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横谷左近(幸重)
大坂の陣(豊臣方)【出浦昌相(まさすけ)とともに、真田家忍衆の双璧をなす】 横谷左近(※横谷幸重とも呼ばれます)は、上野(こうずけ)と信濃の境にあったという要害・雁ヶ沢城を本拠にした地侍とも言われています。昌幸の父・幸隆の時代から真田家に仕えました。横谷幸重の「幸」の字は、主君であった幸隆より一字拝領していると考えられます。以後、昌幸... -
バカ殿と呼ばれ続けた北条氏政に光明? 「汁かけ飯」に新解釈
topics【ネット上で、やはり話題になっていました、氏政「汁かけ飯」のエピソード】 以下、3月5日(土)8時42分配信 ITmedia ビジネスオンライン 記事より抜粋しています。 編集部F: 前回の記事で、滝川一益と真田昌幸が共に調略が得意という話がありました。ちょうど先週の「真田丸」もタイトルが「調略」でしたが、放送をご覧になってい... -
北条氏政②~氏政を再評価しよう~
武将列伝関東の雄・後北条氏の第4代当主、北条氏政。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたります。真田丸での「二度汁エピソードの氏政像・新機軸」がネット上でも話題となる、歴史上で不当な評価を受けてきた戦国武将の筆頭格。せっかくなので、これを機に氏政を再評価しましょう。 【次男として生まれ、やがて... -
服部正成(まさなり)・半蔵
徳川家臣団【服部正成、またの名を服部半蔵】 おそらく忍者としては一番高名な服部半蔵(服部正成)は、忍者の流れを汲む家系に生まれ、徳川配下で伊賀衆と甲賀衆を統率・指揮した戦国武将です。 有名な服部半蔵の名は、代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主の通り名。 実は、正成自体は「忍び」ではなく、仕えた徳川家において忍者を... -
二度汁かけの北条氏政
真田丸を楽しむポイント【二度汁かけの氏政、真田丸では・・・】 早雲に始まる後北条氏による関東支配を終わらせてしまった北条氏政。実際、氏康の後を継いだ後は、北条氏の勢力拡大に成功し、その最大版図を築いた戦国武将。ですが、いかんせん「北条家を滅亡に導いた。」結果から、歴史上さんざんな評価を受けている人物なのです。 そんな中、大河ドラマ「真田丸... -
板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)
徳川家臣団真田丸に登場する北条方の武将・板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)。ドラマでは、山西惇(やまにしあつし)さん演じる戦国武将。史実の流れを考えれば、前半には滅亡する予定の北条家。たくさんの家臣を擁するその家中において、板部岡江雪斎がたびたび劇中に登場する理由など踏まえての投稿記事になります。 【初め真言宗の僧、そし... -
大泉洋、新境地の“真面目役”
topics【大泉洋、これまでと違う『真田丸』の“真面目役”で新境地】 2016年2月13日 オリコンスタイルより記事抜粋 バラエティ番組や俳優としても大活躍の大泉洋さん。大河「真田丸」では、真田信幸という真面目な役に挑戦しておられます。その役柄についてのインタビュー記事をご覧ください。 【大泉洋の新境地】 高視聴率男・堺雅人率いる... -
昌幸がこだわった沼田領、その攻略戦
真田丸を楽しむポイント【家康との遺恨の種になる沼田領。昌幸はどのようにして手にいれたのか】 天正2年(1574年)に真田家当主・幸隆が死去。家督を昌幸の兄・信綱が継ぎますが、翌年の長篠の戦では信綱だけでなく、次兄・信輝までもが討死し、三男の昌幸が真田家の家督を継ぐこととなります。 幼いころから、信玄の近くに仕えて現在で言うところの伝令将校のよう... -
前川泰之演じる、春日信達~インタビュー~
topics【「真田丸」“信繁の人生を変える”前川泰之を直撃!】 Smartザテレビジョン 2月23日(火)5時0分配信より抜粋 堺雅人が真田信繁(幸村)の生涯を演じる大河ドラマ「真田丸」。織田信長の死で日本中が混乱に陥る中、関東もまた上杉、北条、徳川の三つどもえの争いが激しさを増そうとしている。 2月28日(日)に放送される第8回では、前川泰之演じる... -
新発田 重家(しばた しげいえ)
武将列伝【足掛け7年にも渡って景勝に反旗を翻した戦国武将】 天文16年(1547年)生まれ。謙信時代からの上杉家臣で、川中島の戦いや関東出兵などにも参加した経験を持ちます。当初は五十公野(いじみの)家を継いで五十公野 治長(はるなが)と名乗っていましたが、天正8年(1580年)、兄の死により新発田家に戻って家督を相続、新発田重家(しばた... -
第12回「人質」
真田丸ストーリーNHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第12回「人質」 信繁の目を通して、人間くさくて魅力的な上杉景勝の姿が描かれます 【【ストーリー(あらすじ)】】 【あくまで真田の動きを警戒する家康、また、きりの言葉は将来を予感させます】 室賀正武(むろがまさたけ)を倒し、信州小県(ちいさがた)を平定した真田昌幸は、拠点を上田城に移... -
第11回 祝言
真田丸ストーリーNHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第10回「妙手」 【【ストーリー(あらすじ)】】 【昌幸暗殺を、家康が画策。室賀正武が刺客として行動する。】 浜松城に室賀正武を呼んだ家康は、上田築城の際に、真田が城を預かるという旨が記載された証文を見せます。小県の国衆を軽んじ、真田が小県を独占しようとしている。と室賀の危機感をあお... -
春日信達(高坂昌元)
武田家旧臣【父・昌信は昌幸の同僚】 父は「逃げ弾正」として知られる、武田氏の譜代家老衆、高坂昌信(春日虎綱)。その次男にあたる人物です。父の高坂昌信は絶世の美男子で、信玄から「浮気の謝罪文」をおくられるほどの寵愛を受けたとも。また、それだけでなく、軍略・兵法にも優れ、武田二十四将にも数えられています。 信玄の奥近習として召抱え... -
第10回「妙手」
真田丸ストーリーNHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第10回「妙手」 昌幸ゆずりの策士としての一面を成長させていく信繁 【【ストーリー(あらすじ)】】 【上田城築城を家康に打診する真田家】 徳川と北条の突然の和睦に、昌幸たち国衆の領地は勝手に分けられてしまいます。浜松城では信尹が家康に、真田は和睦のために徳川に加勢したのではないと丁重... -
第9回「駆引」
真田丸ストーリーNHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第9回「調略」 梅とのふれあいを通じて、大人へと成長していく信繁 【【ストーリー(あらすじ)】】 【北条・徳川・上杉、大勢力を前に暗躍する昌幸の知謀】 本能寺の変から2カ月後。上杉との戦いを避け南下した北条氏直は、甲府で家康の軍と対峙することとなります。焦った家康は新府城を拠点に立て... -
木曾義昌(木曽義昌)
徳川家臣団真田丸では、第1回から武田家を裏切った武将としてその名が登場する木曾義昌(よしまさ)。織田信長死後に起きる信濃の混乱でも、その領国の位置関係などから、ある種のポイントとなる人物です。 【】 【源義仲の嫡流と伝わる名族・木曽氏。最初は対抗するも、後に信玄の親族衆となる】 義昌は、天文9年(1540年)、木曾義康の嫡子として誕生... -
森長可
織田家旧臣【僅か13歳で家督を継いだ武勇の人】 森長可(ながよし)は、永禄元年(1558年)生まれ。真田昌幸と比較すると11歳年下、少し下の世代にあたります。森氏は清和源氏の家系、河内源氏の棟梁を出自に持つ名家。武勇の誉れも高く「攻めの三左」と謳われた森可成(よしなり)の次男でしたが、元亀元年(1570年)に可成が戦死、長兄の可隆も同年に... -
天正壬午の乱
真田主要合戦本能寺の変で織田信長が横死したことにより、旧武田領は、上杉・北条・徳川の草刈り場と化し、混乱します。 そんな中、真田昌幸は各国のバランスを上手く利用しつつ、謀略の限りをつくして窮地を乗り切り、独立大名としての基盤を築いていくのでした。 【織田信長の急死後の動き、激動の天正10年】 天正10年(1582年)3月11日の武田家... -
第8回「調略」
真田丸ストーリーNHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第8回「調略」 上杉と北条を手玉にかけた昌幸の調略が際立ちます。 【【ストーリー(あらすじ)】】 北条軍が上野を支配し碓氷峠を越えます。岡崎城でその知らせを聞いた徳川家康とその家臣・本多正信は、次なる北条の一手を読みます。 北条は信濃から北上して越後で上杉と戦うと踏んで、その間に甲斐... -
薫(山手殿)
真田家の人々高畑淳子さんが演じる信幸・信繁の母親・薫。真田丸では京の公家出身で昌幸に嫁いだという設定の中、活発なキャラクターの信繁の祖母・とりや姉・松とは違い、上品な女性として描かれています。対比を見せることでその人物像を際立たせる三木谷さんの脚本ですが、実際のところ、彼女の生い立ちはどんなものだったのでしょうか? 【公... -
松(村松殿)
真田家の人々【弟、信幸・信繁から慕われた、真田昌幸の長姉】 松(名は於国)は、永禄8年(1565年)真田昌幸の長女として誕生。信幸、信繁の姉にあたり、大河・真田丸では木村佳乃さんがはつらつと演じられているのが印象的な女性です。 天正10年(1582年)ごろ、甲斐の名門・小山田氏の小山田茂誠(しげまさ)に嫁いだ松。 小山田家滅亡後は、この婚姻... -
信繁の初陣は?
真田信繁(幸村)【信繁の初陣は?第一次上田合戦への参戦は?】 真田信繁(幸村)という人物を考えるときに、みなさんの頭をたびたに悩ませるのが、その歴史的資料が少ないということです。まさにそれが、この初陣はいつだったか?ということでしょう。その足跡をいわゆる信頼のおける歴史的一次資料に頼るとなると、秀吉の北条征伐などまで時間をすすめるこ... -
真田昌幸~信玄の元で過ごした少年期~
真田昌幸【信玄公、曰く「我が両眼の如し」】 戦国一の知将「真田昌幸」、幼名を源五郎。彼を形成した元服前の少年期。どのように過ごし、成長していったのか。その生涯についての記事投稿です。 天文16年(1547年)、真田幸隆の三男として誕生。この当時、幸隆は海野平合戦で所領を失い、武田晴信(後の信玄)に臣従することで、旧領を回復していく... -
滝川一益②~本能寺の変・信長の死後~
織田家旧臣【本能寺の変後、失墜する存在感】 6月2日、信長が本能寺の変によって横死すると、北条氏政は引き続き協調関係を継続する旨を一益に伝えています。(※しかし実際には領国に動員をかけており、北条氏の上野侵攻は確定していました。) 一益が信長の死を知ったのは事変から5日後の6月7日(遅い!)。そして6月10日、重臣の反対を押し切り、一部... -
とり・恭雲院(きょううんいん)
真田家の人々【真田信繁(幸村)の祖母であり、昌幸を名将に育てた戦国のゴッドマザー】 大河「真田丸」、NHKの公式サイトでは、「偉大な武田信玄の全盛期を知る、信繁の祖母。昌幸を名将に育て上げた、戦国のゴッドマザー」と紹介されています。演じるのは草笛光子さんで、とてもいい味をだしておられます。何でもこのとり役が気に入りすぎて、「どうか...