徳川家臣団– category –
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真実の上田合戦~秀忠は関ケ原に遅れたか?~
徳川家臣団【通説の秀忠、関ケ原遅参】 通説によると、徳川本隊を率いた秀忠は、中山道を進んだ後、家康と合流して石田三成との決戦に参戦する予定だったのが、その途上、上田城の真田昌幸に手こずったたため関ケ原の合戦に遅参。父・家康に叱責を受けたとされています。(※詳しくは投稿記事~第二次上田合戦~関ケ原に遅参させたしたたかな戦い~) こ... -
凡庸の2代目、徳川秀忠という男
徳川家臣団真田丸第28回。この回は、豊臣秀次切腹事件が新説(斬新な解釈)を用いて展開する中、星野源さん演じる徳川秀忠が初登場。秀次の影に隠れて、ネットではあまり話題に上らなかったようですが、個人的にはたいへん興味深いものでした。家康に言われて、(こちらも初登場の)本多正純に深々と頭を下げる姿は、「実直に、ただひたすら父の言いつ... -
本多正純(まさずみ)
徳川家臣団永禄8年(1565年)、本多正信の嫡男として生まれた正純。この時、正信は三河一向一揆に参加して徳川家康に反逆しました。その後、一揆が家康によって鎮圧されると、家中を追放されて大和の松永久秀を頼ります。(このエピソードの詳細はこちら) しかし、正純は母親と共に三河に残り、大久保忠世(大久保忠隣の父)の元で保護されました。や... -
平岩親吉(ちかよし)
徳川家臣団【徳川十六神将の一人にも数えられる戦国武将、家康とは同い年で、今川義元の人質時代から仕えた重臣。】 天文11年(1542年)、平岩親重の次男として三河生まれ。 永禄元年(1558年)に初陣すると、三河統一戦や遠江平定戦など、家康の初期の戦いで戦功を挙げました。 家康の親吉への信任は厚かったと見られ、嫡男・信康が元服すると傅役(ふ... -
大久保忠世(ただよ)
徳川家臣団【歴戦の勇将・真田昌幸の前に大敗する】 大久保忠員(ただかず)の嫡子として、天文元年(1532)に三河で生まれました。大久保氏は家康の祖父・松平清康の代から家臣として仕えるようになったといわれ、忠世の大久保家はその支流ながら、忠世らの活躍でやがて本家をしのぐようになります。忠世とその弟・忠佐は、徳川十六将の 1人にも選ばれ... -
石川数正(かずまさ)
徳川家臣団約265年に渡る徳川政権を後にを築くことになる徳川家康。その配下には並みいる戦国武将が揃っていたわけですが、大河ドラマなどではもちろん時間的(予算も?)な制約もあり、ストーリーに絡む人物しか登場しません。真田丸での家康家臣といえば、本多正信、本多忠勝が頻出しますが、正信なら家康の参謀としての立場や昌幸との関係性を重視し... -
鳥居元忠
徳川家臣団【家康に幼少のころより仕えた側近中の側近】 天文8年(1539年)、松平氏の家臣・鳥居忠吉の三男として生まれた元忠。 父の忠吉は岡崎奉行などを務めた老臣で、元忠は家康がまだ「竹千代」と呼ばれた頃から仕えた側近の一人です。 家康の三河統一後は旗本先手役の将として戦います。 長兄の忠宗は天文16年(1547年)の渡の戦いで戦死、次兄は... -
服部正成(まさなり)・半蔵
徳川家臣団【服部正成、またの名を服部半蔵】 おそらく忍者としては一番高名な服部半蔵(服部正成)は、忍者の流れを汲む家系に生まれ、徳川配下で伊賀衆と甲賀衆を統率・指揮した戦国武将です。 有名な服部半蔵の名は、代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主の通り名。 実は、正成自体は「忍び」ではなく、仕えた徳川家において忍者を... -
板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)
徳川家臣団真田丸に登場する北条方の武将・板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)。ドラマでは、山西惇(やまにしあつし)さん演じる戦国武将。史実の流れを考えれば、前半には滅亡する予定の北条家。たくさんの家臣を擁するその家中において、板部岡江雪斎がたびたび劇中に登場する理由など踏まえての投稿記事になります。 【初め真言宗の僧、そし... -
木曾義昌(木曽義昌)
徳川家臣団真田丸では、第1回から武田家を裏切った武将としてその名が登場する木曾義昌(よしまさ)。織田信長死後に起きる信濃の混乱でも、その領国の位置関係などから、ある種のポイントとなる人物です。 【】 【源義仲の嫡流と伝わる名族・木曽氏。最初は対抗するも、後に信玄の親族衆となる】 義昌は、天文9年(1540年)、木曾義康の嫡子として誕生... -
本多正信
徳川家臣団【真田丸、本多正信を通して描かれる、新しい「家康像」】 大河・真田丸に登場する徳川家康(内野聖陽)。後に天下人となる彼のもとには、たいへん有能で個性的な戦国武将が数多く存在します。もちろんドラマではその全員を取り上げるわけにもいかない訳ですから、原作なり、脚本なりでの中で、重要人物をどのように描いていくか?で、その周... -
本多忠勝
徳川家臣団【徳川四天王!徳川十六神将!!徳川三傑!!!徳川家康、最大の功臣】 幼い頃から徳川家康に仕えた家康最大の功臣とも言える本多忠勝。初陣(ういじん)はなんと13歳で、あの織田信長が今川義元を敗死の追いやった永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い。その前哨戦にあたる大高城兵糧入れにまでさかのぼります。 ファンの多い本多忠勝。今さら説... -
真田信尹(さなだのぶただ)
徳川家臣団【昌幸とは双子の可能性も!?信繁も尊敬する叔父・信尹(のぶただ)】 真田幸綱(幸隆)の四男で、昌幸の弟。信幸・信繁の叔父にあたる人物です。大河「真田丸」では、栗原英雄さんが熱演する物語の重要人物。 史実の信尹は、後に松代藩となる大名・真田家とは別に、分家である旗本真田家を興しました。諸説ありますが昌幸と同年に生まれた...
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