【ライブレポート】歴史的瞬間の波状攻撃、メガデス at 武道館

【ライブレポート】歴史的瞬間の波状攻撃、メガデス at 武道館

Photo by Masanori Doi 2月27日、メガデスが歴史的な一夜を迎えた。彼らにとって史上初となる日本武道館公演が、ついに実現に至ったのだ。今から30年前にあたる1993年3月に組まれていた同会場での公演を含むジャパン・ツアーが、バンドの首謀者であるデイヴ・ムステイン(Vo, G)の健康上の理由(厳密には「現地エージェントの組んだ渡航スケジュールが、先に決まっていた自らの入退院スケジュールと噛み合わないものだったため」であるという。発売中のBURRN!誌3月号に掲載のインタビューの中で彼自身がそう語っている)から中止を余儀なくされている過去もあるだけに、この会場で公演を行なうことは彼自身にとってまさに長年の念願というべきもの。「武道館公演は、バンドが終わりを迎えるまでに絶対にやらなければならないことのひとつ」という発言まで繰り返してきたほどだった。また、今回の来日公演は2月24日、東京・豊洲PITで幕を開けているが、同公演の翌日に筆者が話を聞いた際、デイヴは次のように語っている。 「過去を振り返ってみた時、自分の歴史に欠落しているものがあることに気付かされるんだ。俺たちはかつてあの場所でプレイするはずだった。ところがそれができなくなり、以降もずっと実現せずにきた。メガデスの歴史に、武道館公演というものは記されていないんだ。もちろんこれまで日本各地のさまざまな素敵な場所でプレイしてきたし、そのことは光栄に思っている。ただ、かつて武道館公演をキャンセルした際には日本のファンをがっかりさせてしまった。今回はその埋め合わせになるといいなと思っている。俺はファンを失望させたくないからね」 ©Travis Shinn デイヴのそうした想いは、当時同じステージに立つはずだったメンバーたちにも向けられている。長年にわたりここ日本を活動拠点としているかつての盟友、マーティ・フリードマン(G)に対してもそれは同じことだ。彼は「マーティにとっても武道館公演はとても重要な意味を持つものだった。だからそれが実現できないことが明らかになった時、ことに落胆の度合いが大きかったのが俺自身と彼だったように思う」とも語っている。今回のジャパン・ツアーにおいて、この武道館公演限定でマーティがゲスト出演することになったことにも、そうした背景がある。デイヴが「メガデスの、過去における絶頂期」と認めるあの当時に叶わなかったことが、彼自身が「あの当時に匹敵する状態にある」と言い切る現ラインナップにより、30年越しで実現に至る。しかもその一部始終がWOWOWで生中継(及びオンデマンド配信)されるばかりではなく、全世界に向けてリアルタイムで配信されるというのだから、ただごとではない。そうしたプラン自体からも、彼がこの出来事をいかに重く捉えているかがうかがえようというものだ。 アルバム『リスク』(1999年)頃の写真:中央左マーティ、中央右デイヴ (C) Stephen Stickler アルバム『ラスト・イン・ピース』(1990年)頃の写真(左端マーティ、前で体育座りデイヴ) この日の公演チケットは、最終的にソールド・アウトとなった。運命的な巡りあわせを思わせる劇的な背景がファンの関心を集めたこともその一因となったはずだが、同時に、最新作にあたる『The Sick, The Dying…And The Dead!』に象徴される、メガデスの現在の充実ぶりも大きな要因であることも間違いない。3月3日発売のBURRN!誌4月号に掲載されている同誌の読者人気投票の結果からも、それは明らかだ(具体的な詳細については同誌の発売をお待ちいただきたい)。実際、豊洲PITでの公演終了後に会場窓口で武道館公演のチケットを買い求めるファンの姿が目立っていたのも同夜の演奏内容が素晴らしかったからこそだろうし、この武道館公演当日も早い時間帯のうちから当日券窓口の前に長い行列ができていた。 前置きが長くなったが、この夜のライヴはまさに「歴史的90分間」として記憶されるべき濃密なものとなった。満員のオーディエンスと全世界の視聴者からの注目が集中する中、会場内は開演定刻の午後7時に暗転。メガデスの歴史においては問題作とされることの多い『Risk』(1999年)に収められていた「Prince Of Darkness」がオープニングSEとして流れる中、ステージ上の配置に就いた4人が最初に演奏したのは、このバンドを象徴する代表曲のひとつである「Hanger 18」(1990年発表の『Rust In Peace』に収録)だった。この曲はオープニングの定番でもある。30年前に行なわれるはずだった公演も、もしかするとこの曲で幕を開けることになっていたのかもしれない。 白いシャツを着たデイヴの両脇にはキコ・ルーレイロ(G)とジェイムズ・ロメンゾ(B)、そしてその背後にはダーク・ヴェルビューレン(Dr)。そのダークのドラム・ライザーの左右には豊洲公演の際と同様に大型のLEDスクリーンが設置されているが、あの夜とは違い、武道館ではさらに巨大なもうひとつの画面がその上部に設えられている。目まぐるしく移り変わっていく色鮮やかな映像と、噴出する白煙。アリーナ規模の公演ならではの演出を伴いながら必殺曲が繰り出されるのだから、オーディエンスの反応が鈍いはずがない。武道館は1曲目の時点ですでに極上の一体感に包まれていた。 以降、4人は、曲間に過剰なインターヴァルを設けることもなく、さまざまな時代に生まれたキラー・チューンの数々を惜しみなく繰り出し続けていった。デイヴは最初の3曲を演奏し終えたところでようやくオーディエンスに向けて語り掛けたが、その言葉や表情から何よりも強く伝わってきたのは、感謝の念だった。念願の場所に立つことができたという嬉しさ以上に、そうした機会が巡ってきたことへの強い謝意を感じずにいられなかった。その時点で早くも筆者の涙腺は緩み始めていたが、4人の容赦のないアグレッシヴな演奏は、こちらを感傷的な気分に浸らせてはくれない。 Photo by Masanori Doi グラミー賞に輝いた前作『Dystopia』(2016年)の表題曲や、『Youthanasia』(1994年)からの「A Tout Le Monde」といった曲が続いた中盤も、場内の熱気が落ち着きをみせることはない。そして突如、スクリーンに往年のマーティ・フリードマンの演奏シーンが映し出され、そのマーティ本人がステージ上に呼び込まれる。歓声がさらに高まる中、異例のトリプル・ギター編成で最初に披露されたのは「Countdown To Extinction」だった。1992年、当然ながらマーティ在籍時に発表されたアルバムの表題曲である。 彼をフィーチャーしながらの演奏はそのまま「Tornado Of Souls」、そして「Symphony Of Destruction」へと続いていく。前者は『Rust In Peace』、後者は『Countdown to Extinction』からの選曲であり、マーティ脱退後もメガデスのライヴに欠かせないものとして演奏し続けられてきた楽曲たちだ。それを2023年の今、彼の演奏と共に味わえるという奇跡。大袈裟だと言われるかもしれないが、これはメガデスとマーティの双方が今もこうして活動を続け、お互いに現在進行形のままであるからこそ実現し得ることなのだ。しかもそれは同窓会的な過去の再現にとどまるものではない。デイヴとマーティが向き合いながらギターを奏でる場面には、マーティ自身が当時を思わせる衣装をまとっていたこともあり、まるで30年前にタイムスリップしたかのような感覚をおぼえもしたが、マーティがキコやジェイムズと絡む光景は、歴史上には存在しなかったものだ。 Photo […]

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