歴史問題が昨今、世界中で炎上するようになった背景をひもといていく(写真:ilbusca/iStock) 慰安婦問題や徴用工問題など、日韓間で幾度も繰り返される歴史認識問題。さらには自国に都合よく歴史を捉える歴史修正主義も蔓延している。 いま歴史問題は東アジアだけではなく、世界中で炎上しているという。その背景には何があるのか。このたび『 教養としての歴史問題 』を上梓した前川一郎氏が、現代史の大きな流れの中で歴史問題を捉え解説する。 日韓で炎上する歴史問題 先日、韓国のとある植物園に、「慰安婦」像の前で土下座する安倍首相とおぼしき男性の彫像が設置されました。ご存じのように、「慰安婦」問題は、日韓関係の悪化を象徴的に示す歴史問題です。 『教養としての歴史問題』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします) 「永遠の贖罪」と銘打ったこのオブジェ。日本のメディアに激震が走りました。たしかに「挑発的」だったとはいえ、隣国の一私人の行動に、官房長官のコメントまで飛び出す騒ぎです。「嫌韓」メディアは相変わらずで、隣国を罵ることに余念がありません。「『慰安婦』は売春婦」とか、「韓国併合であって、植民地支配ではない」といった類いの話は、いまだに後を絶ちません。 日本には、戦争や植民地支配の責任問題はもう解決したと見る風潮がありますが、そんな理屈は韓国には通じません。国家間の事情で過去を「解決済み」と処理したところで、被害や苦しみを受けた人々の記憶や事実それ自体は、決して消え失せることはないからです。 そう遠くない昔に、日本はアジアを侵略し、植民地支配を行いました。その過去をめぐる「歴史認識」の違い、そこにあった加害の事実を否認する歴史修正主義の問題です。 その根底にあるのは、〈足を踏んだ側はすぐ忘れるが、踏まれた側は忘れない〉という、私たちの誰もが抱くはずの、ごく当たり前の心情です。 その意味では、歴史問題が決して日本特有の現象ではないとしても、そう驚くことではありません。最近も、いわゆる “Black Lives Matter”運動が、歴史に翻弄されたアフリカ系市民に対する差別問題を訴え、欧米諸国を中心にグローバルな広がりを見せています。 歴史問題は、ほかにも世界の至るところで起こっています。なかでも、7つの海を股にかけた大帝国を建設し、第2次世界大戦の戦勝国にして戦争責任の追及を免れたイギリスは、多くの歴史問題を抱えてきました。イギリスは、戦争と植民地支配はもとより、奴隷貿易の時代にまでさかのぼり、およそ近代史上あらゆる類の加害の歴史に深く、そして長く関与してきた国です。 その点では、オランダやベルギー、フランスなど旧植民地保有国も同様です。オランダは奴隷貿易の歴史にも深く関わっていました。戦争責任を追及されたドイツにしても、植民地支配責任については免責状態でしたが、近年、ドイツ統治下のナミビアで起こった大量虐殺に対して、被害者の子孫らから訴訟を起こされています。 オーストラリアでは、先住民虐殺の歴史を「自虐史観」(「喪章史観」)と批判する歴史修正主義が跋扈し、教科書問題に発展しています。 他民族による支配の歴史という点では、ソ連が陰に陽に影響力を行使した東欧やバルト諸国も、歴史問題の震源地です。例えば、2007年4月、エストニアの首都タリンで、ロシア系住民と民族主義者が衝突した流血事件が起こっています。 「ブロンズの夜」と呼ばれる大暴動ですが、背景には、旧ソ連の赤軍兵士のブロンズ像の撤去をめぐる住民の衝突があり、ソ連併合時代(1940~1991年)のエストニアが歴史的に抱え込んだ複雑な「国民史」を物語る事件でした。 植民地主義の“忘却”から“記憶の回復”へ このように、世界で歴史問題が争点と化しているわけですが、ひと昔前までは、状況はずいぶんと違いました。冷戦の時代、国際社会は植民地主義に代表される他国・他民族支配に伴う加害事実や不正義を過度に追及することには後ろ向きでした。むしろ、問題含みの植民地支配責任問題などは棚上げにして、国家間のバランスを保つことに気を配ってきたと言えます。さながら「植民地主義忘却の世界史」です。 ところが、冷戦の崩壊が大きな契機となって、時代は大きく変わり始めます。このとき、普遍的な人権観念を論じる契機が生まれ、他方で旧植民地・途上国で民主化が着実に進展し、経済的にも政治的にも、その国際的立場を向上させていました。そうした変化の中で、歴史に虐げられてきた人々が、自分たちの“記憶”を取り戻そうとする動きが生まれてきたのです。 こうして1990年代以降、植民地主義や奴隷貿易など、それまで不問に付された過去の加害事実や苦しみの記憶の承認を求めて、被害者やその子孫、そして関係者から一斉に声が上がり始めました。彼らの訴えは、情報のグローバリゼーションに乗って瞬時に世界に発信され、訴訟を通じて過去の不正義を告発するグローバルな展開を見せるようになり、今日に至っています。 欧米のアカデミズムやジャーナリズムでは、こうした時代の変化を、「謝罪の時代」とか、「賠償の政治」という言葉で表しています。日本のメディアではあまり聞き慣れない言葉ですが、ポスト冷戦時代の重要な世界の変化として、識者の多くはこれを高く評価しています。 それでも、植民地主義の加害事実に向き合う試みは、現実には多くの困難を抱えています。世界の歴史問題の顚末が物語るように、国際社会の主要国は、問題から目を背け続けています。ほうぼうから指弾された揚げ句に「遺憾の念」を表明することはあっても、植民地主義の“違法性”や加害の“罪”を認めるところまでは至らない、かたくなな姿勢を貫いています。 しかし、急いで付け加えなければなりませんが、国際社会は、過去のすべてに目をつむってきたわけではありません。第2次世界大戦後、ドイツや日本などの敗戦国は、戦争責任を厳しく追及されてきました。多くの課題を残しているとはいえ、両国は、戦争責任には向き合いました。国際軍事裁判(ニュルンベルク裁判)と極東国際軍事裁判(東京裁判)の正当性は、国際的にも承認されています。 ただし、ドイツや日本は、敗戦国とはいえ、もとはといえば英仏らとともに植民地争奪戦を繰り広げた列強の仲間でした。戦勝国は、両国の戦争責任を裁きましたが、植民地主義の加害責任をドイツや日本に問えば、天に唾することになります。 イギリス、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ドイツ、日本など、現代の国際政治の中心に座す主要国はみな、旧宗主国です。彼らは、植民地問題については圧倒的に「支配する側」、加害者の側にありました。 端的に言えば、戦争責任は“法の不遡及”の原則を破ってまで裁いたのに、植民地責任については国際法を盾にして相手にしない。こうして戦争責任は追及するのに、植民地責任は不問に付したのだとすれば、国際社会は全体として、過去をめぐる責任論のダブルスタンダードを甘受してきたと断じなければなりません。 国際社会のこじれた現実を投影した日本の歴史問題 私が、このたび上梓した『教養としての歴史問題』で言わんとしていたことの1つは、日本の歴史認識問題はこうした国際社会のこじれた現実を投影している可能性が大きいのではないか、ということです。 私たちが耳にする歴史修正主義者の言い分は、ざっくりと言えば、〈日本は戦争に負けた。だから他国からとやかく言われる。それは不公平だ。戦争だろうが植民地支配だろうが、みなやっていたではないか〉といった類いの文句です。それは、〈東京裁判は不公平〉〈「慰安婦」制度などどこでもあった〉というような、「どっちもどっち」論や不平不満として表明されます。 さらに言えば、彼らの不満は、「モノを言う弱者」と彼らが勝手に思い込んできた人たちから厳しく責め立てられることで、さらに強いいら立ちや恐れ、感情的な反発を呼び起こしてきたようにみえます。「嫌韓」本は世にはびこりますが、「鬼畜米英」本はまず見当たりません(ここには、加害と被害の過去が同居する、日本の「戦後」が抱えたもう1つのこじれた現実も投影されています)。 思い起こせば、こうした現象が人口に膾炙(かいしゃ)した1990年代後半、日本は「失われた10年(否、20年、30年!)」の入り口に立っていました。バブルがはじけ、政治は不安定を極め、就職氷河期と言われ、社会のレベルでも個人のレベルでも、徹底的に自尊心が傷つけられた時期でした。 そんなとき、〈自分は悪くない、責めるな〉〈日本は悪くない、誇りを持て〉といった文句は、たしかに慰めのメッセージに聞こえたのではないでしょうか。ときに痛快に響いたことでしょう。しかも、一面で責任論をめぐる国際社会のダブルスタンダードを突いていたのはたしかであって、曲がりなりにも論理を装うことができました。もっともらしく聞こえたことでしょう。 それでも、少し冷静になって、こうした言説が飛び交う「時代の土台」を、時間的にも空間的にも、より大きな文脈の中で捉えれば、私たちの身の回りで起きている歴史修正主義の実態を、はっきりと見定めることができます。 つまり、「ホロコーストはなかった」「『慰安婦』は売春婦」「植民地支配は文明化と近代化の恩恵をもたらした」など、今日の歴史修正主義はみなローカライズされた装いで顕在化していますが、一皮むけば、戦争や植民地主義の過去を問い直す動きに反発しているだけなのです。 戦争や植民地主義が刻印した加害の事実を否認し、そうした史実そのものを「なかった」とうそぶく点では、日本であろうがどこであろうが、今日の歴史修正主義は、世界史的にはみな同一次元の現象です。 であるならば、今日の歴史修正主義は、畢竟(ひっきょう)するに加害責任否認論である。しかも、それは日本特有の問題ではない――これが、私が思いつく最も簡潔で汎用性のある、現代版歴史修正主義の定義です。 現代史の大きな流れの中で歴史問題を捉える さて、私がここで述べてきたのは、歴史研究の基本から得られる見方でした。身の回りで起きている特定の現象の意味や性格を、より大きな歴史的文脈に位置づけて読み解く、世界史のリテラシーです。現代史の大きな流れの中で今日の歴史問題を捉えれば、焦点はつねに加害の歴史にあることが、実に明確な姿となって浮かび上がってきます。 そうした加害の歴史に、どう向き合うのか――。 少なくとも、そういう問題の所在をきちんと押さえておけば、思慮と分別を持ち合わせたふつうの“大人”――年齢や立場ではなく、社会的責任を担うと自覚のある人という意味で――たちが、歴史修正主義者が弄する詭弁に惑わされ、足をすくわれることはなかろうと思うのです。 前川 一郎さんの最新公開記事をメールで受け取る(著者フォロー)
いま世界で「歴史問題」が炎上している理由
