長崎県対馬、歴史ある国境の離島は「デジタル実験の島」になっていた

長崎県対馬、歴史ある国境の離島は「デジタル実験の島」になっていた

長崎県の対馬(対馬市)は、九州本土から130kmほど離れている一方で、韓国・釜山とはわずか50kmの近さにある「国境の島」である。その名は古代の「古事記」や「日本書紀」にも記されているほか、江戸時代には「朝鮮通信使」の寄港/経由地になるなど、古くからユーラシア大陸と日本列島との文化、外交、経済交流の玄関口として発展してきた。 国内の離島としては3番目に広く、豊かな海と森、数々の史跡を有するこの島では、現在は漁業や林業、観光業などが盛んだ。人口はおよそ2万8000人、世帯数は1万5000世帯ほどである(対馬市データ、2023年7月末現在)。 この歴史ある離島を舞台に、「デジタル」を駆使して地域活性化の挑戦を続ける人がいる。対馬に生まれ育った、コミュニティメディア 代表取締役の米田利己(としみ)さんだ。 実は対馬では、島内の全世帯を含むおよそ1万7000戸に光ファイバー網が敷設されている。コミュニティメディアでは、このネットワークインフラを利用したケーブルTVやインターネットプロバイダ、IP電話といったサービス事業を展開するとともに、防災や消防、医療、福祉といった行政サービスの支援、実証実験なども手がけてきた。 さらに「デジタルハリウッドSTUDIO対馬」や「コワーキングスペースAGORA対馬」を立ち上げ、地元に学びの場と実践の場を提供することで、WebデザイナーやCG/映像クリエイターといったIT/クリエイター人材育成にも力を入れている。ほかにもドローンパイロット、海洋デジタルツイン/メタバーススキル人材など、地域の特色も生かした人材育成に取り組む。 この離島でなぜ、どのような取り組みにチャレンジしているのか。今回はこれまでの取り組みや将来像について聞いた。 「イージス艦」と「離島」の共通点とは? 米田さんは大学卒業後、国内の大手電機メーカーに入社し、制御系ソフトウェアのエンジニアとしてキャリアをスタートした。地元長崎への配属を強く希望した結果、防衛庁(当時)の担当部門に配属され、護衛艦(イージス艦)の艦内情報システムを開発することになった。 船舶内部のインフラについて、米田さんは「ひとつの街のインフラ」のようなものだと表現する。航行中の船舶は、外部からのサポートなしで自律的に稼働できなければならない。そのため、艦内に設置された情報システムとネットワークが、電力(発電)、空調/水処理、防災、さらに放送といった機能の稼働を支えることになる。 米田さんは、そうしたインフラ全体を監視、制御するようなシステムを構築してきたわけだ。「この仕事を通じて、通信やコンピューターの部分だけでなく、ひとつの街のシステム全体を見るのと同じような経験をしました」(米田さん)。この経験を生かし、入社10年後には艦内情報システムの仕事と並行して、さまざまな地域/自治体の情報化も手がけるようになった。 こうした経験が、対馬というひとつの島、ひとつの街を幅広く支えるような現在の取り組みにつながっていくことになる。 コミュニティメディアは2007年、長崎市の出島にある産学官連携インキュベーション施設で創業した。2008年には対馬全域をカバーする「対馬市CATV」の指定管理者となり、ケーブルTV事業をスタート。自主番組の制作を手がけるほか、プロバイダ事業、IP電話サービスなども展開している。ちなみに、IP電話は島内ならばどこにかけても無料だ。 さらに、各戸に設置された「告知端末」を使った自治体や各区長からのお知らせ放送、島内に多くある各漁港のライブカメラ映像配信など、ITを使った行政サービスの支援も行っている。過去には、各戸のインターネットとバイタルセンサーなどを組み合わせ、医療機関や福祉施設と情報をつなぐことで、一人暮らしのお年寄りを地域で見守るサービスの実証実験を行ったこともある。 こうしたサービスや実証実験が迅速に展開できるのは、あらかじめ光ファイバというインフラがすべての世帯に整っているからこそだろう。ネットを使った新たな実験や取り組みにチャレンジしやすい環境なのだ。 ちなみに、対馬のネットワークインフラは行政や生活を支える重要な役割を持つため、艦船と同じように島が単独で“自律航行”できるように設計しているという。 「たとえば護衛艦のネットワークでは、船の右舷と左舷のどちらかが切断されても瞬時に通信が回復できるように、という設計要件がありました。この島のネットワークも同じです。対馬全体を二重のループ(リング)で結んでおり、たとえどこかのケーブルが切れても自動でループバックして(折り返して)、通信が維持できる形に設計しています」 そのほかにも、たとえば本土と結ぶインターネット回線(海底ケーブル)が切断されるリスクを考慮して、行政や通信などの重要なシステムは島内のデータセンターで(つまり巨大なイントラネットとして)運用し、バックアップを島外に置いているという。まさに離島ならではの備えと言えるだろう。 IT/クリエイター人材の「学びの場」「活躍の場」を離島に作る 米田さんが注力するもうひとつの取り組みが、地元でのIT/クリエイター人材育成だ。対馬が抱える大きな課題は、学ぶ場や就職先が少ないために「高校を卒業したら多くの人が島を出てしまうこと」(米田さん)である。 それならばまず学ぶ場を作ろうと、ITスクールのデジタルハリウッドSTUDIOを2018年に開校し、WebデザイナーやCG/映像クリエイターを育成している。さらに現在では、独自のカリキュラムを組んでドローンパイロットの育成にも乗り出している。 デジタルハリウッドSTUDIO対馬の隣にはコワーキングスペースAGORA対馬も設けた。長崎市の出島、雲仙市にも拠点があり、デジタルハリウッドの卒業生や在校生、さらに企業から出張やワーケーションで来た人などが利用する。これらの拠点間の人の行き来、交流も積極的に行っている。 「ここは仕事をするだけでなく、毎週早朝ヨガ教室をやっていたり、落語会や映画の上映会といったコミュニティイベントを開催したりもしています。それから、デジタルハリウッドSTUDIOの先生方がこちらで待機して、オンラインで生徒さんからの問い合わせに対応したりもされていますね」 こうした人材育成の取り組みを続けてきた結果、実績も徐々に生まれてきているという。Webデザイナーは地元自治体や企業などのWebサイトを手がけるほか、芸術祭「対馬アートファンタジア」のオンライン展示会場も構築した。また、対馬市CATVでは卒業生の映像クリエイターたちが働き、対馬をロケ地とした映像や番組の制作をサポートすることも多いという。美しい島の自然を映すドローン撮影もお手のものだ。 米田さんは「ふつうは最低でも人口30万、40万の都市で開校するようなスクールを、人口3万人ほどの対馬でやっている。それだけに“非常にとがった”場所として、全国的にも認知していただいているようです」と語る。 人材育成において、学んだことが生かせる実践の場がすぐそばにあることの意義は大きい。そして人口が少ないがゆえに、活躍の機会には恵まれるはずだ。さらに米田さんは、離島ならではの仕事のあり方も考えていると語る。 「ここでは『専業』じゃなくてもいいと思うんですよね。たとえば漁業や農業といった家業を手伝いながら、Webデザイナーもやるとか。以前、農地に肥料をまくドローンのデモ飛行を行ったのですが、それまで『農業には興味がない』と言っていたお孫さんたちも、ドローンが飛ぶということで見に来られて、『これならやってもいいかも』と興味を持っていただきました」 「海洋デジタルツイン」など、地域の特色を生かした次代の取り組みを そして現在、コミュニティメディアが新たに取り組んでいるテーマが「メタバース」「デジタルツイン」だ。それも、対馬という地域の特色を生かしたかたちでの取り組みを進めようとしている。 昨年(2022年)11月から、長崎大学との共同講座として実施されたのが「海洋デジタルツイン講座」である。これは経済産業省の共同講座創造支援事業にも採択された。 「長崎大学で海洋水中ドローンを研究されている先生からテーマをいただき、コミュニティメディアが講座カリキュラムを構成して実施しました。研究室で開発している海中ドローンで海の中を撮影すれば、(ゲームエンジンの)Unreal Engineでこういう風に可視化できます、と。Unreal Engineを使ったことのない初心者の方も含め、入門編の講座を全5回受けていただきました。今年度はさらに応用編のコースも準備しています」 専務取締役の米田伊織さんによると、ゴミの漂着、赤潮の発生など、対馬は「全国でも最先端の海の課題」を抱えており、そのために全国や世界から多くの研究者が訪れるという。海洋デジタルツインの構築が進めば、そうした研究にも役立てられるはずだ。 米田利己さんは、メタバース/デジタルツインは海洋/漁業だけでなく農業、商業、観光業など幅広い分野に適用できるテクノロジーであること、構築に関わる職種もプログラマーだけでなくシステムデザイナー、空間デザイナー、モデラー、ビルダー(3Dオブジェクトの作成や配置を行う人)と幅広いことを説明した。つまり、ここにまた新たなビジネスの可能性と人材育成の需要が眠っているわけだ。 「実際に(メタバースで)『対馬を作ってほしい』『この街を作ってほしい』といったご相談はたくさんいただくのですが、すぐに作れるビルダーがいるかというといない(足りない)。やはり人材を育成するところから始めたいと、カリキュラムを作っています。そこから、たとえば3Dキャラクターや植物を作ったりと、いろんなパーツを作って販売をする、そうした新しいビジネスも生み出していきたいと考えています」 * * * 米田さんは、「“対馬”コミュニティメディア」のように社名に地名を付けなかった理由について、「このビジネスモデルはどこでもできるのではないかと思っているから」だと答えた。 「たとえばエネルギーの世界でも地産地消の考え方(マイクログリッド)が出てきていますが、何か大きなところ(都市)から供給してもらうだけというのでは、やはり地域は成り立たなくなります。地域で完結してできるために、いろんな人がいろんなかたちでいる、そして雇用や産業を作っていく。それが大切だと考えています。このモデルをいろいろな地域で展開して、それが将来つながって、人の交流や仕事のサポートなどの取り組みが広域でできるようになればいいかな、と」 「離島」と聞くと、インフラが貧弱で、ビジネスにも人材育成にも極めて不利な場所のように思ってしまいがちだ。しかし、対馬は決してそうではなかった。米田さんのような人がいること、そして人の往来と交流を生み出していることが、地域を活気づけている。かつての「交易の拠点」はデジタル時代にどんな変化を遂げていくのだろうか。 (取材協力:Photosynth)

元の記事の確認はこちらクリックでお願いします。 www.msn.com

この記事を書いた人

目次
閉じる