40周年『信長の野望』生みの親に聞く、歴史とエンタメの親和性「歴史は面白さの“スタート台”」

40周年『信長の野望』生みの親に聞く、歴史とエンタメの親和性「歴史は面白さの“スタート台”」

40周年を迎えた『信長の野望』シリーズの生みの親であるシブサワ・コウ氏 (C)oricon ME inc. 戦国時代を舞台に、自身が大名となって、自国の内政と軍事力を強化しつつ、全国統一を目指すコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望』シリーズ。3月30日に40周年を迎えた同作は、世界累計出荷本数1000万本を突破するなど、時代を超えた人気作となっている。同シリーズはどのように誕生し、40年間も人気を維持することが出来たのだろうか? また、同作をはじめ、大河ドラマや映画など、エンターテインメントはなぜ歴史と相性がいいのだろうか? 生みの親であるシブサワ・コウ氏に話を聞いた。 【画像全176枚】「信長の顔」がこんなに進化…「プレイ画面」などで振り返る『信長の野望』の40年 ■日本の文明開花と国産ゲームの夜明けが奇妙にリンクした“シブサワ・コウ”の由来 そもそも、『信長の野望』『三國志』などのシリーズにクレジットされているシブサワ・コウとは何者なのか? 当初は開発チーム全体を表すプロデューサー名ではないか、一種のブランドなのではないか、と謎に包まれていた。だが2000年発売の『決戦』で初めて、同社の創立者・襟川陽一氏のペンネームとして認知されるようになる。名前の由来は襟川氏が尊敬してやまない渋沢栄一と当時の社名であった「光栄」から。 「渋沢栄一は、幕末から明治にかけて日本の経済を起ち上げる重要な役割を果たした傑出した人物。徳川幕府から明治の新政府に移り、東洋の良さを維持しつつ西洋の先進文化や技術の導入に関わり今の日本の形の基礎を作った。そんな生き様が好きだったんです」 これは日本にパソコン(当時はマイコン)が導入され始めた80年代初頭からコンピュータゲームを作り始め、現代のコンピュータ時代へと移り変わる中で日本の歴史シミュレーションゲームの礎を作った襟川氏の姿にも重なるが、本人は「初めて言われました(笑)。でも、70年代後半から80年代のさまざまなものが変革した時代に、マイコンと出会えたのは幸せなことでした」と当時を振り返る。 当時、家業の染料工業薬品の卸会社を経営する一方、業務が終わると夜間、マイコンでのプログラミングに熱中。当時のマイコン雑誌にさまざまなプログラムが掲載されており、それを打ち込むうちにゲームの作り方も自然と習得。そこで襟川氏は思った。 「自分が遊びたいゲームを作ろう」 ■なぜ、秀吉でも家康でもなく信長だったのか?「日本人の琴線に触れるのは“大願成就”しない人」 そもそも襟川氏は幼少期より大のゲーム好き。今も最新ゲームのチェックに余念がないが、「軍人将棋や武将のカードゲームなどを自分たちで作って遊んでいました。故郷の足利が歴史に囲まれた街だったのものですから、自然と歴史が好きになっていきました」と話すなど、歴史シミュレーションゲームの礎を築く土壌は幼少期から培われていた。これに加え、「現実にあった戦をゲームで楽しめたら面白そうだ」という発想から生まれたのが、のちの『信長の野望』につながる『川中島の合戦』だ。 「当時、私は社長としてマイコンを用いて経営の合理化をしていたのですが、社長として会社を運営すると営業、人事、経理、財務、在庫管理とさまざまな必須の業務がある。『川中島の合戦』は戦いだけのゲームですが、そこで社長としての立場から考えて、戦国武将も戦いだけではなく、経済的政策や外交など、さまざまなことをやっていたはずだと考えました。これが『信長の野望』の土台となったのです」 通信販売で発売した『川中島の合戦』のヒットを受け、戦いだけではない戦国武将のさまざまな要素を加えた『信長の野望』は、1983年にリリースされ、一大シリーズに成長していく。だが、そもそも天下統一を果たした豊臣秀吉でも徳川家康でもなく、なぜ織田信長をタイトルにしたのだろうか? 「元々、司馬遼太郎の『国盗り物語』が好きだったこともありますが、日本人の琴線に触れるのは大願成就しない人。いわゆる“判官びいき”があります。そこで信長が果たせなかった天下統一の夢をプレイヤーが果たしていくと面白いのではないかと。我々は本能寺で信長が明智光秀に討たれたことを知っています。それを知っているなら、私なら本能寺に2万の軍勢を連れていき返り討ちにする(笑)。そういった楽しみ方をしたかったのです」 ゲームのベースは、襟川氏が興じていたTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム=紙や鉛筆などを使って対話形式で進めるロールプレイングゲーム)やボードゲームなど、パラメーターを数値化して遊ぶゲームを参照。データは、襟川氏がそれまでに見た小説、映画、歴史番組などの知識をベースに制作。今もその数値がシリーズの根幹にあるというから、その精度には驚かされる。 ■愚将の汚名も返上? 今川義元は再評価で能力値も急上昇、地元愛ゆえのクレームも!? だが、シリーズを40年も続けていると、その間に新たな史実が明らかになることも。 「最近の話でいうと今川義元が脚光を浴びていて、歴史を研究する方々の間でも再評価されています。桶狭間で信長に倒された印象が強いですが、東海一の弓取りっていう表現があるくらいに国力を強くすることに関して実績があり、しかも外交的にも北条や武田をうまくやりつつ、京へ出陣するなど非常に慎重かつ大胆な戦略を打ち出していた。『信長の野望』では当初、中堅から少し下くらいのパラメーターだったものが、今ではかなり上位の方に入る修正を加えています。こういう風に歴史的評価の変化だったり、世間一般の評判などを加味しながら、描いています」 また、武将のデータについては史実だけでなく、その時代ごとの“トレンド感”もうまく反映させているという。 「例えば最近だと、大河ドラマで井伊直虎や直政が活躍して注目を集めていると、能力を上げたりというのはあります。あと、井伊家の登場人物を増やしたり。『真田丸』をやっていた時は、真田家を増やしたり、こうしたトレンド感でデータを見直すこともままあります」 一方で、プレイヤーは十人十色。さらには地元愛もある。「なぜ、俺の故郷の武将がこんなに弱いんだ」などのクレーム(?)もあるというが…。 「そういうご意見はたくさんいただきます。ご要望にはなるべくお応えしたいんですが、すべてを聞き入れていると、みんなを底上げすることになってしまいます(笑)。ただ各シリーズのプロデューサーの好みによって武将の能力に若干の“盛り”はあるようです。最新作『信長の野望・新生』のプロデューサーは、昔から武田が大好き。なので武田家の家臣の武将たちの能力値が、例えば90が91になったりと、少しずつ前よりあげてるんじゃないかと(笑)。それもプロデューサーの表現したいことなんだと思っています」 そんな襟川氏に、この『信長の野望』も含め、大河ドラマや映画など、なぜ歴史とエンタメはこれだけ相性がよいのか聞いてみた。 「自由に脚色できるからじゃないでしょうか。事実と事実の間に武将たちが何をして何を考えていたのか、文献を見ても断片的に空いている明かされてない場所が多い。例えば明智光秀がなぜ織田信長を討ったかはいまだ謎に包まれている。映画もドラマもゲームも、その辺りを自由に創作できるところが親和性の鍵だと思います」 ■AI導入でさらに広がる自由度「“武将らしさ”が具体的な行動で表現出来るように」 歴史的事実に、新たに発見された史実、寄せられるユーザーの声や、作り手の表現したいこと、世間のトレンド、さらにエンタメ性。これらが総合して成り立つ『信長の野望』だが、シリーズごとにエンタメと史実の割合も異なるという。 「例えば最新作の『新生』では歴史性は7割くらいですが、逆にスマートフォンのオンラインゲーム『信長の野望・覇道』に関しては歴史性よりエンタメ性にメーターを寄せて、逆転しています。これは、『覇道』では、1サーバーに6000人ほどのプレイヤーがそれぞれ武将(領主)になって、砦や城を取り合い、シチュエーションは戦国時代だけど、物語は自分で作っていくという特性があるから。自分が作る戦国時代という形ですので、その特色に合わせているんです」 『新生』では史実寄りである上に、AI導入という新しい試みがなされた。 「例えば、猪突猛進型の武将であれば、あまり戦国大名の言うことを聞かないで自分でどんどん戦場の中で突っ込んでいってしまうとか、上杉謙信であれば“義”を重視した武将ですので、裏切りなど“義”に反した行動を取るとすぐに攻め込んでくるとかですね。こういう特徴や特性っていうものが具体的な行動で表現できるようになってきた。このパターンをAIというものです」 一方で、先述の通りエンタメと歴史作品の相性の良さは、その余白を自由に脚色することができるところにあると話す同氏に、AIを導入することによって、その自由度が失われる懸念もあるのではないかと聞くと、答えは「否」。 「細かいところまでAIの組み立て、調整がしてあり、小目標、それをクリアして中目標、最後の大目標も各武将によって違い、行動パターンも違うので、実際の戦国時代ではこうだったであろうという行動をAIが再現しています。(AIが自由度を奪うのではなく)“武将らしさ”が行動によって表現できるようになったということで、その分リアルな戦国時代を感じられると思っています」 AI導入により歴史シミュレーションゲームは来るところまで来たように思えるが、襟川氏はまだ課題があると話す。それは「よりリアルな合戦シーンを見せること」。「まだ今の技術では難しいですが、ゆくゆくは映画のようなリアルな合戦シーンが再現できるようになり、ユーザーは映画の中で戦国時代をロールプレイングしているような感覚になっていくと思います」と予言する。 そんな同氏がゲームクリエーターとして、大事にしているのは、今も最新ゲームをチェックしたり、エンタメ作品を観たり、美術館で感性を磨き、さまざまな角度の面白さを体感し続けること。 「頭の引き出しを増やすことが、作りたいと思うスタートになるきっかけですから」 だからこそ、歴史という制約の多い“素材”を扱いながら、これだけさまざまなゲームを作り続けることができるのだろう。 「素材と言いますか、テーマって言いますか、歴史は面白さの“スタート台”だと思ってます。そこからどういう風に面白いゲームを作っていくかということが、コーエーテクモという会社のひとつの特徴になっています。オリエンタルな歴史、文化をもとにゲームを作り、それを世界に発信していく。そういうことができるのが日本の会社であるからこそ。全世界のゲームファンの方々に楽しんでいただける、そういうトリプルAクラスのゲームをこれからも作っていきたいなと思っています」 取材・文/衣輪晋一

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