前半で生き生きと描かれる信繁・側室のふたりの女性
大河ドラマ「真田丸」、前半の第9回が終了しました。今のところ、信繁はいまだ元服(※当時の成人のこと)を迎えておらず、ストーリーの脇に華を添える女優陣、黒木華さんの「お梅」と長澤まさみさんの「きり」との三角関係で、信繁少年期の大人へと成長していくステップに、戦国武将としての一面の他、人間像にスポットをあてるのに一役買っています。
視聴率好調な真田丸で唯一、気に掛かるのが、長澤まさみさん演じる「きり」(高梨内記・娘)なのですが、
などと否定的な意見も一部あるようです。確かに、ひとり突っ走って「現代語」を話し、この部分においては時代考証をまるで無視したかのようなキャラクター設定(※戦国のヤンキー)などが、一部の視聴者に違和感を与えているのかもしれません。
ここで、あくまで当ブログの予想にはなりますが、この「きり」を否定的な目で見るのをやめましょうという提案です。
正室・竹林院の配役は、松岡茉優さんに決定
当初のNHKのキャスト発表の中では、この竹林院が入っておらず、「登場しないのか?」との予想もありましたが、2月21日の第3次の発表でやはり出たようですね。キャストに松岡茉優さんが決定したようです。
竹林院とはどんな女性?
生年は不詳。大谷吉継の娘と言われていますが、妹、姪との説もあります。とにかくこの時代の女性には、その足跡をたどる信頼のおける歴史的史料がほとんどなく、竹林院もその例にもれず謎が多いのが実情です。
文禄3年(1594年)頃に真田信繁に嫁いだとされ、真田幸昌(嫡男・大助)・片倉守信(大八)・あぐり(蒲生郷喜室)・菖蒲(片倉定広室)・おかね(石川貞清室)らの母とされている人物になります。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで父・大谷吉継と夫・信繁が西軍につくと、彼女は義父・真田昌幸の正室と共に実父の吉継に保護されていたと言います。合戦に負けると、その後は信繁に随行。九度山に幽閉されるにいたりました。(竹林院が信繁に嫁いだ6年後ということになります。)
慶長19年(1614年)、信繁の大坂城入城には、息子・幸昌(大助)を送り出しています。
そして、慶長20年(1615年)5月7日に大坂夏の陣で信繁が戦死、息子・幸昌も切腹すると、徳川家康に命じられた紀伊藩主・浅野長晟(ながあきら)に発見され、5月20日には家康に引き渡されました。その後は京都で、娘のかね夫婦と暮らしたと言われています。
有名なエピソードには、彼女自ら上田地方の紬技術を応用した真田紐を考案したとされおり、家臣たちに行商させて生計を支えていたとの逸話が残ります。(諸説あり)
側室・きりも九度山に随行
信繁が九度山に幽閉された際には竹林院だけではなく、他の側室たち女性も随行しており大家族であったと言います。その中に長澤まさみさん演じる、側室・きりもおり、松岡茉優さん演じる竹林院とともに、昌幸・信繁の九度山蟄居の苦労がドラマの中で描かれることでしょう。この蟄居の間に、信繁と竹林院の間にはたくさん子供が生まれますが、信繁の父・昌幸は死去。ほとんどの家臣は上田の信幸の元へと帰っていきます。年もとっていき、徐々に寂しくなる九度山での信繁の生活。竹林院やきりはどんな想いだったでしょうか。
前半部、ウザいキャラとの批判もある「きり」の設定(※長澤まさみさんが悪いわけではありません)ですが、これはおそらく三谷脚本の仕掛けかと思います。ややもすれば退屈になりそうな九度山蟄居のストーリーに、三谷さんならではのヒューマンドラマを放り込んでくることでしょう。歴史的資料の少ないこの期間こそ、三谷脚本の本領発揮と言えるのです。
史実も大切ですがあくまで大河は「ドラマ」。後半部、みなさん「きり」に感情移入してしまって涙が溢れること間違いなし。との予想をしておきたいと思います。