真田丸を楽しむポイント– category –
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幸村の馬上筒 ~家康を追いつめた伝説~
真田丸を楽しむポイント実は種子島伝来以前に日本に伝来していた火縄銃。 15世紀前半にヨーロッパで発明され、1543年(天文12年)に種子島に伝来(「鉄炮記」より)されたとされる、マッチロック式(火縄式)銃は火縄銃と呼ばれ、戦国期、またたく間に日本全国に拡がりました。昨今では、それ以前に伝わっていたとの説が有力で、倭寇などにより、日本の複数の地域に... -
信繁長女・すへとその夫・石合十蔵
真田丸を楽しむポイントすへは真田信繁(幸村)と堀田作兵衛興重の妹の間に生まれた長女。小県長窪郡の本陣を運営する石合十蔵道定に嫁ぎました。本陣とは大名向けの宿のことで、石合家は地元でも名主、有力者であったと言えます。(※長窪宿は中山道で最も古い本陣だとも。) とは言え、元は大名クラスの中央官僚ともいえた信繁(幸村)の娘・すへとは、家格が合わ... -
伝説の出城・真田丸の完成まで~アイデアは又兵衛?~
真田丸を楽しむポイント1614年(慶長19年)の大坂冬の陣にて、豊臣方の真田幸村(信繁)が大坂城平野口の南に構築したと言われる曲輪(※城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した出丸) 言わずと知れた、NHK大河ドラマ「真田丸」の名称にもなっている、幸村が歴史上稀に見る大勝利をあげた出城のそれです。 しかし近年、その大河ドラマ「真田丸」の城郭考証者を担当... -
九度山脱出劇~信繁の九度山ライフ・最終章④~
真田丸を楽しむポイントNHK大河「真田丸」 永かった信繁の九度山LIFEも、豊臣秀頼からの招きに応じたことでいよいよ終わりに、大坂城入城のための信繁(※ここから先は幸村と呼ばせていただきます。詳しくは真田左衛門佐信繁~官位とその名の由来~)と一行の九度山脱出劇が始まります。 史実、蟄居・幽閉の身であった幸村(信繁)の脱出は、浅野家監視の中を隠密裏... -
【予想】真田丸最終章~大坂の陣の合戦シーンはかつてない規模に!~
真田丸を楽しむポイント1年というのは早いもので、毎週末が待ち遠しいNHKの大河ドラマ「真田丸」もいよいよ最終章。真田幸村(信繁)が突如、歴史の中で輝きを放った「大坂冬の陣」、「大坂夏の陣」が描かれることになります。第39話を終えた時点での、こちらの記事の投稿ですが(2016.10.05)、放送終了後の「最終章予告動画」には正直、鳥肌が立ちました。 ... -
文英清韓 ~問題の「国家安康」を書いた人物~
真田丸を楽しむポイント伊勢国の出身と言われる臨済宗の僧、文英清韓(ぶんえいせいかん)。一般に諱(いみな)の清韓のみで呼ばれることの多い人物です。秀吉時代の朝鮮出兵・文禄の役では加藤清正に従って朝鮮半島に渡ったとされ、現地で祐筆(※同地での清正の活躍などを記録)として活躍しました。 帰国後は、京都五山のひとつにも数えられる大本山・東福寺、さ... -
秀頼から信繁へのオファー ~大坂からの使者~
真田丸を楽しむポイント方広寺鐘銘事件の顛末(てんまつ)をきっかけとして、にわかに顕著になった豊臣と徳川の亀裂。双方の交渉はやがて緊迫したものと発展していきます。(※これまでの経緯は、投稿記事 方広寺鐘銘事件の真実~家康の言いがかりではなかった!?~ をご覧下さい。) この時期、たいへんな苦境に立たされながら徳川との取り次ぎ役を果たした片桐... -
方広寺鐘銘事件の真実~家康の言いがかりではなかった!?~
真田丸を楽しむポイント歴史的にも有名な「方広寺鐘銘事件」。これまでの一般的な歴史解釈としては、豊臣家を潰したい家康の一方的な言いがかりとして語られることが多かったと思います。(※当ブログもその内容で過去に記事を投稿しています→ 大蔵卿局と方広寺鐘銘事件) しかし近年の研究で、この事件についても別の解釈が登場しており、今までのイメージとはずい... -
信繁の九度山ライフ③~サナール紐と真田紐!~
真田丸を楽しむポイント【昌幸・信繁の情報収集にも役立った?真田紐】 九度山に蟄居していた真田昌幸・信繁父子が真田紐を考案し、生計を立てたという有名な俗説。真田の国元である上田付近は織物の産地であり、同じく九度山も織物の産地であったことからこのような逸話が誕生したと考えられています。そして、昌幸・信繁父子はこの真田紐の販売を全国展開。行商人(... -
敵も味方も真っ赤っか!~真田丸、赤備えvs赤備えの戦い~
真田丸を楽しむポイント【戦闘の経緯】 慶長19年10月2日(1614年11月3日)、豊臣家では旧恩ある大名や浪人に檄を飛ばし、合戦準備に着手。秀吉の遺した莫大な金銀を用いて全国から集めた総兵力は約10万人。年明けは、真田信繁(幸村)、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、毛利勝永、明石全登ら五人衆を中心に、対徳川方・「大坂冬の陣」の火ぶたが今まさに切って落... -
もうひとりの安房守~北条氏邦と真田昌幸~
真田丸を楽しむポイント【武勇に優れた氏邦の活躍】 戦国の雄将・北条氏康の四男で、北条氏政の弟にあたる北条氏邦。氏康が武蔵の豪族・藤田氏を攻め落とすと、氏邦は戦略的に藤田家を乗っ取るかたちで婿入り、家督を継承して藤田安房守氏邦を名乗りました。 くしくも真田昌幸と同じ、「安房守(あわのかみ)」を名乗った人物ということになります。 北条家・次兄の... -
信繁の九度山ライフ②~密かに鍛錬を重ねた日日~
真田丸を楽しむポイント【屋敷の火災~災難までふりかかる信繁一家~】 九度山における十数年におよぶ信繁の配流生活。1611年(慶長16年)に父・昌幸が亡くなったあとも、生活費の工面にさえ汲々とするさまは、この時期の信繁自信の筆による手紙などの一次資料からも伺えます。 家臣に宛てた中からわかる事実として、信繁とその家族が住む屋敷が火事にあっており、... -
竹本義太夫(ぎだゆう)~実在した!?浅野家臣~
真田丸を楽しむポイント大河・真田丸において、公開されている登場人物に、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)なる人物がいます。これから、昌幸・信繁は九度山での生活を始めることになりますが、竹本義太夫は紀伊和歌山・浅野家の家臣で、九度山に蟄居する信繁親子の監視役ということになるようです。 果たして実在の人物なのでしょうか? 【後世、浄瑠璃で語... -
小野お通~信之が愛した女性~
真田丸を楽しむポイント第2次上田合戦も終え、いよいよ九度山での蟄居生活に時代を移すことになる昌幸・信繁親子。大河・真田丸もいよいよ大詰めへ、というところでしょうか。 そして、これまでのお話しの展開の中で、スポット的に登場して視聴者を楽しませてくれた登場人物がいます。吉野太夫(初代)、出雲阿国、呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)や、他にも清水... -
仲良しだった?信幸と三成
真田丸を楽しむポイント豊臣政権において、近習として秀吉の側近くに仕えた信繁に対して、徳川家康の与力大名という立場であった兄・信幸。しかし、意外にも石田三成とは、たいへん親しく接していたらしく、「真田家文書」には14通もの三成から信幸に宛てた書状が残されていると言います。 しかも、これらすべては概して「短い手紙」であったらしく、このことがかえ... -
馬印(うまじるし)
真田丸を楽しむポイント馬印(※馬標、馬験とも。) 戦場や行軍で、戦国武将が自分の位置を示したり、また味方の士気を鼓舞するために用いた装飾物で、いわば軍旗のような役割を果たしました。木や竹などの周囲からもよく見える高い位置にとり付けられ、そのデザインは武将によって様々。当初は四半旗のものが大半でしたが、戦国期も終焉間近になると、旗の形に留ま... -
数正息子・石川康勝のボヤ騒ぎ ~真田丸での大失策・災い転じて福となす~
真田丸を楽しむポイント【石川数正の嫡男・康長と次男・康勝、大坂城に入城】 徳川家康の元を出奔し、豊臣方 に寝返った石川数正。関ケ原の合戦の際には数正は死去していますが、彼の死後も石川家は嫡男・康長が家督を相続、信濃・松本8万石の大名家を存続させます (※康勝も1万5千石を継承)。その後、慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦、康長・康勝の兄弟は徳川... -
長束正家(なつかまさいえ・ながつかまさいえ)
真田丸を楽しむポイント【没落した自家を算術の能力で復興させた行政官】 豊臣政権下、五奉行の一人にも数えられた長束正家。父は水口盛里といわれ、元は水口城を居城とする水口を名乗った家系に生まれましたが、水口城が落城したため長束村に居住。正家は長束を名乗るようになります。 後に豪商となるような近江商人を数多く輩出することになる地域で育った正家。... -
バテレン追放令とサン・フェリペ号事件 ~二十六聖人殉教の悲劇~
真田丸を楽しむポイント【バテレン追放令】 秀吉は、もともと織田信長の政策を継承。キリスト教布教を容認する立場をとっていました。1586年(天正14年)3月には大坂城にイエズス会宣教師ガスパール・コエリョを呼び引見、5月にはイエズス会に対して布教の許可証を発給しています。 しかしそんな秀吉が、バテレン追放令を出したのは同じ年の6月19日。同じくコエリョ... -
信繁の九度山ライフ① ~昌幸の死と大勢の子供たち~
真田丸を楽しむポイント真田昌幸・信繁の父子が高野山に向かった際、これに随行したいわれる家臣は、池田長門守、原出羽守、高梨内記、小山田治左衛門、青柳清庵ほか16名。徳川から随行する家臣の人には制限を設けられていたとも伝わっています。 これら随行した家臣には、上田の信之(信幸)から引き続き知行が与えられ、その生活を維持しました。 【家族と... -
真実の上田合戦~秀忠は関ケ原に遅れたか?~
真田丸を楽しむポイント【通説の秀忠、関ケ原遅参】 通説によると、徳川本隊を率いた秀忠は、中山道を進んだ後、家康と合流して石田三成との決戦に参戦する予定だったのが、その途上、上田城の真田昌幸に手こずったたため関ケ原の合戦に遅参。父・家康に叱責を受けたとされています。(※詳しくは投稿記事~第二次上田合戦~関ケ原に遅参させたしたたかな戦い~) こ... -
キリシタンの大工・吉蔵 ~フランシスコ吉~
真田丸を楽しむポイント真田丸・第29回「異変」に、玉・細川ガラシャとともに登場する、キリシタンの大工・吉蔵。 豊臣秀吉による禁教令を受けて長崎で刑死し、殉教者として聖人に加えられた日本二十六聖人の一人である、フランシスコ吉(フランシスコきち)をモデルにした実在の人物と考えられます。 フランシスコ吉は、パブチスタ以下24名が長崎に向かうの... -
凡庸の2代目、徳川秀忠という男
真田丸を楽しむポイント真田丸第28回。この回は、豊臣秀次切腹事件が新説(斬新な解釈)を用いて展開する中、星野源さん演じる徳川秀忠が初登場。秀次の影に隠れて、ネットではあまり話題に上らなかったようですが、個人的にはたいへん興味深いものでした。家康に言われて、(こちらも初登場の)本多正純に深々と頭を下げる姿は、「実直に、ただひたすら父の言いつ... -
秀吉~天下人のその最期~
真田丸を楽しむポイント【秀吉の付け髭。猿は自ら呼んだ?】 「身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には6本の指があった。目が飛び出ており、シナ人のようにヒゲが少なかった」と記したのはルイス・フロイス。当時の武将は髭を蓄えるのが習慣だったので、髭の薄い秀吉は付け髭をすることもあったと言われています。(※中国には昔から秀吉が中国出身者である... -
真田左衛門佐信繁~官位とその名の由来~
真田丸を楽しむポイントいよいよ中盤も過ぎ、早いもので第27回を迎えようとしている「真田丸」。主人公・信繁と、その兄・信幸は兄弟そろって従五位下の官位を授り出世。ということになります。 真田信幸・・・伊豆守(いずのかみ) 真田信繁・・・左衛門佐(さえもんのすけ) ※二人が官位を叙任したいきさつや、その官位についての詳しい解説はこちら 今後は劇中、...