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長谷寺・昌幸とその父・幸隆が眠る場所
真田ゆかりの地
真田家の菩提寺・長谷寺(ちょうこくじ) 昌幸の父・幸隆夫妻と、それに昌幸本人のお墓(上田市指定史跡)のあるお寺です。 本堂や石門など、境内随所に六文銭があしらわれているそうです。 春にはシダレサクラが満開に、おすすめです。 所在地 長野県上田市真田町長4646 電話番号 0268-72-2200(真田地域自治センター) 拝観料:志納... -
真田赤備えの南海電車が運行中!
真田にまつわるイベント
真田信繁(幸村)ゆかりの地、九度山に赤備えが登場! 九度山町を走る南海高野線に、赤備えの列車が登場しています。去年の11月1日から運行しいたようなので、もう九度山にいかれた方は、すでに見られているかも。大河の真田丸にあわせて、約1年間運行の予定なので、チャンスはゆっくりありますね。 写真のとおり、外観デザインは信繁... -
猿飛佐助・修行の地~角間渓谷~
真田ゆかりの地
角間渓谷・岩屋観音 「鬼が住まう谷」とも呼ばれる角間渓谷・岩屋観音。 鬼が住みかとしていたのを、平安時代、坂上田村麻呂が退治し、観音様をまつったという伝説があるそうです。 真田郷の烏帽子岳山麓に存在し、秋には紅葉の名所として、また森林浴の森100選にも選ばれるほどの名勝になります。 写真の岩屋観音(※この呼び名は... -
まさにファンタジスタ!知将・昌幸
真田丸を楽しむポイント
武田滅亡後、真田の生き残りをかけ、炸裂する昌幸の知の戦略! 武田勝頼の死後、主家を失った真田家は小さいながらも独立の道を歩むことになります。 ですが、この弱小勢力の周囲には、北条、上杉、徳川、織田と豪華なメンバーがまさに揃いぶみ。 とてもではないですが力で対抗できるような相手ではなかったのです。 昌幸の知略・謀略・嘘の... -
小山田茂誠(おやまだしげまさ)
真田家の人々
武田家の名門「小山田氏」を出自に持つ、茂誠。主家滅亡後は真田とともに 大河ドラマ「真田丸」では高木渉さん演じる、小山田茂誠(しげまさ)。信幸や信繁(幸村)の姉にあたる松(木村佳乃さんが演じます。※村松殿とも)の結婚相手にあたります。 生まれた年が、永禄4年(1561年)もしくは永禄5年(1562年)ということですから、永禄10年の... -
真田家、その忍びの流派
真田知見録
戸隠流→甲州流→甲陽流へ そのルーツから戦国の世の厳しさを経て成長・再編、幾度の情報戦・ゲリラ戦に打ち勝つ 真田家は滋野氏をルーツとし、その成り立ちからすでに忍者との深い関わりがありました。 では、その流派とは何だったのでしょうか?伊賀や甲賀との関わりは?考察していきたいと思います。 まずは、真田家の領地内の上田郷... -
幸村・第一の影武者~穴山小助~
真田十勇士
モデルになったと言われるのは、やはり同姓同名の穴山小助で、穴山梅雪の甥にあたる人物。 (※穴山梅雪は真田丸第一話にも登場します。) ただし、小助に関しては、創造上のキャラクターという説もあります。 小助のストーリーは、武田滅亡後、父・穴山信光とともに浪人武者として各地の戦場を子供ながらに足り歩き、合戦の英才教育を... -
望月六郎~火薬と爆弾のプロ~
真田十勇士
真田忍者のルーツ、滋野三家につながる望月家の六郎は火薬のプロ 真田十勇士のメンバーのうち、海野六郎の海野氏・根津甚八の根津氏(祢津・禰津とも)と並んで、いわゆる真田家の出自を語るうえで欠かせないのが望月氏。その望月氏の名を持つのがこの望月六郎です。 モデルになったと言われるのは、望月宇右衛門、望月甚左衛門、望月卯兵衛... -
最古参の真田十勇士~海野六郎~
真田十勇士
実在の人物をモデルに持つ真田十勇士のメンバー 真田十勇士の中でも、実在のモデルが一番明確なのが、この海野六郎(うんのろくろう)と言えるでしょう。同名の海野六郎、または海野六郎兵衛がそれと言われています。 このブログでもたびたび紹介していますが、海野氏は真田家のもともとの本家筋にあたる家系になります。 なので、本来ならば... -
火縄銃の名手~筧十蔵~
真田十勇士
「立川文庫」に登場する筧十蔵は元・蜂須賀家の家臣で、火縄銃の名手という設定です。 物語では、真田幸村が大坂城内の蜂須賀家に滞在した際、その人柄に惚れ込み、家臣となったというストーリー。 ※史実で言っても、幸村は豊臣家の人質となっていた時代があって、秀吉のいた大坂城に入っていた時代があります。 もちろん架空の人物と... -
真田家の甲冑~信繁(幸村)所用・鉄二枚胴具足~
真田信繁(幸村)
真田信繁(幸村)の所用だったと伝わる胴具足。 鉄二枚胴具足です。 南蛮(ヨーロッパ)の甲冑の影響を受けているデザインで、松代藩真田家に代々受け継がれ来たという一品。 ※松代藩真田家は信繁の兄・信幸(信之)を藩祖とする家系になります。 真田家の甲冑は、どれも実用性をあくまで重視したデザインにその特徴があると思われますが、こ... -
真田家の甲冑~昌幸所用・啄木糸素縣威~
真田家の甲冑
関ケ原合戦後に、紀伊九度山に蟄居と なった昌幸に従った真田家の家臣・河野清右衛門の手により守られてきたと伝わる甲冑です。 その名を「啄木糸素縣威・伊予札胴具足」 (たくぼくいとすがけおどし・いよぎぬどうぐそく)と言います。 啄木糸とは、さね(札)を編む糸が 白黒のまだらとなっているもののこ とを言うようで、キツツキ... -
真田昌幸~戦国一の知将~
真田昌幸
信玄から「我が目」の如しと賛辞を受けた昌幸 甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。 信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。 織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の後北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下におい... -
出来る人物から学び己を磨く~昌幸の成長に信玄の影あり~
真田家に学ぶ処世術
真田昌幸は父・幸隆の三男であったため、最初は武田家に人質に出されています。 しかし、元服前よりたいへん聡明だったため、信玄の奥近習に取り立てられ、足軽大将にまで出世。 その活躍と明晰さから、信玄をして「我が目の如し」と評されました。また、兄二人の死後、真田家に復帰するまでは、武田の名門「武藤」を名乗るよう信玄から指示... -
兄・三好清海入道にも負けない豪傑~三好伊三入道~
真田十勇士
同じ真田十勇士の、三好清海入道の弟という設定の豪傑がこの三好伊三入道です。 立川文庫の「真田幸村」では、三好家を出奔した破戒僧として。 また、「真田三代記」では、後に同じく真田十勇士のメンバーとなる、由利鎌之助と手を組んで山賊に。その後、先に真田幸村の家臣となった三好清海の紹介で真田軍に加わります。 その後の活... -
海賊上がりの真田十勇士~根津甚八~
真田十勇士
真田家の出自の祖になる滋野氏には滋野三家と呼ばれる、海野氏・望月氏・根津氏がある。 真田十勇士のメンバーの中には、この三家出身のメンバーが揃っている。 その中の一人がこの根津甚八です。 根津氏は、真田家の本家である海野氏と同格にあたり、また、海野氏を見限った真田幸隆を武田氏に紹介してくれたという経緯もあり、 そういった... -
天下無双の鎖鎌の名手~由利鎌之助~
真田十勇士
「真田三代記」によると、鎌之助はもともと三河国野田城の城主・菅沼新八郎の家臣だったという。当時、羽柴秀吉と柴田勝家は織田信長の後継者ポジションを巡って対立しており、賤ヶ岳で秀吉に負けた勝家は北ノ庄城に籠城していた。秀吉に恩義のある真田幸村は、敵対す徳川の三河に出兵。野田城の城主・菅沼新八郎と由利鎌之助と対峙すること... -
真田幸村、それとも信繁? 正しいのはどちらなのか
真田信繁(幸村)
「幸村」=「信繁(のぶしげ)」その名について 現在、真田信繁と表記される機会も多くなっているのですが、本当に「幸村」と呼ぶことは間違いなのでしょうか。その人生について、謎の多い人物ならではの疑問なのかも知れません。 幸村=信繁、その名前の謎について考察してみたいと思います。 まずは、幼名や、諱(いみな)など確認... -
真田家のルーツ~大塔物語から~
真田知見録
応永7年(1400年)に起こったと言われる、信濃守護小笠原長秀が、村上氏・井上氏・高梨氏・仁科氏ら有力国人領主及びそれらと結んだ中小国人領主の連合軍(大文字一揆)と善光寺平南部で争った合戦。それが大塔合戦(おおとうがっせん)です。 大塔物語は悲話なども織り交ぜながら、史実に基づいてこの大塔合戦について語られており、史料性... -
真田の郷~真田氏館跡~
真田ゆかりの地
真田一族のかつての生活拠点 永禄年間(1558~1570年)に構築された館の跡地。 敷地内には大手門跡や厩屋跡、土塁などが残り、中世豪族の居館跡としては非常に価値のあるものだそうです。 現在は「お屋敷公園」として整備され、ヤマツツジの名所としても有名。 場所は、真田氏歴史館に隣接しています。 -
真田の郷~真田氏歴史記念館~
真田ゆかりの地
真田氏歴史記念館は、時代の流れに沿って真田家の歴史を詳しく紹介する記念館です。昌幸の書状や真田家に伝わる復元甲冑など、展示内容はたいへん魅力的。 戦国の激動の世を生き抜いた真田三代の足跡を辿り、真田三代の活躍に思いを馳せることができます。 長野県上田市真田町本原2984番地1 TEL:0268-72-4344 入館料 一般200... -
真田の郷~山家神社~
真田ゆかりの地
長野県上田市真田町の山家神社。 創祀年代は不詳。 式内社・山家神社に比定される古社で山家郷の産土神(守り神)として崇敬されている、たいへんな歴史を持つ神社です。 ※平安時代の⌈延喜式神名帳⌋という朝廷の台帳にも載せられているなのだそう。 境内には、真田神社も祀られています。 真田町は真田氏一族の土地で、代々山家神社を... -
伊賀流忍術の使い手・佐助最大のライバル~霧隠才蔵~
真田十勇士
真田十勇士の筆頭格・猿飛佐助。そのライバルと言えば、みなさんもご存知のこの人物「霧隠才蔵」でしょう。 実際に講話や文庫などの「真田十勇士」でも佐助に代わり主役を務めることも。 子供たちからの人気も二番手であったに違いないと思います。 「立川文庫」の霧隠才蔵は、北近江の戦国大名・浅井家に仕えた侍大将・霧隠弾正左衛... -
怪力無双の大男~三好清海入道~
真田十勇士
三好清海入道のモデルは、大坂の陣において豊臣方で討死した三好政康(入道名・清海)との説があります。 出典:ウイキペディア 坊主頭で大男。でも、どこか憎めない。真田十勇士の三好清海入道は弟の伊三入道とともに、豪傑キャラクターとして人気を博します。 大正・明治期に大ベストセラーとなった「立川文庫」では、幸村の配下と... -
真田家と忍者の関係
真田知見録
真田家のルーツは忍者と関係があったのか 真田氏の祖先は、平安時代、朝廷より信濃守として信州に赴任した滋野一族。やがてこの滋野一族が、海野(うんの)・禰津・望月の三家に分かれ、真田家はこの中の海野家から生まれました。 海野家は呪術や加禱喜寿に通じていたとされる一族で、もとの滋野一族には「歩き巫女」も属していました。 「歩...


