武田家の名門「小山田氏」を出自に持つ、茂誠。主家滅亡後は真田とともに
大河ドラマ「真田丸」では高木渉さん演じる、小山田茂誠(しげまさ)。信幸や信繁(幸村)の姉にあたる松(木村佳乃さんが演じます。※村松殿とも)の結婚相手にあたります。
生まれた年が、永禄4年(1561年)もしくは永禄5年(1562年)ということですから、永禄10年の生まれとも言われる信繁とは、比較的年齢も近かったと言えます。
茂誠の父・小山田有誠(ありまさ)は、この信茂の先代、信有のころから小山田家の一門筆頭として仕えていました。武田家滅亡のきっかけとなる小山田信茂の裏切り。茂誠の人生も真田家の人々とともに、情勢の変化に翻弄されていきます。
武田滅亡後は、北条家を頼る
天正3年に小山田信茂から「茂」の字を与えられて14歳で元服、武田が滅亡する以前には信繁の姉・松(村松殿)と結婚し、嫡男の之知を誕生させていたと考えられる茂誠。武田滅亡時、茂誠は若干21歳のまだまだ若者だったという計算になります。
主家が滅んだことで、茂誠は父・有誠とともに北条家に亡命。小山田氏の領国だった都留郡が、「天正壬午の乱」で北条の支配下になったことから、一時は本領に戻ることも出来たと見られます。しかし、北条と徳川が和睦すると甲斐が徳川に割譲されたことから、再び都留郡を離れることになりました。
北条滅亡後は、真田家を頼る
しかし今度はその北条家までも滅んだことで、茂誠は昌幸を頼ることにしたと考えられます。
またこの頃、真田昌幸も自身の勢力を拡大させていったことで、武田の旧臣を多く召し抱えて家臣団を組織化・整備していった時期にあたり、両者の思惑は一致したものだったのではないでしょうか。
天正18年、茂誠は昌幸から村松郷の年貢・300文を与えられたのを契機として、やがてこの郷を本領化(加増を徐々に受けて最終的には323貫400文と言われています。※1貫=1000文で、4貫が金1両)していきました。なによりも、信繁の姉が村松殿と呼ばれる所以ともなります。そして、慶長3年(1598年)には壱岐守の名を与えられただけでなく、真田性を名乗ることも許されて一門の処遇を受けることになりました。
物語(真田丸)の終盤では、信繁とは敵味方に
信繁ともたいへん仲が良く、真田信繁から茂誠宛に出した近況を伝える手紙は、信繁が最後に出した手紙であったとも言われます。
ですが大坂の陣では、病に臥せて参加しなかった信幸の名代、真田信吉・信政兄弟に従って従軍。心ならずも、信繁とは敵として対峙することになりました。大坂の陣後は信幸(信之)の松代移封に茂誠も従い、松代に移住。矢沢家に次ぐ、次席家老として信之を助け、76歳、もしくは77歳まで生きたとのこと。
信繁らの姉・松(村松殿とも後に呼ばれました)と同じく真田丸のストーリーでは重要な役になるでしょう。