長崎 平戸に伝わる三浦按針(ウィリアム・アダムス)の歴史

長崎 平戸に伝わる三浦按針(ウィリアム・アダムス)の歴史

大河ドラマ「どうする家康」でも登場した三浦按針(ウィリアム・アダムス)。1564年イギリスで生まれ、1600年にリーフデ号で現在の大分県に漂着。徳川家康の外交顧問として活躍しました。その後、現在の長崎県平戸市を1613年に訪れ、1620年にこの地で生涯を閉じました。今も平戸には三浦按針に関する場所や物が数多く残されています。冬の平戸で、三浦按針の足跡を訪ねました。 NHK長崎放送局アナウンサー 木花牧雄 平戸には足跡がいたるところに! 平戸市役所の横には… まず訪れたのは平戸市役所。庁舎の横には碑が置かれています。英国商館が平戸に設置されたことや、日本とイギリスの関係を築いた先人たちの功績を称えるための碑です。 英国商館遺址之碑 ここにももちろん「ウィリアム・アダムス」の名前が刻まれています。平戸イギリス商館の設立にも大きく関わった三浦按針。イギリスとの懸け橋として、今もその歴史を平戸に伝えています。 「紳商」(紳士の商人、品位を備えた一流の商人)の肩書 平戸市役所から商店街の方向に進んでいきます。すると、街中にはこんな看板が。 かつての平戸の街並みがわかる 看板を頼りに、かつて平戸イギリス商館があった辺りの今の様子を見てみます。それがこちら� 三浦按針もこの辺りをよく行き来していたのでしょうか。今から400年以上も前のこと。外国商館が建ち並び、外国の文化でにぎわっていた場所なんですね。 商店街を進んでいきます。今回の目的の一つ、老舗の菓子店に向かいます。 英国商館通りを進んでいく 通りにも三浦按針に関する多くの場所が紹介されています。通りの名前にもなっている「英国商館跡」です。 三浦按針が設立に関わり、1613年~1623年の間存在した「平戸イギリス商館」の跡地です。三浦按針が平戸に来た年に設立されています。按針の死後3年でイギリスは商館を閉鎖して日本から撤退することになります。そこにはどんな歴史があったのでしょうか。想像が膨らみます。 その近くには、三浦按針 終焉の地の碑がありました。 通り沿いにひっそりと建つ碑 1620年(元和6年)5月にこの地で亡くなったことなどが記されています。 三浦按針を今に伝える老舗菓子店 終焉の地の碑のすぐ近くにあるのがこちら。 英国商館通りに立つ「按針の館」 その名も「按針の館」です。按針がここで暮らしていたとされている場所です。按針は日本と交易する諸外国に対して公平な立場にするため、商館には住まず、この木田弥治右衛門宅に居住していたそうです。中の様子は� 平戸の伝統の凧「鬼洋蝶」が出迎えてくれる かつての豪商の建物で築400年以上の歴史があるといいます。様々な年代で、町内の皆さんや店舗などが改修・リフォームを繰り返して現在に残してきました。現在は、創業1502年(文亀2年)という室町時代から続く老舗の菓子店が店舗を構えています。 24代目の松尾俊行さん 中でも、「柱」や「梁」は当初のものがいまだに残っているということです。所々穴が開けられていたりと、歴史を重ねる中で様々な用途に使われてきたことを感じさせます。 400年以上の歴史を感じる家屋の一部 かつて按針が居住したとされる「按針の館」。当初から残っている部分は、ここで暮らす按針の様子を見てきたのかもしれませんね。 こちらのお店は平戸藩松浦家の御用菓子司として、500年以上にわたり平戸で菓子作りを行ってきました。中でも歴史があるのが、古くから「カスドース」と呼ばれてきた菓子。1550年頃、ホルトガルの宣教師によって伝えられたとされています。 その起源も諸説ありますが、「長期間の航海により乾燥したカステラをアレンジした」というものもあります。今も製法は昔のまま変わらず伝わっています。カステラを卵黄にくぐらせ、沸騰した糖蜜につけて揚げていき、砂糖をまぶして作られます。冷蔵する設備がない昔でも菓子を長持ちさせるための知恵だそうです。 当時のぜいたく品「卵黄」・「砂糖」をふんだんに使った貴重な菓子は、お殿様だけが食べられる「お留菓子」と呼ばれていました。ただ、三浦按針も徳川家康の外交顧問を務めたほど人物です。もしかしたら、三浦按針も食べていたのでしょうか? 松尾さん もちろん定かではないですが、食べていたかもしれないですし、食べていたと思いたいですね。 三浦按針の銅像・墓地・バラ・・・ 次は「平戸オランダ商館」に向かいますが、その途中にも三浦按針ゆかりのスポットがいくつもあります。 ウィリアム・アダムス像と 平戸市にゆかりのある人物の銅像が並ぶ「歴史の道」。平戸イギリス商館の初代館長「リチャード・コックス像」や、平戸に初めてのキリスト教の布教伝道にあたったとされる宣教師の「フランシスコ・ザビエル像」などが立ち並ぶ中、やはりありました「ウィリアム・アダムス像」です。 平戸の海を見つめるように立つアダムス像 多くの歴史上の人物と関わりのある平戸。改めて平戸ならではの歴史を興味深く感じました。そして、歴史の道を通って崎方公園へ向かいます。 三浦按針関連の標識が並ぶ崎方公園 まずは「ANJINローズガーデン」へ。11月下旬に訪れた時はきれいなバラが花を咲かせていました。その名も� 「ウィリアム・アダムス」です。非常に鮮やかな赤が印象的なバラです。 ウィリアム・アダムスと名付けられたバラの品種 三浦按針の母国・イングランドの国の花でもある「バラ」。名前に「三浦按針」ではなく英語名「ウィリアム・アダムス」と付けているのも按針への思いが込められている感じがします。 その崎方公園の中を進むと、「三浦按針の墓」があります。 長年、按針の埋葬地とされてきたこの地に1954年(昭和29年)に建立された墓碑。写真の右にあるのは三浦按針の夫婦塚で、イギリスにある妻の墓地から夫人の霊魂の象徴として小石を取り寄せ、アダムスの墓に合葬したものです。さらに、ここには「伝三浦按針墓地」の碑も立っています。 […]

元の記事の確認はこちらクリックでお願いします。 www.nhk.or.jp

この記事を書いた人

目次