豊臣家の人々– tag –
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菊亭晴季(はるすえ)
その他、気になる登場人物【公家の中の公家(清華家の家格)の菊亭家】 菊亭家は、大臣・大将を兼ねて太政大臣になることのできる7家(久我・三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門・菊亭)のうちのひとつ。最上位の摂家に次いで、大臣家の上の序列に位置します。 また、菊亭家(きくていけ)は今出川家(いまでがわけ)ともいい、鎌倉時代末期、太政大臣・西園寺実... -
後藤又兵衛(基次)②~長政との逸話。こんなにある!不仲の理由!!~
豊臣家の人々【後藤又兵衛、黒田長政との逸話。こんなにある!不仲の理由!!】 ●前述の城井氏との争いでは、実は長政と又兵衛は敗戦しています。その際、一揆鎮圧軍を率いていた長政は頭を丸めて父・官兵衛に詫び、それに追従して家臣も頭を丸める中、基次は従わなかったのだとか。又兵衛は悪びれる様子もなく平然と「戦に勝敗はつきもの。負け戦の度に... -
後藤又兵衛(基次)
大坂の陣(豊臣方)黒田如水(官兵衛)、黒田長政親子に仕え、「黒田八虎」にも数えられた豪勇の戦国武将・後藤又兵衛。大河・真田丸では、哀川翔さんの配役が発表されました。黒田家を出奔して、牢人した後に、大坂の陣では豊臣方として入城。真田信繁の強力な盟友(ライバル)として、また最大の理解者として、大坂の陣での真田信繁を物語るときには、必要不可... -
長宗我部盛親(もりちか)
大坂の陣(豊臣方)大河ドラマ『真田丸』、大坂の陣に欠かせない3人が決定! 大野治長役は今井朋彦さん、明石全登役は小林顕作さんの他、長宗我部盛親役は阿南健治さんに決まりました。 陣中、牢人衆の中では最大勢力を有したといわれる長宗我部盛親。その人物像に迫りたいと思います。 【その生い立ちと、嫡子になるまで】 天正3年(1575年)、四国の... -
豊臣秀吉、終焉の城・伏見城
真田丸を楽しむポイント東山から連なる丘陵の最南端に位置。南には巨椋池が広がり、水運によって大坂と京都とを結ぶ要衝の地である伏見の地に築かれた伏見城。三度に渡って築城されたというこの城はどんな経緯をもって築かれたのでしょうか? 【豪華な様式の豊臣期・伏見城】 朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月、秀吉が隠居後の住まいとす... -
小早川秀秋、関ヶ原の寝返り決断遅れは肝疾患のせい?
topics6月27日(月)12時12分配信の読売新聞(ヨミドクター)に興味深い記事が投稿されていましたので転載いたします。 詳しい内容。また、元の記事に関してはこちらをクリック→関ヶ原の小早川秀秋、肝疾患で「寝返り」遅れ? 関ヶ原の戦い(1600年)で戦国武将・小早川秀秋(1582~1602年)が西軍から東軍に寝返った際、決断が遅... -
明石全登(たけのり・ジュスト)
大坂の陣(豊臣方)【謎多き戦国の武将・明石全登】 播磨を支配した名門・赤松氏の支流にあたるとも言われる備前明石家。明石行雄(※景親とも)の子として生まれたとされる明石全登ですが、実際のところ、その生年や、全登という文字の正しい読みなど不明な点の多い人物。キリシタンであったとされています。(※全登は、たけのり、おしとう、ぜんとう、てるずみ... -
豊臣秀次と秀勝、秀保。その父・弥助。
豊臣家の人々叔父・秀吉が出世、天下人となったことでその運命を翻弄された兄弟とその父親。かれらの人生とはどのようなものだったのでしょうか。 【父・木下弥助(三好吉房)】 秀吉(木下藤吉郎)の姉・とも(瑞龍院・日秀尼)を妻として、その間に秀次、秀勝、秀保をもうけました。弥助の出自については諸説あり(というか記録が残っていない)... -
宇喜多秀家
豊臣家の人々元ジャニーズの高橋和也さん演じる、宇喜多秀家。同じく岡本健一さん演じる、毛利勝永も配役が発表されており、中年世代には懐かしい「男闘呼組」の共演が地味に実現しています。(岡本健一さんは現在もジャニーズ事務所・所属)。真田丸での宇喜多秀家は、どんな些細なこともおろそかにしない、熱血漢。「大坂城の松岡修造」となるらしく、... -
毛利勝永
大坂の陣(豊臣方)【牢人五人衆のうちのひとり、毛利勝永】 大河「真田丸」では岡本健一さん演じる毛利勝永。(今回の大河では初のジャニーズ登場?)大坂城に入城した牢人(浪人)のうち、元大名、もしくは大名格のものを「大坂五人衆」と呼び、勝永はその中の一人にあたります。 ※余談ですが、浪人(ろうにん)はもともと、戸籍に登録された地を離れて他国を... -
千利休、切腹の謎
真田丸を楽しむポイント切腹を命じにきた秀吉の使者に対して、全く動じず利休は静かに口を開いて言ったといいます。 【「茶室にて茶の支度が出来ております」。】 しかし、切腹を命じられた真相については諸説あり、本当のところはわかっていません。 一般的に言われている説には、 ● 秀吉が利休の娘に近待するよう要求したが拒否されたという説 ● 利休が... -
たか・隆清院(信繁の側室)
豊臣家の人々【秀次の娘・たかは、信繁の3人目の妻】 5月22日、真田丸の新たなキャストが発表になりました。配役は岸井ゆきさんで、秀次の娘・たか役。信繁の3人目の妻ということになるようです。新たな説などを積極的に使用して、今までにない大河ドラマを展開している感のある真田丸。この新しいキャスティングは、さらに新たな切り口を予感させると思... -
茶々(淀殿)
大坂の陣(豊臣方)茶々の母親は織田信長の妹・市で信長の姪にあたります。そして父親は、その信長と戦って滅ぼされた近江の戦国大名・浅井長政の娘。本名は浅井茶々、または菊子とも。 妹に初(京極高次の正室)と江(徳川秀忠の正室)、また、異母弟妹には浅井井頼(あざいいより ※真田十勇士の根津甚八のモデルとされる人物)などがいます。 数奇な運命の中... -
大政所(なか)
豊臣家の人々【天下人となった豊臣秀吉の実母】 大政所(おおまんどころ)。天下人となった豊臣秀吉の実母で元の名は仲(なか)。他に、天瑞院とも呼ばれました。 子供は秀吉の他に、秀長、旭姫(秀吉とは異父兄)などがいて、彼女自身の姉妹には福島正則の母、従姉妹には加藤清正の母などがいます。 織田家の雑兵だったと言われる、木下弥右衛門のもとに... -
小早川秀秋(ひであき)
豊臣家の人々【豊臣家の親族としての存在感】 天正10年(1582年)、高台院(ねい)の兄である木下家定の五男。 秀吉、近江の長浜に城を持ったころになります。 幼名は木下辰之助。以後、秀俊 → 羽柴秀俊(豊臣秀俊) → 小早川秀秋 → 秀詮(ひであき)と変名。(※関ケ原当時の、秀秋が最も一般的ですね。) 小早川秀秋は生まれて3年後には、義理の叔父にあ... -
大野治長(はるなが)
大坂の陣(豊臣方)【豊臣家を滅亡に招いた張本人。無能の人か?大野治長。】 知行は僅か15,000石。さして経験もなかった治長が大坂の陣ではリーダーとして豊臣方を統率しました。結果は皆さん周知の通り、後世、茶々(淀君)とともに豊臣家を滅亡に導いた張本人として、残念ながらもたいへん評価の低い人物です。 果たして大野治長が無能だったから大坂の陣で... -
片桐且元(かつもと)
豊臣家の人々【茶々(淀君)の浅井家に仕えた戦国武将】 且元の出自は近江 浅井家に仕えた信濃源氏の名族、片桐氏。 浅井長政の娘である茶々(淀君)と、豊臣臣従以前から主従関係にありました。 豊臣の時代には豊臣家より豊臣姓を許されるなど中核を担い、江戸期になっても大名として存続した且元は、大和国竜田藩の初代藩主となっています。しかし、そ...
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