真田家に学ぶ処世術– category –
-
出来る人物から学び己を磨く~昌幸の成長に信玄の影あり~
真田家に学ぶ処世術真田昌幸は父・幸隆の三男であったため、最初は武田家に人質に出されています。 しかし、元服前よりたいへん聡明だったため、信玄の奥近習に取り立てられ、足軽大将にまで出世。 その活躍と明晰さから、信玄をして「我が目の如し」と評されました。また、兄二人の死後、真田家に復帰するまでは、武田の名門「武藤」を名乗るよう信玄から指示... -
真田に学ぶ処世術・その2~駆け引き~
真田家に学ぶ処世術【】 それまでの主家であった武田家の滅亡後、織田信長に仕えることとなった真田家は、上州(現在の群馬県)の拠点である沼田城と岩櫃城を召し上げられてしまいます。 しかし、本能寺の変で織田信長が討たれると、真田家にチャンス(逆に言えば、大ピンチ)が訪れます。 真田昌幸は策謀により、北条家・徳川家・上杉家を出し抜く事に成功。沼... -
真田に学ぶ処世術・その1
真田家に学ぶ処世術「かつての敵とも協力するしたたかさ」を持つ 真田家中興の祖と言われる、真田幸隆(幸村の祖父)は海野平の戦い(天文10年(1541年)で武田信虎に敗れ、一時は上州に落ち延びます。 しかし、その後真田領回復のため、武田信玄の時代には武田氏に従い、お家復興を果たしました。 目的達成のためには、かつての敵であっても、従い、協力する、...
1