日本でも不動産など資産価格の上昇が続く。イメージ写真(写真:Makoto_Honda /Shutterstock.com) 3枚の画像を見る 2025年を迎え、主要中央銀行は米政府による関税引き上げの影響を注視し始めている。物価上昇圧力が高まれば、金融政策の方向を左右するため、市場参加者からの注目も高まっている。ただし、米政府の姿勢が状況に応じて転々と変化していくことが想定され、エコノミストは描きづらい物価見通しに頭を抱えている。 そこで今回は、当面の不安定な状況に左右されないためにも、「金利の歴史」を検討した前回記事「 かつては2%だった金利の下限、21世紀に始まるマイナス金利やゼロ金利は格差社会に対する警鐘だったのか 」に引き続き、超長期目線で物価や通貨システムの立ち位置を考えたい。 (平山 賢一:東京海上アセットマネジメント チーフストラテジスト) 物価は百年単位で波動を描く 筆者は、2024年11月末に、過去数千年にわたる通貨と物価の歴史を繙いた書籍『 物価の歴史 』を発刊した。そこで記した超長期にわたる物価と通貨システムを確認した上で、足元で発生している賃金上昇と資産価格上昇の関係について整理してみよう。歴史の軸から物価を見ると、フレーミングの違いにより、これまで見えなかった事実が浮かび上がってくるからだ。 前回記事では、「金利の歴史」を繙き、国債利回りの2%割れが常態化する国々が頻出するならば、数百年にわたる経済の仕組みの転換の兆候の一つかもしれないと指摘した。 なかなか手に入らない「資本」には、その見返りに金利や配当が支払われてきたが、その希少性が低下しているからである。世界中を巨額資金が投資機会を求めて徘徊していることからも、当たり前と考えられてきた資本主義の常識が揺らぎ始めていると言ってもよいだろう。 中世以前の欧州では、金利の徴収そのものがネガティブに捉えられていた。それだけに、21世紀初頭に発生したマイナス金利やゼロ金利は、格差が拡大するグローバル社会に対する警鐘と大転換の象徴と捉えられなくもない。 それでは、物価の歴史から考えると現在のグローバル社会はどのように見えてくるだろうか? また、物価の変化は、通貨をモノサシとして計測されるため、物価と表裏一体の「通貨システムの歴史」と読み替えてもよいだろう。 数百年にわたり、物価がどのように変化してきたのかを把握するのは難しい。超長期で比較するデータが少ないからだ。だが、大雑把にイメージできないわけではない。通期で得られるデータは少ないものの、特定の期間の主要物資などの価格を基に類推できるからである。 ある物価研究家によれば、13世紀以降、英国や欧州の物価は、百年単位での波動を描いているという。 歴史的にも過激なインフレになった1970年代 各波動は、それぞれ「物価・安定均衡期」→「物価上昇・変動期」→「物価安定化期」という3つの期間から構成されるそうだ。物価上昇・変動期は、13世紀、16世紀、18世紀、20世紀が相当するため、数百年単位で物価上昇期が到来したと言える。 物価上昇が落ち着きを取り戻し、物価が安定化するのは、14世紀および17世紀のように、黒死病の流行による人口減少圧力が高まるケースだけでなく、19世紀のように産業革命の浸透により生産性が上昇するケースや、20世紀末のように情報社会化の世界的な浸透によるエネルギー需要の増加ペースが減退するケースなどが挙げられる。 過去100年程度を見ているだけでは気がつかないが、20世紀の物価上昇は、歴史的に過激なインフレであった。数百年単位で物価の歴史を繙くと、過去3回の物価上昇・変動期をはるかに上回るものであったからである。 高い人口増加率、産業化に伴うエネルギー価格上昇、グローバル経済を左右する大規模な戦争、ニクソン・ショックによる国際通貨システムの大転換といった要因が重層的にはたらき、歴史上も稀なインフレを発生させたと考えられる。 フランス革命からナポレオン戦争に至るフランスや南北戦争期の米国のように、局所的に発生するインフレ事例はあるが、世界中で同時発生的に高いインフレ率が続いたケースは少ない。 【図1】英米のインフレ率の推移 拡大画像表示 図1は、大きな変化を把握しやすいように、10年単位での英米のインフレ率をグラフ化したものである。 特に1971年に発生したニクソン・ショック以降に、モノやサービスの価格が上昇しているのに気がつくだろう。通貨の価値が低下したと言い換え得る。金地金を裏付けにした国際決済通貨である米ドルが、米国政府の信認を裏付けに発行される通貨に移行したショックは、国際通貨システム全体の位置づけを低下させたと言えよう。 単なる特定地域のみで採用される決済通貨の性格が変わったのではなく、米ドルという国際決済通貨が金との兌換を停止したため、物価上昇もグローバルに拡散したのである。現在進行中の2020年代は、ニクソン・ショック級の通貨システムの転換がなければ、1970年代に経験したような世界的な物価上昇には至らないということである。 一方で現在は、数十年単位で繰り返される国際関係の悪化が続いているため、ある程度の物価上昇を受け入れなければならない。資材や製品のサプライチェーンや国境を越えた資金移動が、分断を理由に、数年から十数年は物価上昇圧力として働く可能性は否定できないからである。 賃金上昇圧力が高まる中での資産価格上昇 また、わが国の場合、長く他地域よりも低いインフレ率を享受していたものの、安閑としてばかりはいられない。物価の歴史を繙くと、明治維新前後や第二次世界大戦前後には、急激な物価上昇が発生しているからである。 日本のインフレ率は、長期にわたり安定的に推移する慣性がはたらくものの、変化する際には、反動的に大幅に動く傾向がある点には注意が必要と言えよう。 わが国に限って言えば、物価急上昇は、約80年ごとの周期を伴い社会全体を揺るがしてきただけに、世界的な緩やかな物価上昇とは一線を画す可能性もあり、注意深く見守る必要がありそうだ。 ところで、歴史上のパターンを踏襲するならば、14世紀や17世紀の疫病流行後に労働人口が減少し、賃金が上昇する局面では、資産価格が頭打ちになる傾向があった。農地や資本を提供してきた富裕層にとっては、受難の時代を迎えていたのである。 しかし、現在は、賃金上昇の圧力が高まるものの、資産価格も同時に上昇しており、歴史的なパターンを踏襲していない。 国債利回りの歴史的下限であった2%割れが常態化する地域が続出し、マイナス金利も発生したトラウマが、低い金利収入を嫌った富裕層に、株式を含む多様な資産への投資を促したからかもしれない。 暗号資産の登場、金地金の再評価が意味すること また、通貨の歴史を繙けば、米国政府の信用に裏付けられた国際通貨システムから逃げるように、暗号資産(仮想通貨)が生まれ、金地金の再評価が進んでいる。これらは、発行額を容易に増やせないないという特徴がある資産であり、溢れ出る不換紙幣(金や銀といった貴金属との交換を前提としないため、発行額の制約がない紙幣のこと)の対抗馬として再評価され始めているのである。 つまり、マイナス金利、増殖する金融資産、暗号資産等の再評価といった兆候が示すように、1970年代以降の不換紙幣を基にした金融秩序の歪みが表面化しているわけだ。 ニクソン・ショック級の通貨システムの転換には至らないとしても、際限なく増殖してきた紙幣や預金への疑問が生じてきていると言ってもよいだろう。グローバル金融危機やコロナ危機に際して、主要中央銀行が実施した量的金融緩和は、その極端な事例の一つでもあった。 1970年代に労働分配率がピークアウトする過程で、低金利が進む中で金融資産が累増し、グローバルで格差が拡大してきている。しかし、歴史のパターンに則れば、疫病の影響で労働人口が大幅に減少し、賃金上昇をもたらしたため、拡がった格差は是正されてきた。 現代は、日本・欧州をはじめとする先進国だけでなく中国でも進む生産年齢人口の減少がボディーブローのように賃金上昇圧力を高めている。大規模企業が採用し始めている人的資本経営の潮流も、従業員への分配を厚くするようになっており、賃金上昇はグローバルな動きになっている。 ところが、低金利の常態化に促されて資産価格の上昇が続いているため、格差は縮小するどころか拡大している。歴史的なパターンとは異なるため、居心地の悪さが残るようになっているのである。 2025年は、歴史のパターンと異なる現在の状況が続くのか否かにより、金融市場の方向性を左右する年になりそうだ。 仮に、現状が続かず歴史的なパターンに回帰するならば、シナリオは2つ考えられる。第一のシナリオは、賃金・物価上昇が再燃し、資産価格の上昇を抑え込むケース。第二のシナリオは、賃金上昇が沈静化して資産価格が上昇し続けるケースである。物価の歴史からも賃金上昇が注目されることになりそうだ。 […]
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