小田原征伐・関連記事– tag –
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政宗のずんだ餅(政宗の多彩)
真田丸を楽しむポイント大河・真田丸、白装束での登場シーンや名物・ずんだ餅を「天下餅」とかけて秀吉とともにつくシーンなど、何かと話題の独眼竜・政宗。歴史的エピソードも秀吉と並んで、たいへん多い政宗の多彩な才能をご紹介します。(※かなりたくさんありますので、あくまでこちらは第1弾。) 政宗の重臣・片倉小十郎重長(重綱)が、信繁とはたいへん縁深い... -
伊達政宗~その半生と野望・秀吉臣従まで~
真田丸を楽しむポイント【コンプレックスに悩んだ少年時代】 永禄10(1567)年、父・輝宗と母・義姫(保春院)の間に、伊達家の嫡男として米沢城に生まれたとされる政宗。幼名は梵天丸と言いました。 4歳(※諸説あり)のころに天然痘を患ったせいで右目を失明。そんなこともあってか、幼少のころは気弱な性格であったと伝わっています。 そして、政宗が8歳のころに... -
片倉景綱(小十郎)
真田丸を楽しむポイント伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる伊達家の重臣。景綱の姉、喜多は政宗の「乳母」を務めた人物。 片倉景綱の通称「小十郎」は、景綱に始まる仙台藩・片倉氏の代々の当主が踏襲して名乗る名称です。 【政宗の軍師・片倉小十郎景綱】 景綱が参戦した合戦には、 天正13(1585)年 人取橋の戦い 天正16(1588)年 ... -
氏政、徹底交戦の理由~北条氏政③~
真田丸を楽しむポイント歴史上、初の戦国大名とも言われる、後北条氏の初代・北条早雲(伊勢宗瑞)から始まる、関東・北条家。 群雄割拠、戦乱の最中にありながら100年にわたり、民を慈しむ善政をしく国家を建設しました。 その北条家も5代氏直(実質的支配者は氏政)の時代、秀吉に滅ぼされてしまいます。その際には、講和派であったと言われる当主・氏直と、あく... -
宇都宮仕置
真田丸を楽しむポイント天正18(1590)年7月。小田原征伐を成功させ、天下統一を遂げた秀吉が関東および奥州の諸領主に対して行った戦後処理(奥州仕置とも)を言います。源頼朝が鎌倉幕府を樹立した際、宇都宮大明神に奉幣し奥州を平定したことに倣ったものとも言われます。※秀吉は頼朝を天下友達と称した言われ、小田原征伐の際には鎌倉の鶴岡八幡宮を参拝。頼朝... -
第24回「滅亡」
真田丸ストーリーNHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第24話「滅亡」 信繁の腕を取り、蔵に身を隠す小山田茂誠。(松が行方不明になった後、小山田家の縁を辿って北条家に拾われていました。) 数年ぶりの再会を果たす二人ですが、松の無事を伝える間もなく、板部岡江雪斎に急がされて氏政のいる奥へと進む信繁でした。 【氏政と対面、降伏を説得... -
伊達男・伊達政宗の白装束
真田丸を楽しむポイント【小田原征伐への遅参(ギリギリまで様子見)】 天下人への地位を固めていた豊臣秀吉は、東北で勢力を強める伊達政宗に対して、小田原征伐に加わるよう要請します。 ところが政宗はなかなか参上せず、なんと半年も遅れてしまいました。 これはたいへんまずい状況。 しかし政宗は、まず詰問に来た前田利家に「陣中にいる千利休殿に茶の湯の教... -
小田原征伐と真田家~信幸の忍城攻め~
真田丸を楽しむポイント天正17(1589)年11月10日、秀吉は北条氏の征討戦に向けて、諸大名に知行石高を基準にした軍役動員を示したと言われています。これによると、当時の真田家の兵力動員数は3000人と規定されたことになります。 徳川の与力という位置づけの真田でしたが、「案内者」として上杉景勝、前田利家、依田康国とともに北国衆に編成され、天正18年、3月... -
第23回「攻略」
真田丸ストーリーNHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第23話「攻略」 いよいよ、北条攻めが秀吉の天下の軍によって行われることとなりました。 その大軍勢の陣立てを任されるのは石田三成。持てるだけの知識を駆使し、諸大名が集合する軍議にでます。 三成の采配は、総大将に近江中納言秀次(豊臣秀次)、その後見役に徳川家康。軍勢を二手に分け、秀次の... -
猪俣邦憲(くにのり)
武将列伝北条家に代々仕えた一族、富永氏に生まれ、猪俣氏に養嗣子として入った以後は、猪俣邦憲(くにのり)を名乗りました。 北条氏政の弟・氏邦に仕え、上野(こうずけ)侵攻の先鋒として出陣。後に氏邦から箕輪城代、次いで沼田城代に任じられています。(※邦憲と呼ぶのはこの頃から) 【昌幸の叔父・矢沢頼綱に負けた猪俣邦憲】 激動の天... -
名胡桃城主・鈴木重則(主水)
真田家臣団【名胡桃城事件で切腹】 鈴木主水(もんど)とも呼ばれる真田家臣。鈴木重則。 天正17年(1589年)に秀吉の裁定によって解決した沼田領問題。 その際、真田領としての存続を認められた、名胡桃城の城主になります。 しかし、いったんは解決をみた沼田領問題でしたが、和議を反故にして謀略を仕掛けてきた北条家臣の猪俣邦憲によって、名胡桃... -
沼田領裁定
真田丸を楽しむポイント北関東の要衝でもある沼田城。軍事上の重要拠点として、上杉氏・後北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となりました。武田氏の滅亡、そして本能寺の変後は真田信幸の支配城として、後北条氏とこの地を争うことになります。 ※北条氏との争いに至る経緯の詳細は、下記をご覧下さい。 ●昌幸がこだわった沼田領、その攻略戦 ●本能寺の変後... -
北条氏直
武将列伝【伝説の武将、北条早雲、武田信玄の血を引いた戦国のサラブレッド】 後北条氏の第5代当主、北条氏直。父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。父と共に後北条氏最大の版図を築き上げた戦国武将。 武田氏遺領争いとなった徳川との天正壬午の乱では、滝川一益敗退後、北条に帰参していた真田昌幸や木曾義昌が離反。家康方の依田信蕃のゲリラ... -
天下惣無事令(そうぶじれい)
真田丸を楽しむポイント【戦国時代の終焉 ~秀吉の天下統一事業完成へ~】 秀吉は1585年(天正13)、関白政権を樹立すると大名間における紛争の平和的解決を掲げて、すべての私戦を禁止する政策を段階的に全国に発令しました。(※あくまでも天皇の命令による私闘の禁止を指令) これをを惣無事令と呼びます。(※他に豊臣平和令とも。ただしこれ以前にも権力者が出... -
豊臣政権下の真田信繁、大名だった?
真田丸を楽しむポイント【真田昌幸・信幸、名実ともに大名へ】 小田原城を攻略し、北条家を滅亡へと追いやった秀吉。その後に旧北条領の仕置をおこない、徳川家康の関東転封を決めています。 出兵に協力した、佐竹・結城・宇都宮らの諸大名は領国安堵。 そして北条氏との開戦のきっかけとなった真田家においては、沼田・吾妻領を全面委任とされ、信幸は沼田城を回復... -
板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)
徳川家臣団真田丸に登場する北条方の武将・板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)。ドラマでは、山西惇(やまにしあつし)さん演じる戦国武将。史実の流れを考えれば、前半には滅亡する予定の北条家。たくさんの家臣を擁するその家中において、板部岡江雪斎がたびたび劇中に登場する理由など踏まえての投稿記事になります。 【初め真言宗の僧、そし... -
小田原征伐~真田・名胡桃城が発端に~
真田主要合戦【小田原征伐までの流れ】 小田原征伐(おだわらせいばつ)は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が惣無事令違反を名目に起こした征討。天皇は後北条氏討伐の勅書を発してはいませんでしたが、当時、太閤の立場にあった秀吉は、天皇の施策遂行者という名分を備えて戦いに臨みます。 1580年(天正8年)、北条氏政は氏直に家督を譲って江戸城に隠居...
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