竹本義太夫(ぎだゆう)~実在した!?浅野家臣~

大河・真田丸において、公開されている登場人物に、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)なる人物がいます。これから、昌幸・信繁は九度山での生活を始めることになりますが、竹本義太夫は紀伊和歌山・浅野家の家臣で、九度山に蟄居する信繁親子の監視役ということになるようです。

果たして実在の人物なのでしょうか?

 

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後世、浄瑠璃で語られて人気を博した「真田幸村」

江戸時代、真田一族にまつわる書籍の出版は、表向きは禁止されていたといいます。それもそのはず、たかが信州の小大名であった真田家に、天下の徳川がやりこめられたなどあってはならない話だったはずで、こういった例は何も真田だけに限ったことではなく、幕府の方針に反するような書籍は禁制品とされていました。幕府に刃向かった真田信繁(幸村)らの活躍を書き表した書物が、公に認められることはなかったのです。

ただし、それでも真田一族の物語は人気がありました。禁止とはいえ事実は事実として存在します。「実録」と呼ばれる歴史を扱った物語(※実録とはいいながらも、内容はあくまでフィクション)が存在し、「真田三代記」や「難波戦記」がこれにあたります。これらについては出版社を通さず貸本屋が流通させていたそうで、真田幸村(信繁)や父の真田昌幸、息子の真田大助の生涯を描いた作品として有名になっていきました。

そして、「難波戦記」などの元ネタとなった浄瑠璃の演目に、「近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)」や、「鎌倉三代記」があり、江戸期、これらは文楽と呼ばれた人形浄瑠璃だけでなく、歌舞伎の演目としても公演され、真田一族の物語はさらに大人気となっていきます。
徳川天下の時節柄、作品の背景はそれぞれ大坂の陣を北条氏と御家人との争いに変えるなどして変形、配慮。
正義のヒーロー役の真田幸村(信繁)は佐々木高綱、豊臣秀頼は源頼家、ヒロイン役・千姫は時姫、そして悪のラスボス・徳川家康を北条時政など登場人物の名前も別人となってストーリーが進みます。

 

江戸時代の浄瑠璃語り「竹本義太夫」

前提として、今の段階では真田丸に登場する浅野家臣「竹本義太夫」が実在の人物かどうかはわかりません。

ここからはあくまで推測ですが、後世、江戸時代になって登場する浄瑠璃語りの「竹本義太夫」という実在の人物。この人物と同名の人物の登場は、史実としても謎だらけだった真田信繁の人生、江戸期にこれを物語として大人気の「真田幸村」へと押し立てていった原動力を、浄瑠璃という大衆文化を通しての出来事であった、と真田丸では言いたいのではないでしょうか?

竹本義太夫は、真田信繁の死後10年が過ぎた慶安4年(1651年)生まれ、江戸時代の浄瑠璃語りです。後に、義太夫節浄瑠璃と呼ばれる浄瑠璃の創始者で、本名五郎兵衛、のちに竹本筑後掾と称しました。

義太夫は大坂道頓堀に竹本座を開場すると、近松門左衛門と組んで数々のヒットを飛ばしていきます。竹本座は近松作の『出世景清』を、義太夫が語るなどして人気を博すと、以後、義太夫と近松が提携して上演した作は「新浄瑠璃」と呼ばれるようになり、この作より以前のものとは一線を画す評価を得ました。

江戸時代の日本音楽の中心にあった三味線。歌舞伎の長唄三味線がギターでとするならば、竹本座の人形浄瑠璃を成り立たせた義太夫の三味線はベースの音、その低い音は語りの合間にリズムを取る打楽器的な働きもしたのではないでしょうか。歌舞伎の長唄三味線に比べて、義太夫の音はその低い重量感の中に。人生のさまざまな息吹がこめられているように思うのです。人形に魂を吹き込むかの如く、聴衆の眠っている感情を掘り起こすように響かせたことでしょう。

真田信繁が過ごした永い九度山での生活。この時期の信繁の生活について、歴史学上の資料としてはほとんど何も残っていないのが現実です。しかし後世、フィクションであれ様々に語られ、真田信繁が「真田幸村」として人気キャラクターとなっていった背景には、謎の多い九度山時代の生活なども、周囲の人に伝えた人物がいたに違いありません。やがてそれは当時のメディアであり、エンターテイメントでもあった、講談や浄瑠璃として民衆の間に広がっていくことになりました。

関連記事はこちら「小野お通~信之が愛した女性~」 ※こちらも浄瑠璃と真田家にかかわりのある人物ですね。

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