なぜ、ロシア−ウクライナ戦争は起きたのか。実は100年以上も前から、地政学者たちはこのような事態を予見し、警鐘を鳴らしていました(写真:weyo/PIXTA) 歴史は時として奇妙な相似形を描きます。2022年に始まったロシア−ウクライナ戦争は、世界に大きな衝撃を与えました。そもそも、なぜこの戦争は起きたのか。 実は100年以上も前から、地政学者たちはこのような事態を予見し、警鐘を鳴らしていました。地政学動画で平均150万回再生を記録する社會部部長が、不変の地政学の法則を解説した『 あの国の本当の思惑を見抜く地政学 』より一部抜粋、再構成してお届けします。 「世界で最も嫌われる学者」の主張 ロシアの地理的脆弱性は、ウクライナとロシアの軋轢にも直結する重要な側面です。2014年、ロシアがウクライナ領クリミア半島を侵攻・占領した際、当然ですが、欧米の首脳たちは口を揃えて「ロシアに一方的な責任がある」と非難しました。しかし、欧米の人々がロシアを責める中で、この見方を真っ向から否定して物議を醸した人物がいました。それが国際政治学者のジョン・ミアシャイマー氏です。 ミアシャイマー氏は、「世界で最も嫌われる学者」と呼ばれることもあります。それもそのはず。ミアシャイマー氏は、「ウクライナ危機の責任のほぼすべてが欧米にある」という、大多数の意見とは正反対の持論を展開したからです。ミアシャイマー氏は2014年の記事の中で、ロシアが戦争を起こした真の動機は、長年の欧米によるロシアを追い詰める外交政策にあったと指摘しました。 「欧米における通説によれば、ウクライナ危機の責任はほとんどがロシアの野心にあるという……しかし、この通説は間違っている。この危機の真犯人は、アメリカとヨーロッパの同盟国だからだ。 この問題の真の根源は、NATOの東方拡大による、ウクライナをロシアの影響力から切り離し、欧米に統合しようとする戦略にある……1990年代半ば以来、ロシアの指導者たちはNATO拡大に断固として反対してきた。 そして近年では、ロシアにとって戦略的に重要な隣国が欧米の砦と化すことを決して容認することはない、と明言してきた……プーチンは、NATO の海軍基地が置かれる恐れのあるクリミア半島を占領した上で、ウクライナが欧米への接近を止めるまで情勢を不安定なままにするつもりだ……プーチンの反発は驚きには値しない。 結局、ロシアの裏庭に進出し、その核心的な戦略的地位を脅かしてきたのは欧米だったのだから。プーチンはこのことを繰り返し強調してきた。それにもかかわらず、欧米の指導者たちが不意を突かれた理由は、彼らが国際政治について誤った見方をしていたからに他ならない。 彼らは現実主義の論理は21世紀には不要であり、法の支配、経済的相互依存、民主主義などの自由主義原則によって、ヨーロッパの統一と自由が保証されると思い込んでいるのだ。しかしこの壮大な構想はウクライナで失敗した」 1990年代からウクライナ戦争を予見 ミアシャイマー氏は、1990年代の早い段階からウクライナ戦争を予見していた数少ない学者でした。それが可能だった理由の1つは、ロシア視点の地理的現実を直視していたからでしょう。ミアシャイマー氏は早くも1993年の記事でこう述べていました。 「ロシアとウクライナの関係は今後悪化する可能性が十分にある。第一に、両国は安全保障の軋轢が発生しやすい条件を持っている。ロシアとウクライナのように、無防備で長い国境を共有する大国は、しばしば安全保障上の懸念から対立に陥る……ロシアとウクライナが戦争をすれば大惨事になるだろう。大国を巻き込む戦争は莫大な犠牲と世界的な混乱を引き起こし、他の国々を巻き込む可能性さえある。ロシアがウクライナを再征服するようなことになれば、ヨーロッパ全体の平和が損なわれるだろう」 2014年には、あらためてウクライナが特異な地政学的立場にあると指摘しました。 「プーチンの行動を理解するのは容易だ。ウクライナは、かつてナポレオン時代のフランス、帝政ドイツ、ナチス・ドイツがロシアを攻撃するために通過した広大な平地に位置している。そのため、ウクライナはロシアにとって戦略的に非常に重要な緩衝国家なのだ……アメリカは地政学の基礎の基礎を理解するべきだ。すなわち、大国は常に自国領土近くの潜在的脅威に敏感である……仮に中国がカナダとメキシコと軍事同盟を結んだら、と想像してほしい。アメリカは必ず激怒するはずだ」 (出所)『あの国の本当の思惑を見抜く地政学』 ミアシャイマー氏は、「この問題を解決する唯一の方法は、ウクライナを緩衝国家(緩衝地帯の役目を担う中小国)に留めておくことだ」と言います。欧米は、ロシアの置かれた立場を冷静かつ現実的に考え、ウクライナを欧米にもロシアにも寄り切らない中立緩衝国であり続けさせることこそが、長期的な平和に繫がると言うのです。 ミアシャイマー氏の議論は、地政学の観点から捉えると非常に興味深いものです。というのも、ロシアに関してこれと驚くほどそっくりの主張が、ウクライナ危機の100年前になされたからです。その主張を行った人物こそ、地政学の父、ハルフォード・マッキンダーです。 冷戦終結後と100年前の共通点 ウクライナ情勢が徐々に悪化し始めた冷戦終結後の時代と、その100年前の第一次世界大戦終結後の時代には、ある共通点があります。それは、楽観論が蔓延していた点です。 冷戦終結後は、40年以上世界を二分してきた冷戦構造がようやく融解し、アメリカ率いる西側陣営とソ連率いる東側陣営が和解した時代です。欧米人は、この事実をもって、「ようやく世界から大国間争いが永遠になくなるときが来た」と安堵しました。「これからの時代には、欧米流の自由民主主義が全世界に広がり、ロシアや中国も欧米と手と手を取り合って平和を謳歌する」と、多くの人々が大真面目に考えていたのです。 実は、このような楽観論は第一次世界大戦終結後にも広がりました。第一次世界大戦は、当時の時点で人類史上最大規模の破壊・被害者を出した戦争でした。これほどの戦争を経た結果、人々は平和の尊さをあらためて嚙み締め、「こんなに大きな戦争はもう二度と起こらないはずだ」と確信していました。実際、当時この戦争は「戦争を終わらせるための戦争(The War to End Wars)」と呼ばれていたほどです。 当時のウィルソン米大統領も、この戦争における民主主義陣営(イギリス、フランス、アメリカなど)の勝利をもって、「民主主義こそ人類の理想であり、それを世界中に届ける責務がある」と発表しました。冷戦終結後と奇妙なほど似ています。 (出所)『あの国の本当の思惑を見抜く地政学』 この楽観論に一喝したのがマッキンダーでした。マッキンダーが1919年に著した『民主主義の理想と現実』は、次の序文から始まります。 「目下我々の頭の中は、未だに一切を巻き込んだ戦争の生々しい記憶でいっぱいである……こういうときには、疲れ切った人たちがもう戦争はごめんだと思う単純な理由から、得てして永久的な平和が訪れるかのように錯覚する誘惑に陥りやすい。けれども国際的な緊張は、最初はゆっくりでも、どのみちまた増加の一途を辿るだろう……もし我々が将来戦争のない世界を作ろうという国際連盟の理想を貫徹したいならば……地理的な事実をよく弁えた上で、これらの影響に対処する方策を考える必要があるだろう」 東欧に緩衝地帯を作ることを提案 要するに、「戦争直後に一時的に広がる平和への願いは次第に薄くなるので、そのような一時の感情で揺らがない、長期的で地理的現実を踏まえた平和体制を構築するべきだ」と訴えたのです。では、マッキンダーの考えた平和体制とは一体どんなものだったのでしょうか。一言でいえば、それは東欧に緩衝地帯(国と国の間に位置する、どちらの国の領土にも含まれない地帯)を作ることでした。 今のドイツとは違い、第一次世界大戦まで、ドイツの領土は今日よりも東に大きく突き出ていて、ロシアと長い国境を共有していました。しかし、戦争でドイツと同盟国のオーストリア・ハンガリー帝国が敗れたため、連合国はここ一帯の国境を新たに引き直す機会を得ました。そこでマッキンダーは、ここに複数の新たな独立国家を設けることを提案しました。 なお、ここに独立国家を作り出すことは戦争終結前からほぼ決定していましたが、その主目的はあくまで民族自決、つまり「各民族は自分たちの独立国家を持つべき」という理念を叶えるためでした。しかし、マッキンダーが論じたのは、東欧に独立国家群が誕生する地政学的意義でした。 マッキンダーの唱える「東欧に独立国家群が誕生する地政学的意義」は、大きく分けて2つありました。 まず1つ目が、ドイツのハートランド支配を防げることです。マッキンダーにとって、この戦争で最も注目に値したのは、ドイツがロシアの一部を一時的に占領したことでした。 この戦争でドイツとロシアは敵対関係にありましたが、ロシア国内は革命で混乱しており、ドイツはこれに便乗してロシアを打ち倒しました。そして講和条件として、現代のウクライナからエストニアにかけての地域を割譲させたのです。 東欧を制する者は世界を制する 『あの国の本当の思惑を見抜く 地政学』(サンマーク出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします このときのドイツは、広大な領土を獲得した上に、ロシアを従属させるという、ユーラシア大陸の覇者のような状態でした。マッキンダーは、「もしこの時点でドイツが戦争を終わらせていれば、時間をかけてハートランドの膨大な資源を大艦隊の創設に動員し、イギリスやアメリカなどの島嶼地帯を征服する力を得ていただろう」と振り返りました。 結果的に負けたとはいえ、マッキンダーにとってドイツが一時的にでもハートランド支配を確立したことは大きな脅威に映りました。そこで、二度とドイツがハートランドを支配できないよう、東欧に独立国家群を設けることを訴えたのです。東欧がドイツに取られなければ、ドイツはその東のハートランドに進むことはできません。 いわば東欧には、ドイツの東進を止める防壁としての役割が期待されたのです。マッキンダーは、東欧の戦略的重要性を謳った こんな格言を残しました。 東欧を制する者はハートランドを制する。 […]
ロシアーウクライナ戦争が起こった歴史的な必然
