セーラー服は、現在でも多くの女子中高生の制服として親しまれていますが、その起源については長らく議論が続いていました。「日本で初めてセーラー服を導入した学校はどこか?」という問いに対し、近年の研究によって明確な答えが示されつつあります。
「セーラー服邪馬台国論争」とは?
セーラー服の起源については、かつて**福岡女学院(福岡女学院中学校・高校)が最初に採用したとする説が長く定説とされていました。しかし、2007年には平安女学院(京都、平安女学院中学校・高校)がそれより1年以上早くセーラー服を採用していたとする新説が発表され、「どちらが元祖か?」という論争が巻き起こりました。この論争は、歴史研究者の間で「セーラー服邪馬台国論争」**とまで呼ばれるほどでした。
決着――最も早くセーラー服を採用したのは金城女学校
日本大学商学部准教授で歴史学者の刑部芳則氏は、全国900以上の旧制高等女学校の制服を調査。その結果、最も早くセーラー服を採用したのは、**愛知県の金城女学校(現・金城学院高校)**であることが明らかになりました。
金城女学校は1921年(大正10年)9月にセーラー服を正式に制定し、その証拠として当時の女子生徒の集合写真が残っています。これにより、福岡女学院や平安女学院よりも早くセーラー服を採用していたことが証明されました。
セーラー服が導入された背景とは?
江戸時代まで、日本の女性の服装は着物が一般的でしたが、明治時代に入ると洋装の導入が進みます。高等女学校の通学服としては、当初「着物+袴」が主流でしたが、1919年(大正8年)の服装改善運動を契機に、未成年の洋装化が進みました。
セーラー服が高等女学校の制服として人気を博したのは、以下のような理由が考えられます。
- 機能性の向上:着物や袴と比べ、動きやすく活動的なデザインだった。
- 経済的負担の軽減:袴よりも安価で、維持しやすい。
- デザインの魅力:女子生徒から「かわいい」と支持され、制服として定着。
また、1920年代には**バスガール(女性車掌)**の制服と高等女学校の制服が似ていたため、「バスガールに間違われないように」としてセーラー服が好まれたという証言もあります。
セーラー服のその後――戦争と戦後の変化
第二次世界大戦中、スカートが禁止されるなど制服の規制が強化されました。文部省は1941年(昭和16年)に「標準服」を制定し、セーラー襟のないヘチマ襟の制服を推奨しました。しかし、戦後には再びセーラー服が人気を取り戻し、多くの学校で採用されました。
ただし、一部の進学校では「セーラー服は軍国主義の象徴」として廃止され、ブレザーに移行する学校もありました。それでも、学習院女子中・高等科やフェリス女学院など、伝統を重視する学校では現在もセーラー服が受け継がれています。
まとめ:セーラー服の起源は金城女学校
長年の論争に決着がつき、現在では**日本で最初にセーラー服を採用したのは「金城女学校(現・金城学院高校)」**であると広く認識されています。セーラー服は、単なる制服の枠を超えて、日本の教育や社会の変化を象徴する存在となっています。
今後も、伝統あるセーラー服がどのように受け継がれていくのか、注目していきたいところです。