江戸時代の盲目の天才・鳥山検校(とりやまけんぎょう)とは?

江戸時代には、多くの文化人や芸術家が活躍しましたが、その中でも異色の存在として知られるのが鳥山検校(とりやま けんぎょう)です。鳥山検校は、盲目でありながら優れた和算家(数学者)であり、俳諧や囲碁、音楽にも秀でた人物でした。彼の名は、当時の知識人たちの間で広く知られており、**「江戸の盲目の天才」**とも呼ばれています。

本稿では、鳥山検校の生涯、業績、そして江戸時代の社会における彼の影響について詳しく解説します。


目次

① 検校とは?鳥山検校の生い立ち

● 「検校」とは?

「検校(けんぎょう)」とは、江戸時代の盲人(視覚障がい者)の最高位の官職のことです。当時、日本では盲人の社会的地位を確立するために、「当道座(とうどうざ)」と呼ばれる盲人の組織が存在しました。この組織は、幕府の公認のもとで運営されており、盲人は按摩(あんま)や鍼灸(しんきゅう)、音楽(琵琶や三味線)などの職業に従事していました。

当道座の階級制度には、「別当」→「勾当(こうとう)」→「座頭(ざとう)」→「検校(けんぎょう)」 という序列があり、検校はその頂点に立つ存在でした。検校になるには、才能だけでなく、経済力や人脈も必要とされ、非常に限られた人物しか到達できませんでした。

● 鳥山検校の生い立ち

鳥山検校の詳細な生年月日や出生地についての記録は残されていませんが、江戸時代中期の人物であることは確かです。彼は幼い頃に視力を失いましたが、類まれな記憶力と計算能力を持ち、和算(日本独自の数学)を学ぶことでその才能を開花させました。


② 鳥山検校の業績と才能

鳥山検校は、江戸時代において和算家、俳諧師、囲碁棋士、音楽家として活躍しました。盲目でありながら、さまざまな分野で秀でた才能を発揮し、多くの人々に影響を与えました。

● ① 和算の天才

和算とは、日本独自の数学のことであり、江戸時代には多くの和算家が登場し、独自の計算法を発展させました。鳥山検校は、和算においても天才的な頭脳を持ち、そろばんや暗算を駆使して驚異的な計算能力を発揮したと伝えられています。

また、彼は**「九九」を18×18まで覚えていた**とも言われており、その数学的能力は当時の知識人たちからも称賛されていました。盲目でありながら和算を極めた彼の存在は、後の和算家たちにも大きな影響を与えたと考えられます。

● ② 俳諧と文学の才能

鳥山検校は、**俳諧(はいかい)**にも優れた才能を持ち、多くの俳句を詠んでいました。江戸時代の俳諧文化は松尾芭蕉を筆頭に発展を遂げていましたが、鳥山検校もその流れに乗り、独自の作風を確立しました。

彼の俳諧は、視覚障がい者ならではの鋭い感性が表れており、音や匂い、手触りを通じて世界を表現する独特の美学を持っていたといいます。

● ③ 囲碁の名人

鳥山検校は、囲碁の達人としても知られていました。江戸時代には、囲碁は武士や町人の間で非常に人気のある娯楽であり、「碁打ち」と呼ばれる職業棋士が幕府から保護されるほどでした。

盲目でありながら、盤面を手で触れて確認しながら対局し、並み居る強豪たちを打ち負かしたと伝えられています。その実力は、幕府の碁打ちたちにも認められるほどだったといわれています。

● ④ 音楽家としての功績

盲人の職業として、江戸時代には音楽が重要な役割を果たしていました。鳥山検校も、三味線や琵琶などの楽器を巧みに操り、多くの門弟を育てたとされています。

特に、彼が得意としたのは「筑前琵琶」と呼ばれる楽器で、これは物語を語るための楽器として発展しました。鳥山検校は、琵琶の演奏と語りの名人として知られ、その語り口の巧みさは多くの人を魅了したと言われています。


③ 江戸時代における鳥山検校の影響

鳥山検校の存在は、江戸時代の社会において非常に大きな意味を持っていました。

● 盲人の社会的地位の向上

当時の盲人は、当道座の庇護を受けることで職業的な地位を確立することができましたが、一般的にはまだ差別の対象となることも少なくありませんでした。しかし、鳥山検校のように多方面で才能を発揮する盲人の存在は、社会全体の盲人に対する認識を変えるきっかけとなりました。

● 知識人たちとの交流

鳥山検校は、その才能によって多くの知識人や文化人たちと交流を持ちました。特に、和算家や俳諧師、囲碁棋士たちとの交流は、彼の名声を一層高めるものとなりました。

彼の存在は、**「視覚障がいがあっても、知性と努力によって道を切り開ける」**ということを示す好例となり、多くの人々に勇気を与えたと考えられます。


④ まとめ:鳥山検校は「江戸時代の盲目の天才」

鳥山検校は、和算、俳諧、囲碁、音楽など、多方面に才能を発揮した江戸時代屈指の文化人でした。盲目でありながら、天才的な頭脳と努力によって多くの分野で名を馳せ、その存在は当時の人々に大きな影響を与えました。

彼の生涯は、単なる「盲人の偉人」として語られるだけでなく、努力と知性があれば、どのような環境にあっても道を切り開けるという普遍的なメッセージを私たちに伝えています。江戸時代の盲目の天才・鳥山検校の存在は、今なお多くの人々にとっての学びとなるでしょう。

こちらもご参照ください。「鳥山検校の影——江戸の裏社会を支配した「悪徳検校」の実像」

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