厳しさをうかがい知ることができる。書物として、手に入りやすく読みやすいものでは、岩波現代文庫の一冊である山口啓二 『鎖国と開国』 (岩波書店)がおすすめだ。 まずこの本そのものが、講演を基にしており読みやすい。さらに、膨大な近世研究が存分に生かされていて、江戸時代の歴史を理解するのにこの上ない良書である。その上、岩波現代文庫につけられた荒野泰典による解説は、この名著に対して根底的な批判を加えていて、本文を読み味わった良質な知的満足が吹っ飛ぶほどだ。歴史研究者が他の研究者(時にそれは自身を歴史研究の世界に迎えてくれた師や、研究領域を切り開いてくれた尊敬すべき先人であったりする)へ向けた学問的批判は、これほど凄まじく、根源的なのだ。 ここで驚きを味わうと、さらにトピック別にそれぞれの史料批判と歴史研究の積み重ねを、知りたくなってくるだろう。その時は 『日本近現代史研究事典』 (東京堂出版 *現在品切れ中。他に古代史、中世史、近世史について同様の事典が刊行されている)の、トピック別になった研究蓄積の案内が役に立つ。 Key Visual by Tatsuya Hanamoto

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