sanada139– Author –
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信繁長女・すへとその夫・石合十蔵
その後の真田丸たち
すへは真田信繁(幸村)と堀田作兵衛興重の妹の間に生まれた長女。小県長窪郡の本陣を運営する石合十蔵道定に嫁ぎました。本陣とは大名向けの宿のことで、石合家は地元でも名主、有力者であったと言えます。(※長窪宿は中山道で最も古い本陣だとも。) とは言え、元は大名クラスの中央官僚ともいえた信繁(幸村)の娘・すへとは、家格が合わ... -
伝説の出城・真田丸の完成まで~アイデアは又兵衛?~
真田丸を楽しむポイント
1614年(慶長19年)の大坂冬の陣にて、豊臣方の真田幸村(信繁)が大坂城平野口の南に構築したと言われる曲輪(※城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した出丸) 言わずと知れた、NHK大河ドラマ「真田丸」の名称にもなっている、幸村が歴史上稀に見る大勝利をあげた出城のそれです。 しかし近年、その大河ドラマ「真田丸」の城郭考証者を担当... -
第42回「味方」
真田丸ストーリー
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第42話「味方」 【あらすじ】 幸村(堺雅人)は、久しぶりに茶々(竹内結子)との再会を果たす。 一方、家康(内野聖陽)は、幸村が大坂方に加わったことに大きな恐れを抱き、出陣を急ぐ。 大坂城に集まった牢人たちの中には、後藤又兵衛(哀川翔)、毛利勝永(岡本健一)、長宗我部盛親(阿南健治)らがいた。 豊... -
真田信政
その後の真田丸たち
真田信政は1597(慶長2)年、沼田城で真田信之と正室・稲(小松姫)の間に信之の2番目の子供として生まれました。 その3年後、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは、祖父・昌幸と袂をわかつことになった父・信之は、徳川方に付き従っています。 この当時、まだ3才だった信政は江戸の徳川家に人質として送られています。こうして忠誠をみせた信... -
広田亮平、父・大泉洋と運命的な再会
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10年ぶり共演で再び親子に 2016年10月16日 8時0分配信のスポニチアネックスより、第41話「入城」での登場が印象的だった、真田信之(大泉洋)の息子・信吉役の広田亮平さんについての記事の抜粋です。 元の記事はこちら NHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)に真田信之(大泉洋)の息子・信吉役の広田亮平(19)と信政役の大山真志... -
真田信吉(のぶよし)~信之の庶長子~
その後の真田丸たち
信之の長男になる真田河内守信吉(かわちのかみのぶよし)。実母は清音院殿で、大河・真田丸で言うところの「おこうさん」の実子にあたります。 こう・清音院殿は真田の当主であった信綱の娘ですから、時勢が違えばこの信吉こそが、真田信之の正統な嫡男であったかもしれません。しかし、時代は徳川の世の中。信之の正室という立場も清音院殿... -
第41回「入城」
真田丸ストーリー
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第41話「入城」 【あらすじ】 豊臣秀頼(中川大志)に味方することを遂に決意した幸村(堺雅人)。 しかし、ろう人(牢人)たちが大坂城に集まっていることを知った家康(内野聖陽)は、九度山の見張りを増やすように命じます。 脱出のための策を練る幸村。 一方、信之(大泉洋)には家康からの出陣命令が届き... -
「真田丸」で幸村の名前をくじで決定 2年前ぐらいから構想
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Livedoor ニュース 2016年10月10日 8時1分 配信 元の記事はこちら 「真田丸」真田幸村“くじ”で誕生の舞台裏 構想2年 三谷氏の軽妙さ ライブドアニュースから、真田丸第40回の放送内容について、興味深い内容でしたのでご紹介いたします。 NHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)は9日、第40話「幸村」を放送。俳優の堺雅人(... -
大谷吉治~幸村とともに戦った吉継の息子~
大坂の陣(豊臣方)
一説には実弟とも伝わる、大谷吉継の子・大谷吉治。官位は大学助を叙任しており、史料によっては大谷大学などと記される場合もあります。(※その他、諱(いみな)に吉胤や吉勝など。) 真田幸村(信繁)は義理の兄にあたります。 慶長2年(1597年)に豊臣秀吉が大谷家を訪問した際(秀吉死去の前年)には、病状の悪化した父・吉継の代わりに... -
九度山脱出劇~信繁の九度山ライフ・最終章④~
真田丸を楽しむポイント
NHK大河「真田丸」 永かった信繁の九度山LIFEも、豊臣秀頼からの招きに応じたことでいよいよ終わりに、大坂城入城のための信繁(※ここから先は幸村と呼ばせていただきます。詳しくは真田左衛門佐信繁~官位とその名の由来~)と一行の九度山脱出劇が始まります。 史実、蟄居・幽閉の身であった幸村(信繁)の脱出は、浅野家監視の中を隠密裏... -
夜討ちの大将・塙団右衛門(ばんだんえもん)
大坂の陣(豊臣方)
江戸時代、軍記物や講談で民衆のヒーローに 本来の名は、塙団右衛門直之。出身地や素性がはっきりとしない、まさに謎だらけの戦国武将。秀吉以来の豊富な軍資金を使って、全国の牢人衆をかき集めた豊臣家。まさにその牢人のイメージにぴったりの人物です。 ※余談ですが、浪人(ろうにん)はもともと、戸籍に登録された地を離れて他国を流浪し... -
織田有楽斎(長益)
大坂の陣(豊臣方)
覇王・織田信長の弟、栄華の時 信長とは年齢が13歳離れた弟にあたる織田有楽斎。信長の存命時には長男・織田信忠の旗下にあり、信長が武田軍と対峙した甲州征伐などに従軍ました。 天正9年(1581年)の京都御馬揃えでは、信長の息子たち、信忠・信雄・信包・信孝・津田信澄の後に続いたとされ、信長御一門衆のひとりとして栄華を飾ったと思わ... -
【予想】真田丸最終章~大坂の陣の合戦シーンはかつてない規模に!~
真田丸を楽しむポイント
1年というのは早いもので、毎週末が待ち遠しいNHKの大河ドラマ「真田丸」もいよいよ最終章。真田幸村(信繁)が突如、歴史の中で輝きを放った「大坂冬の陣」、「大坂夏の陣」が描かれることになります。第39話を終えた時点での、こちらの記事の投稿ですが(2016.10.05)、放送終了後の「最終章予告動画」には正直、鳥肌が立ちました。 ... -
片倉久米之介守信(真田守信)~信繁の次男・幼名は大八~
その後の真田丸たち
陸奥・仙台藩士として生きた人生 真田信繁と春・竹林院の次男として九度山時代に誕生。慶長17年(1612年)のことなので、信繁たちが大坂城に入城するわずか2年前になります。その3年後の大坂夏の陣(慶長20年5月)で、父・信繁は討死、兄・大助(幸昌)が切腹。この世を去りました。 徳川に対して一矢報いた敵将。それも代表的な活躍をした武... -
第40回「幸村」
真田丸ストーリー
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第40話「幸村」 【あらすじ】 九度山での生活を楽しんでいた信繁(堺雅人)のもとへ、宇喜多秀家の家臣だった明石全登(小林顕作)が訪ねてくる。 大坂城で徳川家康(内野聖陽)を相手に戦ってもらいたいと信繁に懇願する。 信繁は断るが、そこに現れたのは…。 そして豊臣秀頼(中川大志)と茶々(竹内結子)が... -
文英清韓 ~問題の「国家安康」を書いた人物~
真田丸を楽しむポイント
伊勢国の出身と言われる臨済宗の僧、文英清韓(ぶんえいせいかん)。一般に諱(いみな)の清韓のみで呼ばれることの多い人物です。秀吉時代の朝鮮出兵・文禄の役では加藤清正に従って朝鮮半島に渡ったとされ、現地で祐筆(※同地での清正の活躍などを記録)として活躍しました。 帰国後は、京都五山のひとつにも数えられる大本山・東福寺、さ... -
秀頼から信繁へのオファー ~大坂からの使者~
真田丸を楽しむポイント
方広寺鐘銘事件の顛末(てんまつ)をきっかけとして、にわかに顕著になった豊臣と徳川の亀裂。双方の交渉はやがて緊迫したものと発展していきます。(※これまでの経緯は、投稿記事 方広寺鐘銘事件の真実~家康の言いがかりではなかった!?~ をご覧下さい。) この時期、たいへんな苦境に立たされながら徳川との取り次ぎ役を果たした片桐... -
方広寺鐘銘事件の真実~家康の言いがかりではなかった!?~
真田丸を楽しむポイント
歴史的にも有名な「方広寺鐘銘事件」。これまでの一般的な歴史解釈としては、豊臣家を潰したい家康の一方的な言いがかりとして語られることが多かったと思います。(※当ブログもその内容で過去に記事を投稿しています→ 大蔵卿局と方広寺鐘銘事件) しかし近年の研究で、この事件についても別の解釈が登場しており、今までのイメージとはずい... -
「真田丸」草刈正雄が明かす渾身1場面「あれで昌幸が“決まった”」
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第38話「昌幸」でいよいよ登場が最終話となる草刈正雄さん演じる真田昌幸。草刈さんの興味深いインタビュー記事がありましたのでご紹介させて頂きます。 スポニチアネックスより 9月25日(日)21時1分配信 元の記事でも、ぜひご覧下さい。こちらクリック NHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)で主人公・真田信繁(堺雅人)の父・真... -
石川貞清~信繁の娘婿と春(竹林院)~
その後の真田丸たち
金色の旗を掲げて、秀吉の使番を仕えた戦国武将 「使番」とは、合戦場にでの伝令や監察、敵軍への使者などを務めた役職にあたります。石川貞清は天下人・秀吉を象徴するカラー、金色の指物(旗)を鎧(よろい)の背にさして行動した、金切裂指物使番(きんのきりさきさしものつかいばん)ではなかったかと考えられています。 秀吉に近習する役... -
第39回「歳月」
真田丸ストーリー
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第39話「歳月」 【あらすじ】 信繁(堺雅人)は、春(松岡茉優)らとの九度山での暮らしを満喫していた。 信之(大泉洋)にも、赦免嘆願はもう不要だと答える。ただ、父としては長男の大助(浦上晟周)をどのように育てるべきなのかに悩んでいた。 一方、かつて信繁がルソンに逃がしたたか(岸井ゆきの)が、海... -
信繁の九度山ライフ③~サナール紐と真田紐!~
真田丸を楽しむポイント
昌幸・信繁の情報収集にも役立った?真田紐 九度山に蟄居していた真田昌幸・信繁父子が真田紐を考案し、生計を立てたという有名な俗説。真田の国元である上田付近は織物の産地であり、同じく九度山も織物の産地であったことからこのような逸話が誕生したと考えられています。そして、昌幸・信繁父子はこの真田紐の販売を全国展開。行商人(忍者... -
真田幸昌~信繁の嫡男・大助~
真田信繁(幸村)
いわゆる真田三代記など講談等では、昌幸、幸村(信繁)、そして大助(幸昌)とこの3人のストーリーとなることが多い真田一族の物語。 大助(幸昌)は幸村(信繁)の嫡男として、母は春・竹林院(大谷吉継の娘)の間に九度山で誕生しました。諱(いみな)は、祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されています。(※ややこしい戦国大名の呼... -
「秀頼に落とされ死んだ」大坂の陣、オランダで新文書
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2016.9.21 20:44配信の産経WESTより、元の記事はこちらをご覧下さい。 駐日オランダ人が「大坂の陣」を記録 「寝返った大名が秀頼に落とされた」 日文研、オランダの大学と共同調査 徳川家が豊臣家を滅亡させた慶長19~20(1614~15)年の「大坂の陣」で「寝返った大名が秀頼に(城壁から)落とされて死んだ」などと記された文書... -
敵も味方も真っ赤っか!~真田丸、赤備えvs赤備えの戦い~
真田丸を楽しむポイント
戦闘の経緯 慶長19年10月2日(1614年11月3日)、豊臣家では旧恩ある大名や浪人に檄を飛ばし、合戦準備に着手。秀吉の遺した莫大な金銀を用いて全国から集めた総兵力は約10万人。年明けは、真田信繁(幸村)、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、毛利勝永、明石全登ら五人衆を中心に、対徳川方・「大坂冬の陣」の火ぶたが今まさに切って落とさ...


