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新発田 重家(しばた しげいえ)
武将列伝【足掛け7年にも渡って景勝に反旗を翻した戦国武将】 天文16年(1547年)生まれ。謙信時代からの上杉家臣で、川中島の戦いや関東出兵などにも参加した経験を持ちます。当初は五十公野(いじみの)家を継いで五十公野 治長(はるなが)と名乗っていましたが、天正8年(1580年)、兄の死により新発田家に戻って家督を相続、新発田重家(しばた... -
春日信達(高坂昌元)
武田家旧臣【父・昌信は昌幸の同僚】 父は「逃げ弾正」として知られる、武田氏の譜代家老衆、高坂昌信(春日虎綱)。その次男にあたる人物です。父の高坂昌信は絶世の美男子で、信玄から「浮気の謝罪文」をおくられるほどの寵愛を受けたとも。また、それだけでなく、軍略・兵法にも優れ、武田二十四将にも数えられています。 信玄の奥近習として召抱え... -
木曾義昌(木曽義昌)
徳川家臣団真田丸では、第1回から武田家を裏切った武将としてその名が登場する木曾義昌(よしまさ)。織田信長死後に起きる信濃の混乱でも、その領国の位置関係などから、ある種のポイントとなる人物です。 【】 【源義仲の嫡流と伝わる名族・木曽氏。最初は対抗するも、後に信玄の親族衆となる】 義昌は、天文9年(1540年)、木曾義康の嫡子として誕生... -
森長可
織田家旧臣【僅か13歳で家督を継いだ武勇の人】 森長可(ながよし)は、永禄元年(1558年)生まれ。真田昌幸と比較すると11歳年下、少し下の世代にあたります。森氏は清和源氏の家系、河内源氏の棟梁を出自に持つ名家。武勇の誉れも高く「攻めの三左」と謳われた森可成(よしなり)の次男でしたが、元亀元年(1570年)に可成が戦死、長兄の可隆も同年に... -
天正壬午の乱
真田主要合戦本能寺の変で織田信長が横死したことにより、旧武田領は、上杉・北条・徳川の草刈り場と化し、混乱します。 そんな中、真田昌幸は各国のバランスを上手く利用しつつ、謀略の限りをつくして窮地を乗り切り、独立大名としての基盤を築いていくのでした。 【織田信長の急死後の動き、激動の天正10年】 天正10年(1582年)3月11日の武田家... -
薫(山手殿)
真田家の人々高畑淳子さんが演じる信幸・信繁の母親・薫。真田丸では京の公家出身で昌幸に嫁いだという設定の中、活発なキャラクターの信繁の祖母・とりや姉・松とは違い、上品な女性として描かれています。対比を見せることでその人物像を際立たせる三木谷さんの脚本ですが、実際のところ、彼女の生い立ちはどんなものだったのでしょうか? 【公... -
松(村松殿)
真田家の人々【弟、信幸・信繁から慕われた、真田昌幸の長姉】 松(名は於国)は、永禄8年(1565年)真田昌幸の長女として誕生。信幸、信繁の姉にあたり、大河・真田丸では木村佳乃さんがはつらつと演じられているのが印象的な女性です。 天正10年(1582年)ごろ、甲斐の名門・小山田氏の小山田茂誠(しげまさ)に嫁いだ松。 小山田家滅亡後は、この婚姻... -
真田昌幸~信玄の元で過ごした少年期~
真田昌幸【信玄公、曰く「我が両眼の如し」】 戦国一の知将「真田昌幸」、幼名を源五郎。彼を形成した元服前の少年期。どのように過ごし、成長していったのか。その生涯についての記事投稿です。 天文16年(1547年)、真田幸隆の三男として誕生。この当時、幸隆は海野平合戦で所領を失い、武田晴信(後の信玄)に臣従することで、旧領を回復していく... -
滝川一益②~本能寺の変・信長の死後~
織田家旧臣【本能寺の変後、失墜する存在感】 6月2日、信長が本能寺の変によって横死すると、北条氏政は引き続き協調関係を継続する旨を一益に伝えています。(※しかし実際には領国に動員をかけており、北条氏の上野侵攻は確定していました。) 一益が信長の死を知ったのは事変から5日後の6月7日(遅い!)。そして6月10日、重臣の反対を押し切り、一部... -
とり・恭雲院(きょううんいん)
真田家の人々【真田信繁(幸村)の祖母であり、昌幸を名将に育てた戦国のゴッドマザー】 大河「真田丸」、NHKの公式サイトでは、「偉大な武田信玄の全盛期を知る、信繁の祖母。昌幸を名将に育て上げた、戦国のゴッドマザー」と紹介されています。演じるのは草笛光子さんで、とてもいい味をだしておられます。何でもこのとり役が気に入りすぎて、「どうか... -
本多正信
徳川家臣団【真田丸、本多正信を通して描かれる、新しい「家康像」】 大河・真田丸に登場する徳川家康(内野聖陽)。後に天下人となる彼のもとには、たいへん有能で個性的な戦国武将が数多く存在します。もちろんドラマではその全員を取り上げるわけにもいかない訳ですから、原作なり、脚本なりでの中で、重要人物をどのように描いていくか?で、その周... -
大谷吉継
武将列伝【信繁(幸村)の義理の父、大谷吉継。義を重んじて関ケ原で散った戦国武将。】 大谷吉継。その出自には色々な説があってはっきりとはしません。母が秀吉の正室(ねね・北政所)の侍女だったことから、秀吉の隠し子との俗説も存在するほど。あくまで一説ですが、吉継を取り立てたのは石田三成とも言われ、近江生まれの同郷の仲とされています... -
本多忠勝
徳川家臣団【徳川四天王!徳川十六神将!!徳川三傑!!!徳川家康、最大の功臣】 幼い頃から徳川家康に仕えた家康最大の功臣とも言える本多忠勝。初陣(ういじん)はなんと13歳で、あの織田信長が今川義元を敗死の追いやった永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い。その前哨戦にあたる大高城兵糧入れにまでさかのぼります。 ファンの多い本多忠勝。今さら説... -
堀田作兵衛
大坂の陣(豊臣方)【信繁(幸村)大坂入城の際には、上田より駆けつけた忠義の臣】 大河・真田丸で藤本隆宏さん演じる「堀田作兵衛」(堀田興重とも言います)。信繁、最初の正室とも言われる梅(黒木華さんが演じます)の兄にあたる人物です。 ドラマでの堀田作兵衛は地侍で、農兵兼業で真田家を支えるという家柄。末端の家臣のようにも見えますが、信繁との... -
裏切りについて~梅雪や信茂~
真田丸を楽しむポイントここでは、詳細な史実にこだわるのではなく、あくまで大局観に見る彼らの「裏切り」についての記事としたいと思います。 【木曽義昌・穴山梅雪・小山田信茂の「裏切り」が勝頼を窮地に追い込む】 大河・真田丸に見られる彼らの裏切り(すべてをひとくくりで語ってしまうのもどうかと思うのですが・・・)は、第1話・第2話でみられるような、... -
滝川一益①~織田家中では、秀吉や明智光秀以上のスピード出世を遂げた「鉄砲の達人」~
織田家旧臣【織田家中では、秀吉や明智光秀以上のスピード出世を遂げた「鉄砲の達人」】 大河・真田丸では段田安則さんが演じる武将・滝川一益。信長の「天下布武」の旗印のもと、急激に支配地を拡大する織田氏。その家中にあって、明智光秀や、後に大出世を遂げる秀吉を出し抜いて、一時期は超ハイスピードな出世を遂げたのがこの滝川一益です。いった... -
穴山梅雪(穴山信君)
武田家旧臣【主家滅亡の直前で寝返った逆臣】 NHK・大河ドラマ、「真田丸」では、榎木孝明さんが演じる穴山梅雪(穴山信君)です。 生誕 天文10年(1541年) 死没 天正10年6月2日(1582年6月21日) 母・南松院殿は武田信虎の娘(信玄の姉)で、妻は信玄の娘である見性院。武田家の御一門衆ですから、その家臣団での地位も高く、何より武田勝頼... -
信幸と信繁~その対極にある人生②~
真田丸を楽しむポイント【徳川系と豊臣系、兄弟それぞれの歩み・・・】 信幸と信繁~その対極にある人生①~からの続き 信幸の結婚は天正十七年(1589年ごろ・北条合戦の前年。時代背景は、いよいよ秀吉の天下統一が目前という状況です。) 秀吉の指示により家康に出仕することになる兄・信幸。天下無双と呼ばれた、徳川家の重臣本多忠勝の娘・小松姫(稲・い... -
高梨内記(たかなしないき)
大坂の陣(豊臣方)【信繁(幸村)とともに大坂の陣にも参戦。忠義と魂を魅せた戦国武将】 大河「真田丸」では中原丈雄さん演じる高梨内記(たかなしないき)。信繁の幼なじみで側室のきり(長澤まさみ)の父親にあたる人物という設定です。 史実、昌幸と信繁、二代にわたって旗本として仕えた家臣団の中枢であり、浮き沈みの激しかった真田家に、最後まで付き... -
信幸と信繁~その対極にある人生①~
真田丸を楽しむポイント【ふたりの兄弟の対照的な生涯を追う】 一貫して徳川に忠節を尽くし、後に続く松代藩の祖となる信幸(信之) そして、それとは対照的に家康を窮地にまで追い込み、歴史の英雄として人々から愛されることになる信繁(幸村) 大河・真田丸でも第1話より、そのふたりの兄弟の対照的な人生を暗示するようなセリフやエピソードが織り交ぜらており... -
小山田信茂
武田家旧臣【大河・真田丸では温水洋一さんが熱演】 祖母が武田信縄(信玄の祖父)の娘(信虎の妹)で、信玄の従甥に当たる人物。 江戸期には、穴山梅雪や、高坂昌信とともに武田二十四将にも数えられた、武田家の勇将です。 天文21年(1552年)正月には父の出羽守信有が病死し、兄の弥三郎信有が家督を継ぎます。しかし、弥三郎信有は永禄8年(1565年)... -
出浦盛清(出浦昌相)
真田家臣団【実在し、実際に活躍した史実ものこる「忍者」】 真田丸では寺島進さんが演じる出浦昌相(いでうらまさすけ)。ややこしいですが出浦盛清(いでうらもりきよ)とも呼ばれていて、こちらの方がネットでも検索しやすいです。※出浦対馬守(つしまのかみ)とも。 敵城へ配下の透破(すっぱ)を潜入させる際、それより先に自分が忍びに入って探索し... -
室賀正武
その他、気になる登場人物【その、反昌幸の姿勢が家康に利用される信濃国衆】 武田氏の滅亡後、小県郡の室賀氏や屋代氏は信濃川中島四郡を与えられた織田家臣・森長可に臣従していたと考えられています。 天正壬午の乱(本能寺の変後の武田遺領の甲斐・信濃を巡る争い)では、武田遺臣の真田昌幸らが北条家に属すなか、正武は別行動を取っていたとも。 大河・真田丸で... -
真田幸村、それとも信繁? 正しいのはどちらなのか②
真田信繁(幸村)以前にも投稿させていただいた記事、真田幸村、それとも信繁? 正しいのはどちらなのか、その第2弾になります。 今回は、私見たっぷりに語りますので、おしかりの言葉・ご意見などはコメント欄にお願いします。 【】 【歴史を語る楽しさ】 歴史は、 実際に見た人。 または経験した人。 それを伝えた人。 そしてそれが伝わっているその時代の... -
上田城、築城のお話し~昌幸・その独立への過程~
真田丸を楽しむポイント【上田城築城にまつわる昌幸の謀略とそのストーリー】 以前にも、当ブログのカテゴリー「真田丸を楽しむポイント」の記事投稿「まさにファンタジスタ!知将・昌幸」(少しふざけたタイトルにしてみました・すいません)でも少しだけふれました、上田城築城についてのお話しです。 真田丸でも大きく描かれる2度の対徳川迎撃戦。その舞台となる...