sanada139– Author –
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真田家の甲冑~信繁(幸村)所用・鉄二枚胴具足~
真田信繁(幸村)
真田信繁(幸村)の所用だったと伝わる胴具足。 鉄二枚胴具足です。 南蛮(ヨーロッパ)の甲冑の影響を受けているデザインで、松代藩真田家に代々受け継がれ来たという一品。 ※松代藩真田家は信繁の兄・信幸(信之)を藩祖とする家系になります。 真田家の甲冑は、どれも実用性をあくまで重視したデザインにその特徴があると思われますが、こ... -
真田家の甲冑~昌幸所用・啄木糸素縣威~
真田家の甲冑
関ケ原合戦後に、紀伊九度山に蟄居と なった昌幸に従った真田家の家臣・河野清右衛門の手により守られてきたと伝わる甲冑です。 その名を「啄木糸素縣威・伊予札胴具足」 (たくぼくいとすがけおどし・いよぎぬどうぐそく)と言います。 啄木糸とは、さね(札)を編む糸が 白黒のまだらとなっているもののこ とを言うようで、キツツキ... -
大河「真田丸」何故?幸村ではないのか
topics
三谷氏「真田丸」について語る 2016年1月3日(日) 18時50分掲載のyahooニュースに、NHKの大河ドラマ「真田丸」に関してのものがありました。 タイトルは、 【真田丸】三谷幸喜氏、主人公の名前「信繁」に込めた決意 12年ぶりに大河の脚本を執筆する三谷氏が、「真田丸」について語っています。 たいへん興味深いです。 主人公の呼び名を幸村で... -
真田昌幸~戦国一の知将~
真田昌幸
信玄から「我が目」の如しと賛辞を受けた昌幸 甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。 信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。 織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の後北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下におい... -
出来る人物から学び己を磨く~昌幸の成長に信玄の影あり~
真田家に学ぶ処世術
真田昌幸は父・幸隆の三男であったため、最初は武田家に人質に出されています。 しかし、元服前よりたいへん聡明だったため、信玄の奥近習に取り立てられ、足軽大将にまで出世。 その活躍と明晰さから、信玄をして「我が目の如し」と評されました。また、兄二人の死後、真田家に復帰するまでは、武田の名門「武藤」を名乗るよう信玄から指示... -
兄・三好清海入道にも負けない豪傑~三好伊三入道~
真田十勇士
同じ真田十勇士の、三好清海入道の弟という設定の豪傑がこの三好伊三入道です。 立川文庫の「真田幸村」では、三好家を出奔した破戒僧として。 また、「真田三代記」では、後に同じく真田十勇士のメンバーとなる、由利鎌之助と手を組んで山賊に。その後、先に真田幸村の家臣となった三好清海の紹介で真田軍に加わります。 その後の活... -
海賊上がりの真田十勇士~根津甚八~
真田十勇士
真田家の出自の祖になる滋野氏には滋野三家と呼ばれる、海野氏・望月氏・根津氏がある。 真田十勇士のメンバーの中には、この三家出身のメンバーが揃っている。 その中の一人がこの根津甚八です。 根津氏は、真田家の本家である海野氏と同格にあたり、また、海野氏を見限った真田幸隆を武田氏に紹介してくれたという経緯もあり、 そういった... -
天下無双の鎖鎌の名手~由利鎌之助~
真田十勇士
「真田三代記」によると、鎌之助はもともと三河国野田城の城主・菅沼新八郎の家臣だったという。当時、羽柴秀吉と柴田勝家は織田信長の後継者ポジションを巡って対立しており、賤ヶ岳で秀吉に負けた勝家は北ノ庄城に籠城していた。秀吉に恩義のある真田幸村は、敵対す徳川の三河に出兵。野田城の城主・菅沼新八郎と由利鎌之助と対峙すること... -
真田幸村、それとも信繁? 正しいのはどちらなのか
真田信繁(幸村)
「幸村」=「信繁(のぶしげ)」その名について 現在、真田信繁と表記される機会も多くなっているのですが、本当に「幸村」と呼ぶことは間違いなのでしょうか。その人生について、謎の多い人物ならではの疑問なのかも知れません。 幸村=信繁、その名前の謎について考察してみたいと思います。 まずは、幼名や、諱(いみな)など確認... -
真田家のルーツ~大塔物語から~
真田知見録
応永7年(1400年)に起こったと言われる、信濃守護小笠原長秀が、村上氏・井上氏・高梨氏・仁科氏ら有力国人領主及びそれらと結んだ中小国人領主の連合軍(大文字一揆)と善光寺平南部で争った合戦。それが大塔合戦(おおとうがっせん)です。 大塔物語は悲話なども織り交ぜながら、史実に基づいてこの大塔合戦について語られており、史料性... -
真田の郷~真田氏館跡~
真田ゆかりの地
真田一族のかつての生活拠点 永禄年間(1558~1570年)に構築された館の跡地。 敷地内には大手門跡や厩屋跡、土塁などが残り、中世豪族の居館跡としては非常に価値のあるものだそうです。 現在は「お屋敷公園」として整備され、ヤマツツジの名所としても有名。 場所は、真田氏歴史館に隣接しています。 -
真田の郷~真田氏歴史記念館~
真田ゆかりの地
真田氏歴史記念館は、時代の流れに沿って真田家の歴史を詳しく紹介する記念館です。昌幸の書状や真田家に伝わる復元甲冑など、展示内容はたいへん魅力的。 戦国の激動の世を生き抜いた真田三代の足跡を辿り、真田三代の活躍に思いを馳せることができます。 長野県上田市真田町本原2984番地1 TEL:0268-72-4344 入館料 一般200... -
真田の郷~山家神社~
真田ゆかりの地
長野県上田市真田町の山家神社。 創祀年代は不詳。 式内社・山家神社に比定される古社で山家郷の産土神(守り神)として崇敬されている、たいへんな歴史を持つ神社です。 ※平安時代の⌈延喜式神名帳⌋という朝廷の台帳にも載せられているなのだそう。 境内には、真田神社も祀られています。 真田町は真田氏一族の土地で、代々山家神社を... -
伊賀流忍術の使い手・佐助最大のライバル~霧隠才蔵~
真田十勇士
真田十勇士の筆頭格・猿飛佐助。そのライバルと言えば、みなさんもご存知のこの人物「霧隠才蔵」でしょう。 実際に講話や文庫などの「真田十勇士」でも佐助に代わり主役を務めることも。 子供たちからの人気も二番手であったに違いないと思います。 「立川文庫」の霧隠才蔵は、北近江の戦国大名・浅井家に仕えた侍大将・霧隠弾正左衛... -
怪力無双の大男~三好清海入道~
真田十勇士
三好清海入道のモデルは、大坂の陣において豊臣方で討死した三好政康(入道名・清海)との説があります。 出典:ウイキペディア 坊主頭で大男。でも、どこか憎めない。真田十勇士の三好清海入道は弟の伊三入道とともに、豪傑キャラクターとして人気を博します。 大正・明治期に大ベストセラーとなった「立川文庫」では、幸村の配下と... -
第6回「迷走」
真田丸ストーリー
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第6回「迷走」 【ストーリー(あらすじ)】 信長の横死で事態は急変していく 本能寺の変後に事態は急変、混沌として行きます。 安土城から故郷へと向かう信繁一行ですが、明智の追ってに見つかり、信繁・茂誠と松ははぐれてしまいます。 その後、松を捜すという茂誠と別れて先に真田に... -
真田家と忍者の関係
真田知見録
真田家のルーツは忍者と関係があったのか 真田氏の祖先は、平安時代、朝廷より信濃守として信州に赴任した滋野一族。やがてこの滋野一族が、海野(うんの)・禰津・望月の三家に分かれ、真田家はこの中の海野家から生まれました。 海野家は呪術や加禱喜寿に通じていたとされる一族で、もとの滋野一族には「歩き巫女」も属していました。 「歩... -
第二次上田合戦~関ケ原に遅参させたしたたかな戦い~
真田主要合戦
第二次上田合戦までのいきさつ 真田昌幸や徳川家康、上杉景勝が豊臣政権に臣従した後、北条氏政は天正18年(1590年)からの小田原征伐により切腹し北条家は没落しました。この後、家康は関東に移封されることになります。 しかし、慶長3年(1598年)、秀吉が死去すると、豊臣政権では五大老筆頭の地位にあった家康の影響力が強まりました。 ... -
小田原征伐~真田・名胡桃城が発端に~
真田主要合戦
小田原征伐までの流れ 小田原征伐(おだわらせいばつ)は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が惣無事令違反を名目に起こした征討。天皇は後北条氏討伐の勅書を発してはいませんでしたが、当時、太閤の立場にあった秀吉は、天皇の施策遂行者という名分を備えて戦いに臨みます。 1580年(天正8年)、北条氏政は氏直に家督を譲って江戸城に隠居した... -
第5回「窮地」
真田丸ストーリー
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第5回「窮地」 【ストーリー(あらすじ)】 本能寺の変が勃発。真田家は再び窮地に立たされる。 天正10年(1582年)6月2日の早朝、「本能寺の変」が起こります。 信長は武田を滅ぼしたわずか三カ月後、49歳でこの世を去ってしまいました。 主君を裏切った明智光秀は、容赦なくその足で... -
矢沢三十郎頼幸(矢沢頼康)
真田家の人々
真田丸では「三十郎」 真田幸隆(真田信繁の祖父)の弟・矢沢頼綱の嫡男で、天文22年(1553年)生まれと言われ、真田昌幸の従兄弟(いとこ)にあたります。 真田氏に対しては一門衆の家臣となります。大河・真田丸では迫田孝也さんが演じ、前半はおもに「三十郎」として登場します。 世代としては昌幸よりも、確かに信幸(信之)や幸村(信繁... -
第4回「挑戦」
真田丸ストーリー
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第4回「挑戦」 【ストーリー(あらすじ)】 いよいよ、織田の本拠地で昌幸・信繁は信長、家康と対峙する。 天正10年(1582年)3月20日、昌幸・信繁の一行は、織田信長に謁見するために諏訪・法華寺に到着。 (信長を待つ間、昌幸はかつて家康を三方ヶ原で打ち負かしたこと。その当時、... -
真田家の甲冑~昌幸所用・皺革包昇梯子文仏~
真田家の甲冑
戦国の世に弱小ながらも、その存在を世の中に知らしめた「真田ブランド」 昌幸・信幸・信繁(幸村)の具足をシリーズで紹介していくコーナーです。 初回の今回は、父の昌幸所用「皺革包昇梯子文仏 二枚胴具足」 (しぼかわづつみのぼりはしごもんほとけどうぐそく) 重量:2.9kg 江戸時代(明和年間1764~1772年)の大火事で、真田家... -
矢沢頼綱(よりつな)
真田家の人々
昌幸の叔父さん。苗字は違えど、真田一族です。 真田頼昌の3男とされ、真田幸隆の弟にあたる人物で、若い頃出家し、京都鞍馬の僧となりますが、程なく郷里に戻って還俗(げんぞく:僧を辞めて一般人に戻ること)したとの逸話も。大河・真田丸では、綾田俊樹さんが渋く演じます。 さて、真田郷に隣接する地域の矢沢郷(現在の上田市殿城町矢沢... -
真田信尹(さなだのぶただ)
徳川家臣団
昌幸とは双子の可能性も!?信繁も尊敬する叔父・信尹(のぶただ) 真田幸綱(幸隆)の四男で、昌幸の弟。信幸・信繁の叔父にあたる人物です。大河「真田丸」では、栗原英雄さんが熱演する物語の重要人物。 史実の信尹は、後に松代藩となる大名・真田家とは別に、分家である旗本真田家を興しました。諸説ありますが昌幸と同年に生まれたとの...


