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真田家と忍者の関係
真田知見録【真田家のルーツは忍者と関係があったのか】 真田氏の祖先は、平安時代、朝廷より信濃守として信州に赴任した滋野一族。やがてこの滋野一族が、海野(うんの)・禰津・望月の三家に分かれ、真田家はこの中の海野家から生まれました。 海野家は呪術や加禱喜寿に通じていたとされる一族で、もとの滋野一族には「歩き巫女」も属していました。 ... -
第二次上田合戦~関ケ原に遅参させたしたたかな戦い~
真田主要合戦【第二次上田合戦までのいきさつ】 真田昌幸や徳川家康、上杉景勝が豊臣政権に臣従した後、北条氏政は天正18年(1590年)からの小田原征伐により切腹し北条家は没落しました。この後、家康は関東に移封されることになります。 しかし、慶長3年(1598年)、秀吉が死去すると、豊臣政権では五大老筆頭の地位にあった家康の影響力が強まりました... -
小田原征伐~真田・名胡桃城が発端に~
真田主要合戦【小田原征伐までの流れ】 小田原征伐(おだわらせいばつ)は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が惣無事令違反を名目に起こした征討。天皇は後北条氏討伐の勅書を発してはいませんでしたが、当時、太閤の立場にあった秀吉は、天皇の施策遂行者という名分を備えて戦いに臨みます。 1580年(天正8年)、北条氏政は氏直に家督を譲って江戸城に隠居... -
矢沢三十郎頼幸(矢沢頼康)
真田家の人々【真田丸では「三十郎」】 真田幸隆(真田信繁の祖父)の弟・矢沢頼綱の嫡男で、天文22年(1553年)生まれと言われ、真田昌幸の従兄弟(いとこ)にあたります。 真田氏に対しては一門衆の家臣となります。大河・真田丸では迫田孝也さんが演じ、前半はおもに「三十郎」として登場します。 世代としては昌幸よりも、確かに信幸(信之)や幸村(... -
真田家の甲冑~昌幸所用・皺革包昇梯子文仏~
真田家の甲冑戦国の世に弱小ながらも、その存在を世の中に知らしめた「真田ブランド」 昌幸・信幸・信繁(幸村)の具足をシリーズで紹介していくコーナーです。 初回の今回は、父の昌幸所用「皺革包昇梯子文仏 二枚胴具足」 (しぼかわづつみのぼりはしごもんほとけどうぐそく) 重量:2.9kg 江戸時代(明和年間1764~1772年)の大火事で、真田家... -
矢沢頼綱(よりつな)
真田家の人々【昌幸の叔父さん。苗字は違えど、真田一族です。】 真田頼昌の3男とされ、真田幸隆の弟にあたる人物で、若い頃出家し、京都鞍馬の僧となりますが、程なく郷里に戻って還俗(げんぞく:僧を辞めて一般人に戻ること)したとの逸話も。大河・真田丸では、綾田俊樹さんが渋く演じます。 さて、真田郷に隣接する地域の矢沢郷(現在の上田市殿城町... -
真田信尹(さなだのぶただ)
徳川家臣団【昌幸とは双子の可能性も!?信繁も尊敬する叔父・信尹(のぶただ)】 真田幸綱(幸隆)の四男で、昌幸の弟。信幸・信繁の叔父にあたる人物です。大河「真田丸」では、栗原英雄さんが熱演する物語の重要人物。 史実の信尹は、後に松代藩となる大名・真田家とは別に、分家である旗本真田家を興しました。諸説ありますが昌幸と同年に生まれた... -
真田十勇士の筆頭格~猿飛佐助~
真田十勇士真田十勇士の筆頭 あらゆる忍術をあやつるヒーロー それが、猿飛佐助です。 明治から大正にかけて大流行した「立川文庫」の創作キャラクター「猿飛佐助」 わずか12年の間に200編ものタイトルが発売されたそうですが、 その中でも猿飛佐助は一番人気! ざっとストーリーを紹介すると、 山奥で動物とともに生活していた佐助は、... -
真田に学ぶ処世術・その2~駆け引き~
真田家に学ぶ処世術【】 それまでの主家であった武田家の滅亡後、織田信長に仕えることとなった真田家は、上州(現在の群馬県)の拠点である沼田城と岩櫃城を召し上げられてしまいます。 しかし、本能寺の変で織田信長が討たれると、真田家にチャンス(逆に言えば、大ピンチ)が訪れます。 真田昌幸は策謀により、北条家・徳川家・上杉家を出し抜く事に成功。沼... -
真田に学ぶ処世術・その1
真田家に学ぶ処世術「かつての敵とも協力するしたたかさ」を持つ 真田家中興の祖と言われる、真田幸隆(幸村の祖父)は海野平の戦い(天文10年(1541年)で武田信虎に敗れ、一時は上州に落ち延びます。 しかし、その後真田領回復のため、武田信玄の時代には武田氏に従い、お家復興を果たしました。 目的達成のためには、かつての敵であっても、従い、協力する、... -
真田十勇士とは?
真田十勇士真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、武将・真田信繁(真田幸村)に仕えたとされる想像上の10人の家臣のこと。 講談から生まれた信繁の人気と伝説が進化して生まれました。 個性豊かな登場人物たちは、あくまで伝承上の架空の人物ですが、歴史的な由来を持つ人物も多数存在しています。 立川文庫以来の真田十勇士、基本的なメンバー構成は ... -
武田領内の三名城と称された~岩櫃城~
真田ゆかりの地岩櫃城(本丸)からの眺望。 今も山深く東京からも比較的近いにもかかわらず、訪れるのが大変な吾妻郡。 そこにそびえる山々は、標高こそ高くはないが「天険」という呼び名がぴったりな岩山が点在している。岩櫃城が建てられたのも、そんな険しい山の尾根筋。難攻不落と言われたこの城で、もし武田と織田が戦っていたら・・・ ... -
強大な敵に立ち向かった親子3人のドラマ~真田丸を楽しむ・その基礎知識~
真田丸を楽しむポイント大河ドラマ「真田丸」の主役、真田信繁と真田家はどう生きたのか? 真田丸を楽しむ基礎知識を紹介します。 ポイント・1 主役は信繁(幸村)だが、父昌幸と兄信幸も含めた「真田家」の物語だとも言えます。 元々は武田家臣だった真田が、武田の滅亡を機に大名として独立、 小さいながらも、徳川・北条・上杉などの大名を敵にま... -
大河ドラマ・「真田丸」人物相関図
大河ドラマ「真田丸」いよいよスタートです! 【NHK大河ドラマの「真田丸」、その人物相関図を公開!】 NHK大河ドラマ・「真田丸」の真田家、人物相関図が公開になりました。 主演の真田信繁(幸村)役は堺雅人さん。 (※三谷作品の大河ドラマ「新選組!」にも出演されていました。) その他、脇を固めるのは「さすが大河」の豪華な布陣。 激動の戦国に生きる真田... -
2016年1月10日(日曜日)午後8時、いよいよ話題の大河ドラマ「真田丸」がスタート
大河ドラマ「真田丸」2016年1月10日(日曜日) いよいよ話題の大河ドラマ「真田丸」がスタートします! 戦国時代最後の名将・真田幸村 その本名を、真田源次郎信繁という。 好奇心にあふれ、冒険を好み、戦国の世を駆け抜けた真田信繁は、 いつしか、覇者・徳川家康をも恐れさせる伝説の武将となった。 真田幸村伝説には、もうひとつのストーリーがある。 天才の... -
第一次上田合戦~上田・神川の合戦~
真田主要合戦【武田家の滅亡から・・・】 天正10年(1582年)3月、織田信長の侵攻により武田氏は滅亡します。 甲斐から信濃、上野に及んだ武田領地は織田家の家臣に分与され、武田旧臣の信濃国人衆らは織田政権に臣従しました。 しかし、同じ年の6月には京都で本能寺の変がおこり、織田信長が横死。今度は、織田家と友好関係だった北条家が、5万6,000の兵... -
真田幸村~その生涯と戦い~
真田信繁(幸村)真田昌幸の次男。 真田信繁(さなだ のぶしげ)。 「真田幸村(さなだ ゆきむら)」の名で現在は広く知られている。 江戸時代初期の大坂の陣で豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、3500の兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込んだ。 日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と称される。 後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将... -
真田三代戦国歴史検定
真田にまつわるイベント真田三代戦国歴史検定とは? 幸隆・昌幸・信繁(幸村)・(信之)に関するありとあらゆる知識を問う試験で、 「真田三代戦国歴史検定運営事務局」が主催し、日本出版販売が運営している民間資格になります。 試験は1級~3級までありますが、2級と3級に関しては、学研パブリッシングが出版している公式テキスト(真田三代戦国歴史検定 公式問... -
真田昌輝
真田家の人々【「我が両眼なり」は昌幸ではなく、昌輝?】 真田幸隆の次男。信綱の弟で、真田昌幸の兄にあたります。 武田家では、騎馬50騎持の侍大将で、武田二十四将にも数えられました。長篠合戦で兄・信綱とともに奮戦するも討死しています。 小姓として武田信玄に近侍したと言われ、器量を見抜いた信玄からは、有力武将の子弟が任じられる「百足衆」... -
真田信綱
真田家の人々【昌幸の兄・信綱は、武田家でも一目置かれる豪勇の士】 武田信玄、勝頼の2代に仕えた真田幸隆の長男。昌幸の兄にあたる人物です。天文6年(1537年)生まれ、天正3年の長篠の戦で討死。 江戸期には、武田二十四将にも数えられた戦国武将で、幼名は源太。官途は左衛門尉。武田家の騎馬200騎持の侍大将であったと言われます。 信綱は信玄に将来... -
真田幸隆
真田家の人々【六文銭を始めに旗印として使用した、真田家中興の祖。】 甲斐国の戦国大名であった武田氏の家臣。 信濃の在地領主で、昌幸(信繁の父)ら息子三人とともにと共に、武田二十四将にも数えられる。 幼名は次郎三郎、通称は源太左衛門、剃髪すると、一徳斎と称したと言われます。 諸系図では幸隆(ゆきたか)とされますが、その他においては幸... -
真田家系図
真田家真田家は、信濃の名族である海野氏の傍流で、現長野県の上田市真田町にある洗馬城を拠点に、勢力を拡大した豪族。 そして真田郷を掌握したが、海野平の戦いに敗れ、勢力を失う。 その後(幸隆の時代)、当時信濃侵攻最中の甲斐の武田氏に仕えて旧領回復をすると共に、砥石崩れや川中島の戦いなど信濃・上野方面で活躍し、武田二十四将に選ば... -
真田大全―十勇士と最強真田家臣団 (英和MOOK)
おすすめ本英和ムックの真田大全 十勇士と最強真田家臣団です。 タイトルからしますと、真田家ゆかりの家臣団や架空の真田十勇士についての詳しいムック本。 そんなイメージですが、実際に手をとって読んでいただくとわかるのは、内容の半分程度は 真田家の成り立ちについての記述がほとんどです。 幸村(信繁)以前の昌幸(幸村の父)→幸隆(いわゆる...