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真田家のルーツは忍者と関係があったのか
真田氏の祖先は、平安時代、朝廷より信濃守として信州に赴任した滋野一族。やがてこの滋野一族が、海野(うんの)・禰津・望月の三家に分かれ、真田家はこの中の海野家から生まれました。
海野家は呪術や加禱喜寿に通じていたとされる一族で、もとの滋野一族には「歩き巫女」も属していました。
「歩き巫女」とは、「信巫女」とも言われ春の雪解けとともに全国に旅立ち、秋には信州に戻ります。そうして全国を巡り、各国の情報を収集していたとのこと。
戦国時代になると、甲斐・信濃を納めてい武田家が、望月家に嫁いでいた「望月千代女」を信濃巫の統領に任命。
望月千代女がもともと甲賀流忍者の出であるともいわれるため、この当時の信濃巫はある種、「くノ一」に近い存在であったと思われます。
幸隆の時代、真田も修験者たちを統制していく
望月家と同じ滋野一族の第一党、海野家より派生した真田家にも、その出自より呪術などとの関係があったと思われます。
また、真田家が拠点とした信州上田盆地には、山岳信仰の聖地であったと言われ、おおくの修験者が修行していました。
幸村の祖父・幸隆の時代には、自由に他国を行き来することの出来る彼らの行動範囲の広さに注目。領地内にある山家神社を保護することにより、彼らと強い結びつきを得ました。
真田家の情報収集能力の高さは、こういった存在を上手く利用することによって形成されていたと思われます。
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