小田原征伐への遅参(ギリギリまで様子見)
天下人への地位を固めていた豊臣秀吉は、東北で勢力を強める伊達政宗に対して、小田原征伐に加わるよう要請します。
ところが政宗はなかなか参上せず、なんと半年も遅れてしまいました。
これはたいへんまずい状況。
しかし政宗は、まず詰問に来た前田利家に「陣中にいる千利休殿に茶の湯の教えを請いたい」と言ってのけ、秀吉の興味を引きました。
有名な白装束での謁見
そしていよいよ秀吉との対面の時。謁見の場に現れた政宗は、なんと、「私には死ぬ覚悟があります」と白装束を身にまとっていたのです。これを派手好きの秀吉は面白がり、政宗の遅参を許したのでした。
有名な白装束での謁見~再び~
しかしその翌年、政宗が一揆を扇動したという書状が出てきて、秀吉から召喚されてしまいます。(※蒲生氏郷とともに平定した葛西大崎一揆)
今度こそ大ピンチの政宗は、再度同じことをやって詫びるわけにもいかないはずなのですが、なんと2度も同じネタで望みます。
ただし今回は、白装束以外にもうひとつド派手なこともかぶせることに・・・
なんと、上洛する行列に黄金の十字架を担がせると言うものでした。これに京の人々の世論も沸騰。政宗の粋が人気を博します。
政宗、開き直る
秀吉には、書状の花押が「どう見ても」政宗のものであると指摘されますが、「私の花押は鳥の目の部分に針で穴を開けていますのでこれは違います」と堂々と嘘の弁明。
当然、秀吉は政宗の嘘を見抜きますが、そこは派手なパフォーマンスが好みの秀吉。政宗を許して減封のみに処します。
「伊達男」などと京の町衆からも人気の政宗を、無粋な理由で切り捨てられないということもあったでしょう。
ピンチを粋な詫び方で乗り切った政宗。秀吉の性格を緻密に分析した戦略と、まさに鉄板ネタと何度もこする豪胆さは「まさに伊達男。」
これを許した秀吉も含めて、この時代の空気を感じることが出来るエピソードと言えるでしょう。
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