「教育勅語」が「忠孝」の起源を「天皇の先祖=アマテラス」にあると考える「驚きの理由」

「教育勅語」が「忠孝」の起源を「天皇の先祖=アマテラス」にあると考える「驚きの理由」

神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。 ※本記事は辻田真佐憲『 「戦前」の正体 』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。 忠孝の起源=アマテラス? さてやや遠回りしたが、では、会沢はこの神勅を使って、どのようにアマテラスが忠孝を打ち立てたと述べているのか。 会沢はまず、「天壌無窮の神勅」に注目する。さきほど説明したように、これは、中つ国(日本)は永遠にアマテラスの子孫が支配すべきだと述べたものだ。ということは、日本に住むそれ以外のものたちは、自動的にアマテラスの子孫の臣下になるということを意味する。 つまり、ここで君臣の義(忠)が成立したというのである。 (天祖、)天下を以て皇孫に伝へたまふに迨(およ)んで、手づから三器を授け(中略)たまふ。天胤の尊きこと、厳乎としてそれ犯すべからず。君臣の分定りて、大義以て明らかなり。 つぎに会沢は、「宝鏡奉斎の神勅」に注目する。天照大神はここで八咫鏡を与え、それを自分だと思って大切にせよと述べている。鏡は祖先であり、それを大事にすることは子孫にとって祖先に仕えることを意味する。つまりこれは、父子の親(孝)にほかならない。 アマテラスは女神だし、かなり苦しい気がするが、とにかく、そういう理屈になっている。 天祖の神器を伝へたまふや、特に宝鏡を執り祝(ほ)ぎて曰く「これを視ること、なほ吾を視るがごとくせよ」と。而して万世奉祀して、以て天祖の神となし、聖子神孫、宝鏡を仰ぎて影をその中に見たまふ。(中略)父子の親は敦くして、至恩は以て隆んなり。 このように、会沢は『日本書紀』の一部を都合よく引き合いに出して、アマテラス(天祖)が忠孝の道を打ち立てたと結論づけるのである。 天祖すでにこの二者を以てして人紀を建て、訓を万世に垂れたまふ。 忠孝の起源を中国の古典ではなく、日本の神話に求める。これが『新論』のユニークなところだった。 教育勅語の背後にあるもの 以上を踏まえると、いささかわかりにくかった教育勅語の冒頭もよく理解できるだろう。 朕惟ふに、我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。 ここでいう「国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚」には、アマテラスが定めた忠孝の道を、神武天皇以下歴代の天皇が守ってきたという「含意」があると考えられる(「皇祖」をアマテラスだとする解釈もあるが、起草者の井上毅はこれを神武天皇だとしている)。 ここまでの話をまとめてみよう。 photo by iStock 日本では、天照大神が「天壌無窮の神勅」および「宝鏡奉斎の神勅」により、忠孝の道徳を打ち立てた。歴代の天皇および臣民は、この忠孝の道徳をしっかり守り、忠孝の四角形は一度たりとも崩れなかった。 そのため、易姓革命は起こらず、天皇家は万世一系を保っている。それが国体の精華である。 さきほども述べたように、教育勅語の背景にはこのような思想があるのであって、ただその一部分を切り出してきて、親孝行の部分は現代にも通じるなどと論じても意味がない。 それでも教育勅語に拘泥するのはある種のフェティシズムではないか。 さらに連載記事< 「日本の初代天皇」とされる「神武天皇」のお墓がどこにあるか知っていますか >では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。 *本記事の抜粋元・辻田真佐憲『 「戦前」の正体 』(講談社現代新書)では、「君が代はなぜ普及したのか?」「神武天皇によく似た「ある人物」とは?」「建国記念の日が生まれた背景とは?」……といった様々なトピックを通じて、日本人が意外と知らない「戦前の日本」の正体を浮き彫りにしていきます。「新書大賞2024」で第7位にランクインした、「ためになる」「わかりやすい」と話題のベストセラーです。

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