『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>

『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>

松本潤さんが主人公の徳川家康を演じるNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)が、12月17日放送の第48回「神の君へ」で最終回を迎える。歴史学者の小和田哲男さん、平山優さんとともに時代考証を担当した東洋大学講師の柴裕之さんに考証で苦労した点やドラマの裏話などをたっぷり聞いたので、<上><下>に分けて紹介する。多くの人物が登場したため、演じた俳優名とともに一覧をつけて、こちらも上下に分けて掲載する。ドラマをご覧になった方は、登場人物の顔やセリフを思い浮かべながらお読みいただきたい。(聞き手:編集委員 丸山淳一) 「コンセプト」と「史実」の整合に腐心 柴裕之さん ――今回の大河ドラマで時代考証はどのように進められたのですか。 脚本・原案の古沢良太さんにドラマのシーズ(種)になる話や最新の研究状況は私が提供しました。古沢さんが書き上げた初稿もまず私が見て、ここはこういうストーリーにした方がいいのでは、といったアドバイスをします。制作スタッフもいろいろ意見を言って、古沢さんが初稿を書き直し、固まった第1稿が、時代考証、風俗考証(歴史学者の佐多芳彦さん)や制作統括の磯智明チーフ・プロデューサーらが参加する考証会議にかけられます。 会議はすべてオンラインで行われ、参加者全員の顔を見ているわけではありませんが、実に多くの人が知恵を出し合って一話一話のストーリーをまとめていきます。考証会議の後も、例えば秀吉が描かれるシーンの時に本当に大坂にいたのか、その時の肩書は正しいか、シーンごとに月日に誤りはないか、といったチェックを私がします。ドラマの月は旧暦で、ずれることがあるので要注意です。 ――時代考証にあたって、どんなことに気を付けましたか。 『どうする家康』メインビジュアル(C)NHK 私が大河ドラマに参加するのは、三谷幸喜さん脚本の『真田丸』(2016年放送)に「資料提供」で参加して以来、2度目です。『真田丸』の時は、史実と違うところを見つけて修正するのが仕事だと思ってたくさん指摘して、制作統括だった吉川邦夫チーフ・プロデューサーから「史実との違いを指摘して直すのではなく、史実とどう整合させてドラマを作っていくかが重要なんですよ」と教わりました。 ドラマには脚本家や制作陣がこう描きたい、というコンセプト(基本的な骨組み)があります。大河ドラマは他の時代劇とは違って、大きく史実を踏み外してはいけませんから、言うべきことは言いますが、ドラマのコンセプトを尊重し、支えるのが時代考証の仕事です。制作陣と議論し、コンセプトと史実を整合させていく作業を通じて、いいドラマができあがるのです。 最新研究を踏まえて綿密に考証 戦国三英傑の等身大パネル。左から織田信長役の岡田准一さん、徳川家康役の松本潤さん、豊臣秀吉役のムロツヨシさん(今年6月、岡崎市美術博物館で開かれたNHK大河ドラマ特別展で撮影) 今回の時代考証では、今では誤りと思われている旧来の説を排除して、できるだけ最新の研究成果をドラマに反映させることを心がけました。一番大変だったのは、複雑で多岐にわたる最新の歴史研究の成果を、古沢さんや制作陣にうまく説明し、理解してもらうことでした。 家康はこれまでの大河ドラマで何度も描かれていますが、『どうする家康』の家康や主要な登場人物のキャラクターは、これまでの大河ドラマと違っていたと思います。最新の研究成果が反映されているんです。その意味では、時代考証は過去の大河ドラマより綿密に行われ、古沢さんや制作陣も時代考証の意見を極力取り入れてくれました。 過去の大河と異なる「天下」の捉え方 ――これまでの大河ドラマにはない斬新な視点の具体例をいくつか教えてください。 まず、大きく異なるのは「天下」の捉え方です。本能寺の変の後、秀吉が台頭してくる過程は、これまで秀吉の「天下取り」の物語として描かれてきましたが、秀吉は信長の死後も織田家の家臣として、織田家内部の政争にかかわる中で力をつけていくんです。 信長の葬儀で三法師を抱く秀吉(『大日本歴史錦絵』国立国会図書館蔵) 信長の後継者を決める「清須会議」を描いた回(第30回)では、これまでとは違って柴田勝家が三男の織田信孝を推さず、最初から宿老たちは三法師を当主にすることで一致しています。 賤ケ岳しずがたけ の合戦(同)では、信長の妹で、勝家と再婚したお市の方が戦いの前面に出ていました。小牧・長久手の戦い(第32回)では秀吉が「敵は徳川ではねえ」とつぶやき、本来の敵、信長の二男、織田 信雄のぶかつ との和睦を図ります。史実通りにすべての出来事は織田家内部の政争として描いています。 酒井忠次(『徳川二十将図』部分、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 家康が隠居した酒井忠次から「天下を取れ」と言われるシーン(第39回)がありますが、その後に家康が目指した「天下人」も、あくまで豊臣秀頼の名代として政務を指揮するリーダーです。石田三成の挙兵を機に豊臣政権内の反徳川勢力が結束し、家康を秀頼の名代から引きずりおろしたため、家康は関ヶ原で勝って再び秀頼の名代に就いたわけで、この時点では秀頼の上に立とうとしたわけではありません。かつては家康が上杉討伐に向かったのは、天下を狙う家康が三成の決起を誘い、反徳川勢力を一気に潰すためだった、という解釈もありましたが、今回はそういう筋書きにはなっていません。 「平和」でなく「安泰」求めた家康 ――家康の妻、瀬名(築山殿)と嫡男だった松平信康が自害する「信康・築山殿事件」では、瀬名が「慈愛の心」で徳川と武田を結び付けようとして失敗したことが自害の原因になっていました。 瀬名が独自に動いて平和や慈愛の精神で共通経済圏を作ろうとしたというのは古沢さんの創作です。ドラマでは家康も瀬名の構想に共鳴し、瀬名の死後も平和を希求し続けます。瀬名の構想はドラマのコンセプトにもつながり、古沢さんが描きたかった話ですから尊重しました。 私も家康は平和を求め続けていたとは思いますが、「平和」のレベルは今とは違うと思います。家康が求めたのは権力者のもとで争いが収まっているような状況、つまり「安泰」であって、それは他の戦国大名や信長、秀吉も同じだったと思います。 ただ、瀬名の構想には荒唐無稽な絵空事とは言い切れない面もあります。戦国時代に領主が求められていたのは、「力量による統治」でした。中央から委任された統治ではなく、地域の実情にあわせて自らの判断で国をまとめていくことが求められ、これができない領主は息子や家臣に取って代わられてしまう。今でいう「ガバナンス能力」が問われ、外交力を駆使して隣国からの攻撃を防ぎ、同盟を結んで安泰を図るのは戦国時代では普通のことでした。 女性が外交交渉をすることも、おかしいとは言えません。最近の研究で、女性は「家」の経営者として大きな権限を持っていたことがわかってきています。茶々(淀殿)が典型的ですが、領主の妻が幼い当主の後見をすることも珍しくありませんでした。私は、築山殿は信康の後見人のような役割を果たしていたとみています。 家康と築山殿、不仲ではなかった? ――家康と築山殿は不仲だったといわれていますが、ドラマでは夫婦仲は良かったですね。 ふたりの不仲を示す史料は残っておらず、瀬名が信康を後見するため家康と同居しなかったとすると、長期間の別居を根拠に仲は悪かったとするこれまでの通説も怪しくなってきます。ただ、家康は織田、築山殿は武田に付いてからは不仲になっていたでしょう。 岡崎市の八柱神社にある築山殿の墓(築山御前塚) 信康・築山殿事件の背景には、織田と武田に挟まれた徳川がどう生き残るかをめぐる徳川家内部の路線対立がありました。浜松の家康の家臣団が織田、岡崎の信康の家臣団が武田に付き、信康を後見していた築山殿も武田と通じていたと思います。ドラマでは大岡弥四郎が謀反をたくらみ、それが長篠の合戦の布石になっていきますが、弥四郎の謀反と信康事件の火種はひとつだったという描き方は史実に即しています。 ちなみに信康・築山殿事件の通説では、信長から信康と築山殿の“悪行”を突き付けられた酒井忠次がそれを認めたことで2人が自害に追い込まれたことになっていますが、これは江戸時代になって出てきた創作です。信長と家康の間を取り持ってきた忠次に事件の責任をかぶせ、家康の判断ミスではないことを示す狙いがあったのでしょう。 狡猾な光秀はイメージ通り ――本能寺の変(第28回)では、家康が謀反を計画し、それを察知した信長が、「武力で勝ち上がるより、その後の統治の方が難しい。それができるなら俺に代わってやってみろ」といった話をしている。最後は史実通り、光秀が信長を襲いますが。 四国の経略などを巡る織田家内部の路線対立などが本能寺の変の原因のひとつ、といった解説は、古沢さんにしています。しかし、なぜ家康が平和の世を築くことができたのかを描くのがドラマのコンセプトですから、描き方に異論を唱えることはありません。茶屋四郎次郎が家康の謀反を手引きしたというのもむろん創作ですが、家康の謀略を描くなら、京での家康の活動を支えた茶屋が活躍しないとおかしいですよね。 光秀の描かれ方は『麒麟がくる』(2020~21年)で長谷川博己さんが演じたのとは全く違いましたが、私は今回の方が光秀らしいと思ったところもありました。当時の宣教師が、「光秀はずる賢い」と記しています。 酒向さこう 芳さんは光秀の 狡猾こうかつ な面をうまく演じてくれているなと思いました。 「関ヶ原」で家康の問鉄砲はなかった ――関ヶ原の合戦で、新しい学説に基づいて描かれたシーンはどこですか。 中村七之助さんが演じた石田三成。家康より先回りして関ヶ原に布陣するが……(C)NHK […]

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