文字通りスペインを「旅する」一冊――文章と映像で楽しむ新しい歴史散歩

文字通りスペインを「旅する」一冊――文章と映像で楽しむ新しい歴史散歩

『スペインの歴史都市を旅する48章』(明石書店)で取り上げる15の都市。「スペイン世界遺産都市機構」を結成している(小倉真理子作成) 文字通りスペインを「旅する」一冊 明石書店のエリア・スタディーズの中でも、スペイン関連の本はとても充実しており、歴史、文化、地域など様々な観点からスペインを考察した幾冊もの本が出版されている。 本書『スペインの歴史都市を旅する48章』は、そんなスペインで初めての『旅する』シリーズで、一般の旅行ガイドブックではなかなか細かく触れられないが魅力に溢れた15の都市を紹介している。 アビラ、アルカラ・デ・エナーレス、イビーサ、ウベダ、カセレス、クエンカ、コルドバ、メリダ、サラマンカ、サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、セゴビア、タラゴーナ、トレード、バエサのこれらの都市に共通するのは、それぞれが街の中心に歴史地区を擁し、旧市街全体がユネスコの世界遺産に指定されていることである。そして、貴重な遺産を未来に継承するために15都市によって結成されたスペイン世界遺産都市機構(GCPHE)が、相互協力をしながら保全に努めている。 本書では、スペイン史を専門とする立石博高先生と、教え子でスペイン在住の小倉それぞれの視点から、各都市を3つの章とコラムの構成で、歴史、文化、遺跡、モニュメント、音楽、手工業、グルメや特産品といったあらゆる角度から考察している。 豊富な写真と映像 本書の最大の特徴は、エリア・スタディーズシリーズ初の試みとなる映像の導入だ。合計45本、累計5時間半の映像には、各章冒頭に掲載されたQRコードからアクセスできる。スペイン在住26年目を迎える小倉にとって、本書で扱った歴史都市は、いずれも一度ならず幾度も訪問しているなじみの深い地ばかりであるが、執筆にあたり全15都市を再訪問したことも書き添えておきたい。 通常のエリア・スタディーズシリーズよりも多めに採用した写真は、本書のために新たに撮り下ろしたものばかりで、付随する動画も小倉がこれらの都市を実際に歩いて撮影し、編集したものである。 旅の音楽には、スペインを代表するフラメンコギタリストで作曲家のカニサレスが提供してくれた自作のギター演奏を用いている。優美なギターの調べは、BGMにしておくのがもったいないほどの存在感を見せているが、フラメンコギターの力強くも繊細な音色がスペインの風景とこれほど相性がいいのは、この楽器がスペイン発祥のものであることと切り離して考えることはできないだろう。 サンマルティン・ピナリオ修道院の聖歌隊席(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)(小倉真理子撮影) スペインの歴史と文化の多様性と世界遺産 本書は、どこの章から読み始めても楽しめる構成になっているが、スペインの世界遺産とスペインの歴史の概略を解説している最初の3章は、ぜひ先に目を通していただくのが良いだろう。 イベリア半島には、先史時代からフェニキア人、ギリシア人、ローマ人、ゲルマン諸部族、キリスト教徒、イスラーム教徒、ユダヤ教徒などが次々と到来し、それぞれの文化が混淆(こんこう)してきた背景がある。 また、スペイン史で「レコンキスタ(再征服)」と呼ばれる時代には、イベリア半島を制圧したイスラーム教徒に対してキリスト教徒が国土回復を行ったとされてきたが、実際にはこの3つの宗教は文化的共存をしていたため、スペイン各地の世界遺産の中にその痕跡を目にすることができる。 コルドバのメスキータ(モスク)の「円柱の森」(小倉真理子撮影) 16世紀以降、カスティーリャ王国が主導する複合君主政の時代を迎えてもなお、周辺諸王国の個性は失われることなく、むしろ生き生きと存続した。20世紀にはスペイン内戦やフランコ独裁を経験するが、21世紀には地域的多様性や多文化性を誇る社会となった。 こうしたスペインの複雑な歴史に根ざした豊かな地域文化のおかげで、スペインは世界トップクラスの世界遺産保有国になったといえるだろう。その一方で、ユネスコ世界遺産の定義を改めて明確にし、登録基準や区分を解説している点や、スペインの文化遺産保護政策の変遷とその背景を詳細に解説していることも特筆に値する。 2000年前の劇場が現役で活用される都市メリダ 本書で扱う都市の中から1つの都市だけを取り上げるのはなかなか難しいが、ぜひとも紹介しておきたいのがメリダにあるローマ劇場だ。 メリダのローマ劇場(小倉真理子撮影) 紀元前16〜15年に建設された大きな施設で、着席で3000人、立ち見も入れると合計6000人を収容できる。観客席は、緩やかな丘の傾斜に沿って階段上に設けられており、舞台の音響が末席にまで届く効果をもたらしている。 トラヤヌス帝の時代に大規模な改修をして現在も残るファサードが完成し、その後コンスタンティヌス帝の時代には、舞台に大掛かりな装飾が施され更に立派な劇場となったが、キリスト教の公認と同時に「演劇=不道徳なもの」というレッテルが貼られ、演劇は一気に衰退してしまう。 こうした現象はスペイン各地で起きていたのだが、特にメリダの劇場は、ただ放置されるのではなく意図的に砂などで埋められ、その後歴史から完全に姿を消してしまった。幸か不幸か、この徹底的な隠蔽が功を奏し、20世紀になって本格的に発掘された時には、ほぼ完全な形で見つかったのだ。 その後の展開は驚くべきもので、1933年にはこの劇場を会場として「メリダ古典演劇祭」が開催され、内戦での中断は経たものの今でも毎年この演劇祭はこの劇場で開催されている。建設から2000年の年月を経て、当初と同じ目的でこの施設が再利用さているのだから、歴史を感じずにはいられない。 このローマ劇場をはじめ、メリダの市内に点在するローマ遺跡は第37章「古代ローマ最大の植民地」、第38章「メリダの水にまつわる歴史と遺産」、第39章「ローマ時代から現代に伝わるメリダの文化」をご覧いただきたい。各章に付随する動画は、人が歩く視点で撮影しているので、まるでメリダの街を闊歩しているような感覚をお楽しみいただけると思う。 メリダのローマ劇場などを紹介する、第39章「ローマ時代から現代に伝わるメリダの文化」の関連動画。本書に掲載のURLからはこのような動画を視聴できる 『スペインの歴史都市を旅する48章』が、スペインを旅したことのある人にとっては思い出を振り返る、これからスペインを訪れてみようとされる方にとっては、旅の道標となることを心から願っている。 この本の監修者・著者 立石博高(たていし・ひろたか) 東京外国語大学名誉教授(前学長)。専攻はスペイン近代史、スペイン地域研究。主な編著書に、『スペイン史10講』(岩波書店、2021年)、『歴史のなかのカタルーニャ』(山川出版社、2020年)、『フェリペ2世』(山川出版社)、『スペイン帝国と複合君主政』(昭和堂、2018年)、『概説近代スペイン文化史』(編著、ミネルヴァ書房、2015年)、『カタルーニャを知るための50章』(共編著、明石書店、2013年)、『アンダルシアを知るための53章』(共編著、明石書店、2012年)、『世界の食文化14 スペイン』(農文協、2007年)、『スペインにおける国家と地域―ナショナリズムの相克』(共編著、国際書院、2002年)、『世界歴史大系 スペイン史1・2』(共編著、山川出版社、2008年)、『スペイン・ポルトガル史』(編著、山川出版社、2000年)、『国民国家と市民―包摂と排除の諸相』(共編著、山川出版社、2009年)、『国民国家と帝国―ヨーロッパ諸国民の創造』(共編著、山川出版社、2005年)、『フランス革命とヨーロッパ近代』(共編著、同文舘出版、1996年)などがある。 この本の著者・この記事を書いた人 小倉真理子(おぐら・まりこ) 音楽プロダクション経営者。東京外国語大学スペイン語学科卒。マドリード在住26年。文化庁芸術家在外研修のアートマネジメント部門の奨学金で留学の後、スペインで音楽プロダクションを起業する。スペイン語検定DELEのC2取得。夫でフラメンコギタリストのカニサレスのマネジメントをしながら、バークリー音楽大学でサウンドエンジニアリングを学び、レコード会社と音楽出版社を設立。自らも音響技師、プロデューサーとして、ファリャ三部作(2013年)、グラナドス三部作(2017年)、『アル・アンダルス協奏曲』(2023年)等、多数のCD制作に携わる。カルロス・サウラ監督映画『J: ビヨンド・フラメンコ』(2017年)の日本語字幕監修担当。NHKラジオテキスト『まいにちスペイン語』の巻頭ページにて、スペインの世界遺産を紹介するコラムを執筆(2023年10月号~2024年3月号、NHK出版)。マドリードのコンプルテンセ大学で客員講師として日本の伝統音楽や伝統楽器に関する講義を行う。

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