大河「真田丸」– tag –
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敵も味方も真っ赤っか!~真田丸、赤備えvs赤備えの戦い~
【戦闘の経緯】 慶長19年10月2日(1614年11月3日)、豊臣家では旧恩ある大名や浪人に檄を飛ばし、合戦準備に着手。秀吉の遺した莫大な金銀を用いて全国から集めた総兵力は約10万人。年明けは、真田信繁(幸村)、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、毛利勝永、明石全登ら五人衆を中心に、対徳川方・「大坂冬の陣」の火ぶたが今まさに切って落... -
もうひとりの安房守~北条氏邦と真田昌幸~
【武勇に優れた氏邦の活躍】 戦国の雄将・北条氏康の四男で、北条氏政の弟にあたる北条氏邦。氏康が武蔵の豪族・藤田氏を攻め落とすと、氏邦は戦略的に藤田家を乗っ取るかたちで婿入り、家督を継承して藤田安房守氏邦を名乗りました。 くしくも真田昌幸と同じ、「安房守(あわのかみ)」を名乗った人物ということになります。 北条家・次兄の... -
「真田丸大河ドラマ館」入館66万6666人達成
大河ドラマ「真田丸」の放送に合わせて1月17日に上田城跡公園(長野県上田市)にオープンした「信州上田真田丸大河ドラマ館」。 ドラマが好評なこともあり、累計入館者数がこのたび“6並び”の66万6666人を達成したと発表がありました。(真田家の家紋「六文銭」にちなんでいるのですね・・・) 上田市では平成20年の「篤姫館」(... -
第37回「信之」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第37話「信之」 【【あらすじ】】 関ヶ原での西軍敗北により徳川に降伏した信繁(堺雅人)と昌幸(草刈正雄)。 信幸(大泉洋)と忠勝(藤岡弘、)による、家康(内野聖陽)への必死の助命嘆願により、高野山への流罪と決まる。 しかし、その代わりに家康が信幸に命じたのは厳しい条件であった。 一方、... -
第34回「挙兵」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第34話「挙兵」 家康暗殺に失敗し謹慎することになった三成(山本耕史)。それでも収まらない清正(新井浩文)らは三成襲撃を計画する。信繁(堺雅人)は伏見城下での武力衝突を恐れ、きり(長澤まさみ)に上田へ帰るよう指示するが、きりは玉(橋本マナミ)のもとに身を寄せる。信繁は、信幸(大泉洋)と協力して... -
馬印(うまじるし)
馬印(※馬標、馬験とも。) 戦場や行軍で、戦国武将が自分の位置を示したり、また味方の士気を鼓舞するために用いた装飾物で、いわば軍旗のような役割を果たしました。木や竹などの周囲からもよく見える高い位置にとり付けられ、そのデザインは武将によって様々。当初は四半旗のものが大半でしたが、戦国期も終焉間近になると、旗の形に留ま... -
第33回「動乱」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第33話「動乱」 秀吉の遺言をことごとく無視し、自らの影響力を強めていく家康(内野聖陽)。 三成(山本耕史)は家康を討つため伏見城下の徳川屋敷を急襲することを決意するが、暗殺計画は本多正信(近藤正臣)に漏れてしまう。 正信は諸大名に危機を訴え屋敷の守備に駆けつけるよう呼びかけ、徳川につくか... -
数正息子・石川康勝のボヤ騒ぎ ~真田丸での大失策・災い転じて福となす~
【石川数正の嫡男・康長と次男・康勝、大坂城に入城】 徳川家康の元を出奔し、豊臣方 に寝返った石川数正。関ケ原の合戦の際には数正は死去していますが、彼の死後も石川家は嫡男・康長が家督を相続、信濃・松本8万石の大名家を存続させます (※康勝も1万5千石を継承)。その後、慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦、康長・康勝の兄弟は徳川... -
第32回「応酬」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第32話「応酬」 上杉景勝(遠藤憲一)、宇喜多秀家(高橋和也)など有力大名たちによる政権運営が始まる。 家康(内野聖陽)と三成(山本耕史)は、お互いに宴(うたげ)を開いては、自分の陣営の大名を増やそうと躍起になる。 加藤清正(新井浩文)や伊達政宗(長谷川朝晴)も徳川に傾き、次第に三成の形勢は不利に... -
第31回「終焉」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第31話「終焉」 秀吉(小日向文世)の死期が近づく。(この件について、詳しくはこちら→秀吉~天下人のその最期~) 遺言状をめぐり対立する三成(山本耕史)と家康(内野聖陽)。寧(鈴木京香)は権力争いに心を痛める。(参考記事→第二次上田合戦・関ケ原までの経緯と内容~その勢力争い~) 一方、茶々(竹... -
バテレン追放令とサン・フェリペ号事件 ~二十六聖人殉教の悲劇~
【バテレン追放令】 秀吉は、もともと織田信長の政策を継承。キリスト教布教を容認する立場をとっていました。1586年(天正14年)3月には大坂城にイエズス会宣教師ガスパール・コエリョを呼び引見、5月にはイエズス会に対して布教の許可証を発給しています。 しかしそんな秀吉が、バテレン追放令を出したのは同じ年の6月19日。同じくコエリョ... -
第30回「黄昏」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第30話「黄昏」 大地震に見舞われ、落成を前に伏見城は倒壊してしまう。秀吉(小日向文世)から普請を命じられていた昌幸(草刈正雄)は生きがいを失いふさぎこむ。秀吉は再び大陸へ攻め込むと言い出し、さらにはバテレンへの弾圧を強める。きり(長澤まさみ)が親しくなった玉(橋本マナミ)らキリシタンたち... -
キリシタンの大工・吉蔵 ~フランシスコ吉~
真田丸・第29回「異変」に、玉・細川ガラシャとともに登場する、キリシタンの大工・吉蔵。 豊臣秀吉による禁教令を受けて長崎で刑死し、殉教者として聖人に加えられた日本二十六聖人の一人である、フランシスコ吉(フランシスコきち)をモデルにした実在の人物と考えられます。 フランシスコ吉は、パブチスタ以下24名が長崎に向かうの... -
秀吉~天下人のその最期~
【秀吉の付け髭。猿は自ら呼んだ?】 「身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には6本の指があった。目が飛び出ており、シナ人のようにヒゲが少なかった」と記したのはルイス・フロイス。当時の武将は髭を蓄えるのが習慣だったので、髭の薄い秀吉は付け髭をすることもあったと言われています。(※中国には昔から秀吉が中国出身者である... -
第29回「異変」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第29話「異変」 【【見どころ】】 ●信繁、大谷吉継の息女・春と婚姻する ●昌幸、薫の出自が菊亭晴季の息女ではないことを、信幸、信繁に告白(※ただし、公家の出身には違いないということ。) ●秀吉の粗相(三成と信繁はこれを目撃。) 老齢で徐々に自信をなくしていく秀吉。 ●玉(細川ガラシ... -
信幸は伊豆守、信繁は左衛門佐。官位、従五位下に叙任!
天正18年(1590年)、秀吉の小田原征伐が成功し北条家が滅亡。東北の雄・伊達政宗も従えての宇都宮仕置、その後の奥羽仕置を済ませて、秀吉は名実ともに天下統一を果たします。 この時期に秀吉は、徳川秀忠、上杉景勝、小早川隆景、毛利輝元らをはじめとした外様大名と、その有力家臣(例えば、直江兼続など)に豊臣性と、官位を集中して与え... -
第28回「誤解」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第28話「誤解」 早朝の大阪城内。人気のない蔵の中に身を潜める秀次。何もかもに嫌気のさしてきたという秀次は心配するきりにその身を発見されるのです。 建築途中の伏見城。官位を返上したいという思いを昌幸に相談する信幸ですが、信幸が返上すれば信繁も同じことをするからと諭されます。一... -
後藤又兵衛(基次)②~長政との逸話。こんなにある!不仲の理由!!~
【後藤又兵衛、黒田長政との逸話。こんなにある!不仲の理由!!】 ●前述の城井氏との争いでは、実は長政と又兵衛は敗戦しています。その際、一揆鎮圧軍を率いていた長政は頭を丸めて父・官兵衛に詫び、それに追従して家臣も頭を丸める中、基次は従わなかったのだとか。又兵衛は悪びれる様子もなく平然と「戦に勝敗はつきもの。負け戦の度に... -
後藤又兵衛(基次)
黒田如水(官兵衛)、黒田長政親子に仕え、「黒田八虎」にも数えられた豪勇の戦国武将・後藤又兵衛。大河・真田丸では、哀川翔さんの配役が発表されました。黒田家を出奔して、牢人した後に、大坂の陣では豊臣方として入城。真田信繁の強力な盟友(ライバル)として、また最大の理解者として、大坂の陣での真田信繁を物語るときには、必要不可... -
豊臣秀吉、終焉の城・伏見城
東山から連なる丘陵の最南端に位置。南には巨椋池が広がり、水運によって大坂と京都とを結ぶ要衝の地である伏見の地に築かれた伏見城。三度に渡って築城されたというこの城はどんな経緯をもって築かれたのでしょうか? 【豪華な様式の豊臣期・伏見城】 朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月、秀吉が隠居後の住まいとす... -
三成、家康、下痢だった!?
IBS(過敏性腸症候群)は現代人ばかりではなかったのだそう。ヨミドクターからの転載記事となります。 元の記事はこちらをご覧下さい。 2013年3月12日 コラム 「偉人たちも下痢だった」 石田三成、徳川家康、ローマ皇帝も! まず、石田三成です。歴史好きの方にはけっこう有名なエピソードのようですが、関ヶ原の戦いに向... -
小早川秀秋、関ヶ原の寝返り決断遅れは肝疾患のせい?
6月27日(月)12時12分配信の読売新聞(ヨミドクター)に興味深い記事が投稿されていましたので転載いたします。 詳しい内容。また、元の記事に関してはこちらをクリック→関ヶ原の小早川秀秋、肝疾患で「寝返り」遅れ? 関ヶ原の戦い(1600年)で戦国武将・小早川秀秋(1582~1602年)が西軍から東軍に寝返った際、決断が遅... -
第27回「不信」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第27話「不信」 真田源次郎信繁は、秀吉から関白・秀次に付くよう申し付けられます。心配性で小心の秀次を安心させようという配慮からでした。 また、秀吉は赤子に「拾(ひろい)」という名をつけます。拾い子は丈夫によく育つので、それにあやかっての命名です。 茶々と寧が拾をあやし... -
大徳寺~一休さんを輩出した大本山と千利休~
千利休の切腹の理由ともなったと言われる、「大徳寺三門(※寺院を代表する正門のこと)改修に当たり、利休が自身の木像を楼門の二階に設置、その下を秀吉に通らせ、秀吉を激怒させた。」という逸話。その舞台となった臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺。 京都でも有数の規模を有する禅宗寺院は、境内に仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中... -
第26回「瓜売」
NHK大河ドラマ「真田丸」ストーリー紹介 第26話「瓜売」 天正19(1591)年12月、鶴松の死後、秀吉は関白の座を秀次に譲りました。これ以後の秀吉は、慣例に従って「太閤」と呼ばれることになります。こうして秀吉の他、寧、茶々などは大坂城に移り、変わりに聚楽第には、秀次が家族とともに移り住みました。 秀次は、家族に「たか」という名...