大河ドラマ「真田丸」の主役、真田信繁と真田家はどう生きたのか?
真田丸を楽しむ基礎知識を紹介します。
ポイント・1
主役は信繁(幸村)だが、父昌幸と兄信幸も含めた「真田家」の物語だとも言えます。
元々は武田家臣だった真田が、武田の滅亡を機に大名として独立、
小さいながらも、徳川・北条・上杉などの大名を敵にまわして、吸収されることなく生き残っていきます。
父・昌幸、兄信幸、次男の信繁と真田家存続のため、それぞれがそれぞれの役割を全うする。
謀略や裏切り工作に優れた知将である昌幸は、その名を天下に知らしめた大立役者。
その頭脳と勇気を持って、徳川のような大名をひと泡吹かせる姿はまさに痛快。
策士・昌幸の背中をみて、息子ふたりも成長していきます。
家康について、真田家を現在に至るまで存続させる礎を気づいた兄信幸。
父・昌幸の志しを引き継ぎ、打倒家康を胸に、あと一歩のところまで追いつめた信繁(幸村)。
一見、対照的にみえる二人の生き方も、すべては「真田家」存続のため。
当時の戦国武将の価値観を、武人らしく全うした親子と言えます。
現代風にみても、家族経営の中小零細企業が、親子で支えあって頑張る姿にとてもよく似ていることが人気の理由なのかもしれません。
真田昌幸
1547-1611年
武田家に仕える一家臣に過ぎなかったが、武田家滅亡後に本領を発揮。小勢力ながら、徳川家・北条家・上杉家などのビッグネームを敵に回し、独立を保った。特に威勢をほこることとなる徳川家康にはなみなみならぬ対抗意識を燃やす。
1566年-1658年
昌幸の嫡男。
関ケ原の戦い直前、西軍についた昌幸や信繁に対し、信幸は家康率いる東軍につく。それもすべて、真田の血を絶やさないためだった。板挟みになり苦しみながらも、家康のために働き、真田家を守った。
真田信繁
1567-1615年
父から意地とプライドを受け継ぎ、不遇の生活を送りながらも父昌幸の宿敵・家康へのリベンジも誓い続けた信繁。大坂の陣では、真田丸において徳川軍を蹴散らし、家康の首を狙いあと一歩のところまで迫る。