とり・恭雲院(きょううんいん)

とり(草笛光子)
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真田信繁(幸村)の祖母であり、昌幸を名将に育てた戦国のゴッドマザー

大河「真田丸」、NHKの公式サイトでは、「偉大な武田信玄の全盛期を知る、信繁の祖母。昌幸を名将に育て上げた、戦国のゴッドマザー」と紹介されています。演じるのは草笛光子さんで、とてもいい味をだしておられます。何でもこのとり役が気に入りすぎて、「どうかとりを死なせないで!」とプロデューサーへお願いまでしたのだとか。エピソードは冗談としても、楽しんで演じておられるのが画面からも伝わってきます。

さて、この「とりさん」ですが、モデルになっているのは昌幸の実母で、真田幸隆の正室「恭雲院・きょううんいん」という人物。

生誕:不明

没年:1592年6月29日 、もしくは 1593年8月27日

と言われています。

 

信綱、昌輝、昌幸。豪快な武将を育てた。

恭雲院(きょううんいん)は、河原隆正の妹(娘、あるいは姉)で幸隆に嫁ぐと、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹の男子と女子を2人生みました。(信尹に関しては、側室の子という説も。恭雲院が実母であるとなると、昌幸、信尹は双子であった可能性が出てきます。)

真田幸隆は信玄に臣従することを早くから選択し、また自身の実力を持って活躍し、その存在感を増した戦国武将。その妻である恭雲院が生んだ三人の息子たち、信綱、昌輝、昌幸もまた豪快、豪傑な人たちです。昌幸の二人の兄は長篠の戦いで討死しますが、父・幸隆と並んで武田二十四将に数えられるほどの名将だったのです。

 

家族の物語に光をあてる存在

「真田丸」というネーミングは、大坂城の外に造られた砦の名前であることと、もうひとつには、厳しい戦国の乱世という荒波を、家族で乗り越えていく。そんな姿を一艘の船に見立てた物語。というところから来ています。つまり、信繁ひとりではなく、真田一族の物語でもあるわけです。

真田家は小さな勢力(石高から考えると)でありながらも、その活躍が派手すぎたせいもあり、知名度の割には歴史的資料が少ないと言えます。これは真田の物語を構築する際の宿命ですが、さらにその中の女 性になりますと、戦国時代の話ですから情報は極端に少なくなるのが現実。ですが、逆説的に考えれば、ある程度史実に基づいて描かなければいけない大河ドラマにおいて、自由に表 現できる余地を、この「とりさん」始めとする女性たちが与えてくれているように感じます。文字通り、ストーリーに華を添えているといったところでしょう か。

 

真田の郷で迎えた大往生

恭雲院(とり)は木曽氏の人質から、無事に真田に帰ったとの記録もあり、その最期は人質としてではなく往生されています。

詳しくは、戦国武将・木曾善昌の投稿記事とご覧ください。

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