真田家– category –
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信繁長女・すへとその夫・石合十蔵
その後の真田丸たちすへは真田信繁(幸村)と堀田作兵衛興重の妹の間に生まれた長女。小県長窪郡の本陣を運営する石合十蔵道定に嫁ぎました。本陣とは大名向けの宿のことで、石合家は地元でも名主、有力者であったと言えます。(※長窪宿は中山道で最も古い本陣だとも。) とは言え、元は大名クラスの中央官僚ともいえた信繁(幸村)の娘・すへとは、家格が合わ... -
真田信政
その後の真田丸たち真田信政は1597(慶長2)年、沼田城で真田信之と正室・稲(小松姫)の間に信之の2番目の子供として生まれました。 その3年後、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは、祖父・昌幸と袂をわかつことになった父・信之は、徳川方に付き従っています。 この当時、まだ3才だった信政は江戸の徳川家に人質として送られています。こうして忠誠をみせた信... -
真田信吉(のぶよし)~信之の庶長子~
その後の真田丸たち信之の長男になる真田河内守信吉(かわちのかみのぶよし)。実母は清音院殿で、大河・真田丸で言うところの「おこうさん」の実子にあたります。 こう・清音院殿は真田の当主であった信綱の娘ですから、時勢が違えばこの信吉こそが、真田信之の正統な嫡男であったかもしれません。しかし、時代は徳川の世の中。信之の正室という立場も清音院殿... -
片倉久米之介守信(真田守信)~信繁の次男・幼名は大八~
その後の真田丸たち【陸奥・仙台藩士として生きた人生】 真田信繁と春・竹林院の次男として九度山時代に誕生。慶長17年(1612年)のことなので、信繁たちが大坂城に入城するわずか2年前になります。その3年後の大坂夏の陣(慶長20年5月)で、父・信繁は討死、兄・大助(幸昌)が切腹。この世を去りました。 徳川に対して一矢報いた敵将。それも代表的な活躍をし... -
石川貞清~信繁の娘婿と春(竹林院)~
その後の真田丸たち【金色の旗を掲げて、秀吉の使番を仕えた戦国武将】 「使番」とは、合戦場にでの伝令や監察、敵軍への使者などを務めた役職にあたります。石川貞清は天下人・秀吉を象徴するカラー、金色の指物(旗)を鎧(よろい)の背にさして行動した、金切裂指物使番(きんのきりさきさしものつかいばん)ではなかったかと考えられています。 秀吉に近習す... -
信繁の九度山ライフ③~サナール紐と真田紐!~
真田丸を楽しむポイント【昌幸・信繁の情報収集にも役立った?真田紐】 九度山に蟄居していた真田昌幸・信繁父子が真田紐を考案し、生計を立てたという有名な俗説。真田の国元である上田付近は織物の産地であり、同じく九度山も織物の産地であったことからこのような逸話が誕生したと考えられています。そして、昌幸・信繁父子はこの真田紐の販売を全国展開。行商人(... -
真田幸昌~信繁の嫡男・大助~
真田信繁(幸村)いわゆる真田三代記など講談等では、昌幸、幸村(信繁)、そして大助(幸昌)とこの3人のストーリーとなることが多い真田一族の物語。 大助(幸昌)は幸村(信繁)の嫡男として、母は春・竹林院(大谷吉継の娘)の間に九度山で誕生しました。諱(いみな)は、祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されています。(※ややこしい戦国大名の呼... -
もうひとりの安房守~北条氏邦と真田昌幸~
真田丸を楽しむポイント【武勇に優れた氏邦の活躍】 戦国の雄将・北条氏康の四男で、北条氏政の弟にあたる北条氏邦。氏康が武蔵の豪族・藤田氏を攻め落とすと、氏邦は戦略的に藤田家を乗っ取るかたちで婿入り、家督を継承して藤田安房守氏邦を名乗りました。 くしくも真田昌幸と同じ、「安房守(あわのかみ)」を名乗った人物ということになります。 北条家・次兄の... -
「真田丸大河ドラマ館」入館66万6666人達成
真田にまつわるイベント大河ドラマ「真田丸」の放送に合わせて1月17日に上田城跡公園(長野県上田市)にオープンした「信州上田真田丸大河ドラマ館」。 ドラマが好評なこともあり、累計入館者数がこのたび“6並び”の66万6666人を達成したと発表がありました。(真田家の家紋「六文銭」にちなんでいるのですね・・・) 上田市では平成20年の「篤姫館」(... -
信繁の九度山ライフ②~密かに鍛錬を重ねた日日~
真田丸を楽しむポイント【屋敷の火災~災難までふりかかる信繁一家~】 九度山における十数年におよぶ信繁の配流生活。1611年(慶長16年)に父・昌幸が亡くなったあとも、生活費の工面にさえ汲々とするさまは、この時期の信繁自信の筆による手紙などの一次資料からも伺えます。 家臣に宛てた中からわかる事実として、信繁とその家族が住む屋敷が火事にあっており、... -
信繁の九度山ライフ① ~昌幸の死と大勢の子供たち~
その後の真田丸たち真田昌幸・信繁の父子が高野山に向かった際、これに随行したいわれる家臣は、池田長門守、原出羽守、高梨内記、小山田治左衛門、青柳清庵ほか16名。徳川から随行する家臣の人には制限を設けられていたとも伝わっています。 これら随行した家臣には、上田の信之(信幸)から引き続き知行が与えられ、その生活を維持しました。 【家族と... -
真実の上田合戦~秀忠は関ケ原に遅れたか?~
徳川家臣団【通説の秀忠、関ケ原遅参】 通説によると、徳川本隊を率いた秀忠は、中山道を進んだ後、家康と合流して石田三成との決戦に参戦する予定だったのが、その途上、上田城の真田昌幸に手こずったたため関ケ原の合戦に遅参。父・家康に叱責を受けたとされています。(※詳しくは投稿記事~第二次上田合戦~関ケ原に遅参させたしたたかな戦い~) こ... -
真田左衛門佐信繁~官位とその名の由来~
真田丸を楽しむポイントいよいよ中盤も過ぎ、早いもので第27回を迎えようとしている「真田丸」。主人公・信繁と、その兄・信幸は兄弟そろって従五位下の官位を授り出世。ということになります。 真田信幸・・・伊豆守(いずのかみ) 真田信繁・・・左衛門佐(さえもんのすけ) ※二人が官位を叙任したいきさつや、その官位についての詳しい解説はこちら 今後は劇中、... -
信幸は伊豆守、信繁は左衛門佐。官位、従五位下に叙任!
真田丸を楽しむポイント天正18年(1590年)、秀吉の小田原征伐が成功し北条家が滅亡。東北の雄・伊達政宗も従えての宇都宮仕置、その後の奥羽仕置を済ませて、秀吉は名実ともに天下統一を果たします。 この時期に秀吉は、徳川秀忠、上杉景勝、小早川隆景、毛利輝元らをはじめとした外様大名と、その有力家臣(例えば、直江兼続など)に豊臣性と、官位を集中して与え... -
小田原征伐と真田家~信幸の忍城攻め~
真田丸を楽しむポイント天正17(1589)年11月10日、秀吉は北条氏の征討戦に向けて、諸大名に知行石高を基準にした軍役動員を示したと言われています。これによると、当時の真田家の兵力動員数は3000人と規定されたことになります。 徳川の与力という位置づけの真田でしたが、「案内者」として上杉景勝、前田利家、依田康国とともに北国衆に編成され、天正18年、3月... -
名胡桃城主・鈴木重則(主水)
真田家臣団【名胡桃城事件で切腹】 鈴木主水(もんど)とも呼ばれる真田家臣。鈴木重則。 天正17年(1589年)に秀吉の裁定によって解決した沼田領問題。 その際、真田領としての存続を認められた、名胡桃城の城主になります。 しかし、いったんは解決をみた沼田領問題でしたが、和議を反故にして謀略を仕掛けてきた北条家臣の猪俣邦憲によって、名胡桃... -
信繁の母・薫(山手殿)は公家の娘ではなかった?
真田丸を楽しむポイント高畑淳子さんが演じる信幸・信繁の母親・薫(山手殿)。 真田丸では京の公家出身で昌幸に嫁いだという設定。でてっきり進行するのかと思いきや、まさかの・・・という興味深い展開になりそうな気配です。 薫(山手殿)については、以前の投稿記事(こちらクリック)にも詳しく解説していますので、よろしければあわせてご覧下さい。 ... -
こう・清音院
その他、気になる登場人物第20話の「前兆」。稲(小松姫)を正室に迎えることで信幸から離縁されてしまう、長野里美さん演じる「おこう」さん。 ですがストーリー上、この回をターニングポイントとして、さらに魅力的なキャラクターに変貌(進化)をとげるらしい・・・という情報を得て(詳しくはこう・離縁された信幸の最初の正室の記事投稿をご覧下さい。)ますます... -
こう・離縁された信幸の最初の正室
真田丸を楽しむポイント堺雅人さんが真田信繁(幸村)を演じる放送中の大河ドラマ「真田丸」。 ダイナミックな戦国絵巻でありながら、真田家の“家族の物語”を描く 同作で、信繁の兄・信幸(大泉洋)の妻・こうが注目を集めています。 病弱なこうですが、婚礼の席で突然踊り出すなど思わぬ言動でたびたび笑いを誘ってきました。当然この「おこう」さんも実在した人物。 ... -
豊臣政権下の真田信繁、大名だった?
真田丸を楽しむポイント【真田昌幸・信幸、名実ともに大名へ】 小田原城を攻略し、北条家を滅亡へと追いやった秀吉。その後に旧北条領の仕置をおこない、徳川家康の関東転封を決めています。 出兵に協力した、佐竹・結城・宇都宮らの諸大名は領国安堵。 そして北条氏との開戦のきっかけとなった真田家においては、沼田・吾妻領を全面委任とされ、信幸は沼田城を回復... -
大かまり・上田合戦に登場した忍びの集団
真田知見録【上田合戦の前哨戦に登場していた「大かまり」】 天正13年(1585年)8月、家康の命を受けて、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉らは真田討伐へ、約7000の兵が本拠・上田城を襲います。この上田合戦は歴史的な一時史料が少なく、たいへん謎の多い合戦と言われています。 この上田合戦、徳川勢が上田に到着する前に、ゲリラ戦を仕掛ける真田勢の... -
竹林院(信繁の正室)ときり
真田丸を楽しむポイント【前半で生き生きと描かれる信繁・側室のふたりの女性】 大河ドラマ「真田丸」、前半の第9回が終了しました。今のところ、信繁はいまだ元服(※当時の成人のこと)を迎えておらず、ストーリーの脇に華を添える女優陣、黒木華さんの「お梅」と長澤まさみさんの「きり」との三角関係で、信繁少年期の大人へと成長していくステップに、戦国武将と... -
沼田領問題勃発。昌幸vs家康、対決へ!
真田丸を楽しむポイント【沼田領問題勃発、昌幸は家康と断交を決意】 天正壬午の乱以後、天正13年(1585年)の4月から6月にかけて、徳川家康は甲斐の国に出陣し、甲府に入っています。名目は、沼田・吾妻領の北条への引き渡しの件についての昌幸への説得でしたが、実際のところは、その軍事力を背景にした圧力を真田家に与えることにより、沼田領の問題を解決したい... -
戦(いくさ)巧者の矢沢頼綱②
真田家の人々真田幸隆の弟、昌幸から見れば叔父にあたる矢沢頼綱。当初は独立性を保持した活動をしていますが、昌幸が継いだ真田家が大きく成長していくにつれ、頼綱の矢沢家はその筆頭家老としての地位を確立していくことになります。 そしてこの頼綱も、幸隆や昌幸に負けず劣らずの戦巧者(いくさこうしゃ)で、なんども攻め込まれた沼田城を僅かな兵で... -
横谷左近(幸重)
大坂の陣(豊臣方)【出浦昌相(まさすけ)とともに、真田家忍衆の双璧をなす】 横谷左近(※横谷幸重とも呼ばれます)は、上野(こうずけ)と信濃の境にあったという要害・雁ヶ沢城を本拠にした地侍とも言われています。昌幸の父・幸隆の時代から真田家に仕えました。横谷幸重の「幸」の字は、主君であった幸隆より一字拝領していると考えられます。以後、昌幸...