江戸時代中期、**「鬼平(おにへい)」の異名を持つ名奉行として知られるのが長谷川平蔵宣以(はせがわ へいぞう のぶため、1745〜1795年)**です。彼は、江戸幕府の役職である「火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)」を務め、江戸の治安維持に大きく貢献しました。
現在では、池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』のモデルとしても広く知られていますが、実在の長谷川平蔵もまた、幕府の犯罪取締りを徹底し、義理と人情を重んじる名奉行として人々に慕われた人物でした。
本稿では、長谷川平蔵宣以の生涯、火付盗賊改としての活躍、彼の治安政策、そして「鬼平」と呼ばれた理由について詳しく解説します。
① 長谷川平蔵宣以の生い立ち
● 旗本・長谷川家の次男として誕生
長谷川平蔵宣以は、江戸幕府の旗本である長谷川宣雄(のぶお)の次男として、1745年(延享2年)に生まれました。
- 旗本とは、将軍直属の武士であり、長谷川家も幕府に仕える家柄でした。
- 家柄としては下級旗本に属し、裕福な家ではなかったとされています。
幼少期の詳しい記録は残っていませんが、長谷川家は代々幕府の役職に就いており、平蔵もまたその道を歩むことになります。
② 「火付盗賊改」とは?
● 火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)とは?
江戸時代には、町奉行(まちぶぎょう)や寺社奉行(じしゃぶぎょう)などの行政機関が存在しましたが、犯罪の取締りを専門とする役職として**「火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)」**が設置されていました。
火付盗賊改の主な役割は以下の通りです。
- 放火(火付け)を取り締まる(江戸の町は木造建築が多く、火事が大きな脅威だった)
- 盗賊や犯罪集団を摘発する(押し込み強盗や盗賊団などの組織犯罪を壊滅させる)
- 治安維持のための監視活動を行う(犯罪者の動向を探り、予防策を講じる)
この役職は、特別な権限を持ち、町奉行よりも広範な地域で捜査を行うことができたため、非常に重要な職務とされました。
③ 長谷川平蔵の「火付盗賊改」としての活躍
● 火付盗賊改に就任(1787年)
長谷川平蔵は、1787年(天明7年)、幕府から「火付盗賊改」の役職に任命されました。
この時代は、**天明の大飢饉(1782〜1788年)**の影響で治安が悪化し、盗賊や強盗の活動が活発になっていました。
- 1787年、老中松平定信が「寛政の改革」を開始し、治安対策を強化。
- 平蔵は治安回復のための重要な人物として登用された。
● 「鬼平」と称された理由
長谷川平蔵は、犯罪者に対して非常に厳格な態度を取ったため、**「鬼平(おにへい)」**と呼ばれるようになりました。
しかし、単に厳しいだけではなく、彼の取り締まりには人情と合理性があったことが特徴です。
④ 長谷川平蔵の治安政策
● ① 犯罪者を徹底的に取り締まる
長谷川平蔵は、江戸の犯罪者集団を徹底的に摘発し、特に**「強盗」「押し込み」「火付け」を行う盗賊団を根絶**しました。
- 彼の就任後、多くの盗賊団が捕縛され、江戸の治安が大きく改善されたと伝えられています。
- 盗賊に対しては厳罰をもって処罰し、再犯を許さない態度を貫いた。
● ② 「密偵(みってい)」を活用
長谷川平蔵が特徴的だったのは、「密偵(スパイ)」を活用して情報収集を徹底した点です。
- 元犯罪者を**「密偵」として採用し、盗賊団の動きを探らせた**。
- これにより、犯罪の未然防止や組織壊滅を効率的に行った。
この手法は、後の時代劇や小説『鬼平犯科帳』にも大きく影響を与えています。
● ③ 更生策の導入
長谷川平蔵は、単に犯罪者を厳しく取り締まるだけでなく、更生の道も用意しました。
- 犯罪者の中でも、改心の余地がある者には**「改心して働く場」を提供**した。
- 具体的には、江戸郊外の**「人足寄場(にんそくよせば)」**に送られ、労働を通じて更生の機会を与えた。
これは、単に処罰を与えるだけでなく、犯罪の根本的な解決を目指した画期的な政策でした。
⑤ 長谷川平蔵の晩年と死去
● 晩年
長谷川平蔵は、火付盗賊改としての職務を全うし、江戸の治安維持に尽力しました。しかし、彼の仕事は過酷であり、体を酷使することが多かったとされています。
1795年(寛政7年)、長谷川平蔵は病に倒れ、50歳で死去しました。
彼の死後、火付盗賊改のシステムは後継者によって引き継がれましたが、彼ほどの名奉行はなかなか現れなかったといわれています。
⑥ まとめ:長谷川平蔵はなぜ名奉行とされたのか?
✅ 江戸の治安を守る「火付盗賊改」として、数々の犯罪を摘発した。
✅ 厳しい取り締まりだけでなく、「密偵の活用」「犯罪者の更生」など革新的な施策を行った。
✅ 「人足寄場」を設置し、犯罪の根本的な解決を目指した。
✅ 「鬼平」と称されるほどの厳格な姿勢と、情に厚い人柄を兼ね備えていた。
長谷川平蔵は、単なる刑事官僚ではなく、治安維持の改革者として江戸時代の歴史に名を残した人物でした。彼の功績は、現在でも『鬼平犯科帳』を通じて、多くの人々に親しまれています。


