真田知見録– category –
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大かまり・上田合戦に登場した忍びの集団
真田知見録【上田合戦の前哨戦に登場していた「大かまり」】 天正13年(1585年)8月、家康の命を受けて、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉らは真田討伐へ、約7000の兵が本拠・上田城を襲います。この上田合戦は歴史的な一時史料が少なく、たいへん謎の多い合戦と言われています。 この上田合戦、徳川勢が上田に到着する前に、ゲリラ戦を仕掛ける真田勢の... -
横谷左近(幸重)
真田知見録【出浦昌相(まさすけ)とともに、真田家忍衆の双璧をなす】 横谷左近(※横谷幸重とも呼ばれます)は、上野(こうずけ)と信濃の境にあったという要害・雁ヶ沢城を本拠にした地侍とも言われています。昌幸の父・幸隆の時代から真田家に仕えました。横谷幸重の「幸」の字は、主君であった幸隆より一字拝領していると考えられます。以後、昌幸... -
出浦盛清(出浦昌相)
真田知見録【実在し、実際に活躍した史実ものこる「忍者」】 真田丸では寺島進さんが演じる出浦昌相(いでうらまさすけ)。ややこしいですが出浦盛清(いでうらもりきよ)とも呼ばれていて、こちらの方がネットでも検索しやすいです。※出浦対馬守(つしまのかみ)とも。 敵城へ配下の透破(すっぱ)を潜入させる際、それより先に自分が忍びに入って探索し... -
真田家、その忍びの流派
真田知見録【】 【そのルーツから戦国の世の厳しさを経て成長・再編、幾度の情報戦・ゲリラ戦に打ち勝つ】 真田家は滋野氏をルーツとし、その成り立ちからすでに忍者との深い関わりがありました。 では、その流派とは何だったのでしょうか?伊賀や甲賀との関わりは?考察していきたいと思います。 まずは、真田家の領地内の上田郷には「戸隠の里... -
真田家のルーツ~大塔物語から~
真田知見録応永7年(1400年)に起こったと言われる、信濃守護小笠原長秀が、村上氏・井上氏・高梨氏・仁科氏ら有力国人領主及びそれらと結んだ中小国人領主の連合軍(大文字一揆)と善光寺平南部で争った合戦。それが大塔合戦(おおとうがっせん)です。 大塔物語は悲話なども織り交ぜながら、史実に基づいてこの大塔合戦について語られており、史料性... -
真田家と忍者の関係
真田知見録【真田家のルーツは忍者と関係があったのか】 真田氏の祖先は、平安時代、朝廷より信濃守として信州に赴任した滋野一族。やがてこの滋野一族が、海野(うんの)・禰津・望月の三家に分かれ、真田家はこの中の海野家から生まれました。 海野家は呪術や加禱喜寿に通じていたとされる一族で、もとの滋野一族には「歩き巫女」も属していました。 ...
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