忍びのこと– tag –
-
第31回「終焉」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第31話「終焉」 秀吉(小日向文世)の死期が近づく。(この件について、詳しくはこちら→秀吉~天下人のその最期~) 遺言状をめぐり対立する三成(山本耕史)と家康(内野聖陽)。寧(鈴木京香)は権力争いに心を痛める。(参考記事→第二次上田合戦・関ケ原までの経緯と内容~その勢力争い~) 一方、茶々(竹... -
名胡桃城主・鈴木重則(主水)
【名胡桃城事件で切腹】 鈴木主水(もんど)とも呼ばれる真田家臣。鈴木重則。 天正17年(1589年)に秀吉の裁定によって解決した沼田領問題。 その際、真田領としての存続を認められた、名胡桃城の城主になります。 しかし、いったんは解決をみた沼田領問題でしたが、和議を反故にして謀略を仕掛けてきた北条家臣の猪俣邦憲によって、名胡桃... -
大かまり・上田合戦に登場した忍びの集団
【上田合戦の前哨戦に登場していた「大かまり」】 天正13年(1585年)8月、家康の命を受けて、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉らは真田討伐へ、約7000の兵が本拠・上田城を襲います。この上田合戦は歴史的な一時史料が少なく、たいへん謎の多い合戦と言われています。 この上田合戦、徳川勢が上田に到着する前に、ゲリラ戦を仕掛ける真田勢の... -
横谷左近(幸重)
【出浦昌相(まさすけ)とともに、真田家忍衆の双璧をなす】 横谷左近(※横谷幸重とも呼ばれます)は、上野(こうずけ)と信濃の境にあったという要害・雁ヶ沢城を本拠にした地侍とも言われています。昌幸の父・幸隆の時代から真田家に仕えました。横谷幸重の「幸」の字は、主君であった幸隆より一字拝領していると考えられます。以後、昌幸... -
服部正成(まさなり)・半蔵
【服部正成、またの名を服部半蔵】 おそらく忍者としては一番高名な服部半蔵(服部正成)は、忍者の流れを汲む家系に生まれ、徳川配下で伊賀衆と甲賀衆を統率・指揮した戦国武将です。 有名な服部半蔵の名は、代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主の通り名。 実は、正成自体は「忍び」ではなく、仕えた徳川家において忍者を... -
出浦盛清(出浦昌相)
【実在し、実際に活躍した史実ものこる「忍者」】 真田丸では寺島進さんが演じる出浦昌相(いでうらまさすけ)。ややこしいですが出浦盛清(いでうらもりきよ)とも呼ばれていて、こちらの方がネットでも検索しやすいです。※出浦対馬守(つしまのかみ)とも。 敵城へ配下の透破(すっぱ)を潜入させる際、それより先に自分が忍びに入って探索し... -
真田家、その忍びの流派
【】 【そのルーツから戦国の世の厳しさを経て成長・再編、幾度の情報戦・ゲリラ戦に打ち勝つ】 真田家は滋野氏をルーツとし、その成り立ちからすでに忍者との深い関わりがありました。 では、その流派とは何だったのでしょうか?伊賀や甲賀との関わりは?考察していきたいと思います。 まずは、真田家の領地内の上田郷には「戸隠の里... -
真田家と忍者の関係
【真田家のルーツは忍者と関係があったのか】 真田氏の祖先は、平安時代、朝廷より信濃守として信州に赴任した滋野一族。やがてこの滋野一族が、海野(うんの)・禰津・望月の三家に分かれ、真田家はこの中の海野家から生まれました。 海野家は呪術や加禱喜寿に通じていたとされる一族で、もとの滋野一族には「歩き巫女」も属していました。 ... -
真田十勇士とは?
真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、武将・真田信繁(真田幸村)に仕えたとされる想像上の10人の家臣のこと。 講談から生まれた信繁の人気と伝説が進化して生まれました。 個性豊かな登場人物たちは、あくまで伝承上の架空の人物ですが、歴史的な由来を持つ人物も多数存在しています。 立川文庫以来の真田十勇士、基本的なメンバー構成は ...
1