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大政所(なか)
豊臣家の人々【天下人となった豊臣秀吉の実母】 大政所(おおまんどころ)。天下人となった豊臣秀吉の実母で元の名は仲(なか)。他に、天瑞院とも呼ばれました。 子供は秀吉の他に、秀長、旭姫(秀吉とは異父兄)などがいて、彼女自身の姉妹には福島正則の母、従姉妹には加藤清正の母などがいます。 織田家の雑兵だったと言われる、木下弥右衛門のもとに... -
出雲阿国(いずものおくに)
その他、気になる登場人物前々回の吉野太夫(中島亜梨沙さん)に続いて、今回の第17回・「再会」では、出雲阿国(シルビア・グラブさん)が登場! 三谷幸喜さん脚本の真田丸では、こういった、当時の文化・世俗を象徴するような人物や逸話が視聴者サービス的に放り込まれてくるのも楽しみのひとつです。 今回登場の阿国(おくに)は、どんな人物だったのでしょうか? ... -
旭姫(駿河御前)
その他、気になる登場人物旭姫は、朝日姫、とも。 名は末津、ともいわれるほか、あさ、という説もあります。 天文12年(1543年)から、天正18年1月14日(1590年2月18日)の生涯をいきた女性。 父・竹阿弥、母・なか(大政所)の娘として誕生し、豊臣秀吉とは異父妹にあたります。 諸説はありますが、最初、尾張の農民に嫁ぎました。 【戦国時代で、最も政略結... -
馬廻衆
真田丸を楽しむポイント【合戦時の花形・馬廻衆(うままわりしゅう)】 並みいる大名が合戦に明け暮れていた戦国期には、武芸に秀でたものだけが集められたエリート集団。それがこの馬廻衆であったと言えます。 戦闘になると騎馬にまたがって主君の側に仕え、護衛や伝令、及び強力な騎馬兵力として用いられた、まさに親衛隊的な存在でした。 【やがてその中... -
小早川秀秋(ひであき)
豊臣家の人々【豊臣家の親族としての存在感】 天正10年(1582年)、高台院(ねい)の兄である木下家定の五男。 秀吉、近江の長浜に城を持ったころになります。 幼名は木下辰之助。以後、秀俊 → 羽柴秀俊(豊臣秀俊) → 小早川秀秋 → 秀詮(ひであき)と変名。(※関ケ原当時の、秀秋が最も一般的ですね。) 小早川秀秋は生まれて3年後には、義理の叔父にあ... -
吉野太夫(初代)
その他、気になる登場人物【著名な文化人とも交流を深めた才能あふれる花魁(おいらん)】 太夫(たゆう)は、たいふとも言い最上位の遊女のこと。尊称としてこう呼びました。 広義では格式の高い芸能人を指します。 戦国期を生きた初代・吉野太夫(よしのだゆう)。容姿、芸、人格ともに優れたと言われた、京都・六条三筋町・遊郭を代表する名妓。夕霧太夫、高尾太夫と... -
大野治長(はるなが)
大坂の陣(豊臣方)【豊臣家を滅亡に招いた張本人。無能の人か?大野治長。】 知行は僅か15,000石。さして経験もなかった治長が大坂の陣ではリーダーとして豊臣方を統率しました。結果は皆さん周知の通り、後世、茶々(淀君)とともに豊臣家を滅亡に導いた張本人として、残念ながらもたいへん評価の低い人物です。 果たして大野治長が無能だったから大坂の陣で... -
片桐且元(かつもと)
豊臣家の人々【茶々(淀君)の浅井家に仕えた戦国武将】 且元の出自は近江 浅井家に仕えた信濃源氏の名族、片桐氏。 浅井長政の娘である茶々(淀君)と、豊臣臣従以前から主従関係にありました。 豊臣の時代には豊臣家より豊臣姓を許されるなど中核を担い、江戸期になっても大名として存続した且元は、大和国竜田藩の初代藩主となっています。しかし、そ... -
平岩親吉(ちかよし)
徳川家臣団【徳川十六神将の一人にも数えられる戦国武将、家康とは同い年で、今川義元の人質時代から仕えた重臣。】 天文11年(1542年)、平岩親重の次男として三河生まれ。 永禄元年(1558年)に初陣すると、三河統一戦や遠江平定戦など、家康の初期の戦いで戦功を挙げました。 家康の親吉への信任は厚かったと見られ、嫡男・信康が元服すると傅役(ふ... -
大久保忠世(ただよ)
徳川家臣団【歴戦の勇将・真田昌幸の前に大敗する】 大久保忠員(ただかず)の嫡子として、天文元年(1532)に三河で生まれました。大久保氏は家康の祖父・松平清康の代から家臣として仕えるようになったといわれ、忠世の大久保家はその支流ながら、忠世らの活躍でやがて本家をしのぐようになります。忠世とその弟・忠佐は、徳川十六将の 1人にも選ばれ... -
石川数正(かずまさ)
徳川家臣団約265年に渡る徳川政権を後にを築くことになる徳川家康。その配下には並みいる戦国武将が揃っていたわけですが、大河ドラマなどではもちろん時間的(予算も?)な制約もあり、ストーリーに絡む人物しか登場しません。真田丸での家康家臣といえば、本多正信、本多忠勝が頻出しますが、正信なら家康の参謀としての立場や昌幸との関係性を重視し... -
鳥居元忠
徳川家臣団【家康に幼少のころより仕えた側近中の側近】 天文8年(1539年)、松平氏の家臣・鳥居忠吉の三男として生まれた元忠。 父の忠吉は岡崎奉行などを務めた老臣で、元忠は家康がまだ「竹千代」と呼ばれた頃から仕えた側近の一人です。 家康の三河統一後は旗本先手役の将として戦います。 長兄の忠宗は天文16年(1547年)の渡の戦いで戦死、次兄は... -
上杉景勝①
武将列伝真田丸では、遠藤憲一さん演じる上杉景勝。寡黙で義に厚い性格だが、ついつい安請け合いしてしまうのを家臣・兼続に咎められる・・・昌幸やその他の大名とは、違う雰囲気ながらも個性豊かに描かれています。実際の景勝はどんな人物だったのか、2回に渡る記事投稿でご紹介したいと思います。 【生粋の無口な男、景勝】 上杉景勝は、上... -
北条氏政②~氏政を再評価しよう~
武将列伝関東の雄・後北条氏の第4代当主、北条氏政。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたります。真田丸での「二度汁エピソードの氏政像・新機軸」がネット上でも話題となる、歴史上で不当な評価を受けてきた戦国武将の筆頭格。せっかくなので、これを機に氏政を再評価しましょう。 【次男として生まれ、やがて... -
服部正成(まさなり)・半蔵
徳川家臣団【服部正成、またの名を服部半蔵】 おそらく忍者としては一番高名な服部半蔵(服部正成)は、忍者の流れを汲む家系に生まれ、徳川配下で伊賀衆と甲賀衆を統率・指揮した戦国武将です。 有名な服部半蔵の名は、代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主の通り名。 実は、正成自体は「忍び」ではなく、仕えた徳川家において忍者を... -
二度汁かけの北条氏政
真田丸を楽しむポイント【二度汁かけの氏政、真田丸では・・・】 早雲に始まる後北条氏による関東支配を終わらせてしまった北条氏政。実際、氏康の後を継いだ後は、北条氏の勢力拡大に成功し、その最大版図を築いた戦国武将。ですが、いかんせん「北条家を滅亡に導いた。」結果から、歴史上さんざんな評価を受けている人物なのです。 そんな中、大河ドラマ「真田丸... -
前川泰之演じる、春日信達~インタビュー~
topics【「真田丸」“信繁の人生を変える”前川泰之を直撃!】 Smartザテレビジョン 2月23日(火)5時0分配信より抜粋 堺雅人が真田信繁(幸村)の生涯を演じる大河ドラマ「真田丸」。織田信長の死で日本中が混乱に陥る中、関東もまた上杉、北条、徳川の三つどもえの争いが激しさを増そうとしている。 2月28日(日)に放送される第8回では、前川泰之演じる... -
新発田 重家(しばた しげいえ)
武将列伝【足掛け7年にも渡って景勝に反旗を翻した戦国武将】 天文16年(1547年)生まれ。謙信時代からの上杉家臣で、川中島の戦いや関東出兵などにも参加した経験を持ちます。当初は五十公野(いじみの)家を継いで五十公野 治長(はるなが)と名乗っていましたが、天正8年(1580年)、兄の死により新発田家に戻って家督を相続、新発田重家(しばた... -
春日信達(高坂昌元)
武田家旧臣【父・昌信は昌幸の同僚】 父は「逃げ弾正」として知られる、武田氏の譜代家老衆、高坂昌信(春日虎綱)。その次男にあたる人物です。父の高坂昌信は絶世の美男子で、信玄から「浮気の謝罪文」をおくられるほどの寵愛を受けたとも。また、それだけでなく、軍略・兵法にも優れ、武田二十四将にも数えられています。 信玄の奥近習として召抱え... -
木曾義昌(木曽義昌)
徳川家臣団真田丸では、第1回から武田家を裏切った武将としてその名が登場する木曾義昌(よしまさ)。織田信長死後に起きる信濃の混乱でも、その領国の位置関係などから、ある種のポイントとなる人物です。 【】 【源義仲の嫡流と伝わる名族・木曽氏。最初は対抗するも、後に信玄の親族衆となる】 義昌は、天文9年(1540年)、木曾義康の嫡子として誕生... -
森長可
織田家旧臣【僅か13歳で家督を継いだ武勇の人】 森長可(ながよし)は、永禄元年(1558年)生まれ。真田昌幸と比較すると11歳年下、少し下の世代にあたります。森氏は清和源氏の家系、河内源氏の棟梁を出自に持つ名家。武勇の誉れも高く「攻めの三左」と謳われた森可成(よしなり)の次男でしたが、元亀元年(1570年)に可成が戦死、長兄の可隆も同年に... -
薫(山手殿)
真田家の人々高畑淳子さんが演じる信幸・信繁の母親・薫。真田丸では京の公家出身で昌幸に嫁いだという設定の中、活発なキャラクターの信繁の祖母・とりや姉・松とは違い、上品な女性として描かれています。対比を見せることでその人物像を際立たせる三木谷さんの脚本ですが、実際のところ、彼女の生い立ちはどんなものだったのでしょうか? 【公... -
松(村松殿)
真田家の人々【弟、信幸・信繁から慕われた、真田昌幸の長姉】 松(名は於国)は、永禄8年(1565年)真田昌幸の長女として誕生。信幸、信繁の姉にあたり、大河・真田丸では木村佳乃さんがはつらつと演じられているのが印象的な女性です。 天正10年(1582年)ごろ、甲斐の名門・小山田氏の小山田茂誠(しげまさ)に嫁いだ松。 小山田家滅亡後は、この婚姻... -
真田昌幸~信玄の元で過ごした少年期~
真田昌幸【信玄公、曰く「我が両眼の如し」】 戦国一の知将「真田昌幸」、幼名を源五郎。彼を形成した元服前の少年期。どのように過ごし、成長していったのか。その生涯についての記事投稿です。 天文16年(1547年)、真田幸隆の三男として誕生。この当時、幸隆は海野平合戦で所領を失い、武田晴信(後の信玄)に臣従することで、旧領を回復していく... -
滝川一益②~本能寺の変・信長の死後~
織田家旧臣【本能寺の変後、失墜する存在感】 6月2日、信長が本能寺の変によって横死すると、北条氏政は引き続き協調関係を継続する旨を一益に伝えています。(※しかし実際には領国に動員をかけており、北条氏の上野侵攻は確定していました。) 一益が信長の死を知ったのは事変から5日後の6月7日(遅い!)。そして6月10日、重臣の反対を押し切り、一部...